*新潟の助け合いの歩み5*
ー河田珪子さんの目指す
「歩いて15分以内の助け合い」―
第4章 進化する「実家の茶の間・紫竹」
◆日本版の「ネウボラ」へ
「茶の間の学校」も開校◆
<「モデルハウス」を各区に>
新潟市は、篠田市政が4期目に入った2015年、「実家の茶の間・紫竹」のような地域包括ケア推進のモデルハウスを全8区に開設することを決め、市民にお示しした。河田さんは、各区のモデルハウス開設に力を貸しながら、次のアイデアを実行に移す。それが2016年、「茶の間の学校」開設だった。「実家の茶の間・紫竹」のような居心地の良い「地域の茶の間」を身近なところで数多く立ち上げ、運営してもらう人材を育てるためのものだ。座学を一日、そして「実家の茶の間・紫竹」での実地研修も体験できる「学校」だ。
写真(上)=「茶の間の学校」は各地区の公民館で開かれた
写真(下)=「茶の間の学校」では座学の後、「実家の茶の間・紫竹」で実習が行われた
これは新潟市と市公民館、そして河田チーム、3者の協働事業だった。茶の間の学校の校長には、新潟市を拠点として長く人づくり・地域づくりに取り組んできた「えにし屋」主宰、清水義晴さん=当時67歳=が就任した。清水さんは、河田さんと長年にわたって活動してきた「戦友」で、「実家の茶の間運営委員」も務める。「茶の間づくりは地域づくりでもある」と捉え、茶の間の素晴らしさを熟知している人物だ。清水さんの著書「地域福祉の拠点~河田珪子さんがつくる『地域の茶の間』のヒミツ」(博進堂刊)には、茶の間の魅力とその秘密が分かりやすく書かれている。関係者には必読の書だ。
<「地域の茶の間」のヒミツ>
その著書の中で茶の間の学校の立ち上げにも触れた「『地域の茶の間』のヒミツ(一)」の文章を紹介しよう。
<河田珪子さんの居る「地域の茶の間」は、集まって来る人たちがどんどん明るく元気になっていかれます。私が通っている介護施設では、毎日のようにカラオケをやったり、テレビ体操をしたり、時にはゲームをしたりするのですが、私は偏屈なせいか、幼児扱いをされているような気がして楽しむ気になれず、施設側の意図するような明るく元気になることはできません。河田さんの茶の間は、そのようなカラオケや体操やゲームなどをしているところを見たことがありません。では、なぜ集まって来る人の自発性と能力が自然に引き出され、明るく元気になるのでしょうか?私が推察するところでは、茶の間での生活と交流の中で自然に一人ひとりの自発性と能力が引き出されるような仕掛けというか工夫がなされているからだと思うのです。いままで河田さんは「『地域の茶の間』は誰でもつくれる。」と言われてきて、またたく間に県内に、そして全国へと広がったのですが、この時(今)こそ「地域の茶の間」のヒミツを伝える時期が来たと、河田さんは考えておられるようなのです。そこで、どうしたら河田さんが居るような「地域の茶の間」をつくれるかを教える「茶の間の学校」を開こうとされているのです。この「茶の間の学校」には私も参画することになっていて、河田さんから多くのことが学べるチャンスが来たと楽しみにしているところなのです。>
「茶の間の学校」は2019年度までに8回開講され、約260人の方が受講している。既に開設済みの「地域の茶の間」の運営改善に役立てた人もいれば、実際に茶の間を身近な地域に開設した方もいらっしゃる。新潟市に設置されている茶の間は、500以上を数える。
<保健師さんがやってきた>
河田さんたちは「茶の間の学校」を各地で開催し、居心地の良い居場所を増やす共に、モデルハウスである「実家の茶の間・紫竹」をさらに多機能にし、進化させていく。ここでも、市との協働事業の特徴が活かされていた。例えば「実家の茶の間・紫竹」では、集まる方の健康に気を配り健康指導に当たる保健師さんが月一回やってくる。これは新潟市の健康施策「新潟版ネウボラ」の一環だ。ネウボラとはフィンランド語で「助言の場」を意味し、妊娠から就学まで担当の保健師が家族の健康を支援するフィンランドの政策のことだ。新潟市では包括ケア推進のモデルハウスに保健師さんが定期的に出かけることで、参加者の健康や子育ての相談に乗り、地域の健康度を増すと共に安心感の向上を図っている。
最初は「オレは掛かりつけの医者がいるから、いいわ」と言っていた人たちが、いざ保健師さんが来ると変わった。他の施設で保健師さんに診てもらうよりも、茶の間では距離が近い。「実は夕べ、足の具合いがおかしくなってね」などと話をする関係づくりができ、要介護のチェックリストもより有効活用できる。「じゃあ、リハビリに通ってみますか」と助言を受け、その気になってリハビリに行かれた方もいる。「地域包括支援センターからの情報提供に加え、保健師さんから生活相談が受けられる。ここをモデルハウスにした良さはそういう所にもありますよね」と河田さんは補足した。
<作業療法士さんが生き甲斐復活>
さらに、新しい取り組みも始まった。河田さんは、厚生労働省の職員と一緒に仕事をした機会に、「作業療法士さんからモデルハウスに来てもらうことはできますか」と尋ねた。リハビリスタッフが「茶の間」に制度的に入れるかの確認だった。「大丈夫、できますよ」との答えを得た河田さんたちは、市役所と相談し、作業療法士に月1回来てもらうことにした。「リハビリスタッフた来てもらえる仕組みを知らなかったんで、それまでどこもやっていなかった。だけど、私はここにお出でになる方の生き甲斐づくりにも有効だと思った」と、河田さんは言う。作業療法士は通常、病院や介護施設では医師の指示に基づいて仕事をきちんとこなす。「でも、ここは居場所だから画一的な取り組みではなく、その人それぞれに合ったことをやってもらいました。その方の隣に座って『昔はどういうことをされていたんですか?』などから話が始まる。『どういうことがお得意なんですか?』とかね。そうすると『畑仕事が好きで、今もやりたいんだけど、重いものが持てなくなって』とか、『針仕事が得意だったけど、今は手が効かなくなって…。靴下はくのが大変でさ』などの話が出るの。『こんな風にやってみられてはどうですか?』なんてやり取りをしていると、人は生き生きしてきます」と河田さんは言う。
<自発性と能力引き出す場>
作業療法士に入ってもらったことで、モデルハウスに通ってくる方たちが今まで「どうやって生きてきたのか」が分かるのだそうだ。「人はやりたかっとことが出来なくなると、生きていく気力がなくなっていきますよね。逆に『こうやったら、できるようになるんじゃないですか』ってアドバイスを受ければ、やる気が出てくる。それを引き出す人材として、作業療法士さんに来てもらうようにしました。介護予防にもなるのでは、って思ってね。やりたいけれども諦めてしまったことを、もう一度取り戻す―作業療法士さんを活用させてもらって、新しい方法で生き甲斐を復活させたいと思ったんです」と河田さん。今では作業療法士さんが来る日を楽しみにしている方が増えたそうだ。保健師もそうだが、モデルハウスができたお陰で、敷居が低く、しかも歩いて行ける範囲へ、介護予防の情報を届けられる出前機能ができたことになる。こうして「実家の茶の間・紫竹」は進化を続け、清水さんが言うように、「集まられる方の自発性と能力を引き出す」場となっているのだ。
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