*新潟の助け合いの歩み11*
ー河田珪子さんの目指す
「歩いて15分以内の助け合い」ー
第10章 「お互いさま」を全市展開へ
◆地区の事情を考慮して
それぞれの独自性を発揮◆
<「全国、みんな困っている」>
「実家の茶の間・紫竹」を事務局として、みんなの助け合い「お互いさま・新潟」は次第に広がりを見せていった。それは、国が推進する地域包括ケアシステムを新潟市で前進させる「支え合いのしくみづくり推進員」の取り組みとも強くリンクしていた。既に紹介したように、新潟市の推進員は介護予防にもなる居心地の良い居場所をつくろうとすれば「実家の茶の間・紫竹」を学びの場として活用できるし、それを身近な地域につくろうとすれば「茶の間の学校」を利用すれば良い。「茶の間」を拠点とした助け合いも「実家の手」で始まっていて、地域の困りごとを把握し、その解決への実践に踏み切ることも可能だった。さらに新潟市が包括連携協定を結んでいる「さわやか福祉財団」とつながることもできる。その上、2018年からは実際の助け合いの担い手を生み出す「助け合いの学校」が動き出し、「お互いさま・新潟」での助け合いに学ぶこともできるようになった。
写真=河田珪子さんたちがスタートさせた「助け合い お互いさま・新潟」のチラシ
新潟市に限らず、包括ケアを構築する使命を帯びた人たちは「実家の茶の間・紫竹」で今後進むべき道を見出し、明るい表情を取り戻して帰っていく。「来るたびに明るくなってくる表情を見ると、こちらも嬉しくなって」と河田さん。新潟県内では関川村や弥彦村、出雲崎町などの関係者が繰り返し、河田さんのもとを訪れた。近くの県では山形や岩手、長野、群馬、埼玉、そして関西などからも視察・研修の流れが途切れない。「それだけ、全国みんな困っている。そういうことですよね」と河田さんは語った。
<南区は「助け合いゲーム」で活路>
新潟市はその後、どのように包括ケアの態勢づくりを推進していったのか。南区に話を戻そう。先に述べたように、2017年までに包括ケアを推進する土台を築いた鈴木照子さん(一層の支え合いのしくみづくり推進員)と吉村弥寿江さん(二層の推進員)をはじめとするメンバーは、河田さんらのアドバイスを聞きながら、より具体的に動き出した。「2018年には、さわやか福祉財団の『助け合いカード』を使って、実践的勉強会『助け合いゲーム』を開きました。日常生活で困るであろう事例を60枚のカードにしてあるものです。8月17日にやったんですが、お盆明けにもかかわらず昼40人以上、夜も30人近くがあつまってくれた」と鈴木さん。実は、ぶっつけ本番では不安なので、事前に地域包括支援センターや茶の間運営者の方たちとゲームをやってみたのだそうだ。いまの暮らしでは困っていなくとも、「10年後はどうだろう?」「家族がいなくなったら?」とイメージを働かせてもらい、その時に「助けて!」と声を出せるかも考えてもらった。するとカードを見ながら、「実はこんなことに困っている」「墓掃除に行きたいんだけど、一人では心配」などの声が出、「そんなことなら手伝えるよ」との反応もあり、マッチングもでき始めた。「本番でもそうでした。これに力を得て、河田さんたちが始めた『助け合いの学校』を南区でも開催してもらうことにしました」と鈴木さん。
それが、本稿でも紹介した2019年1月の「助け合いの学校in南区」だった。40人定員で受講者を募ったところ、南区だけで70人以上、西蒲区なども入れると90人を超す人が手を挙げてくれた。「南区でも、だいぶ助け合い、支え合いに関心が出てきました」と鈴木さんは笑顔で語る。そして、助け合いの学校が南区で開催される前、2018年10月から「助け合い お互いさま・新潟」の取り組みが「実家の茶の間・紫竹」で始まったことも、南区には追い風となった。「そこのエンジンメンバーに、『まごころ白根』で長く助け合いに取り組んでこられた塩原さんが入られた。塩原さんは南区の宝。いろんな困りごとのケースを知っているし、助け合いの実績もある。もっと助言をもらいたい方なんですが、それが『お互いさま・新潟』が始まったことで可能になった」―鈴木さんと吉村さんはそう語った。
<南区では独自の相談受付>
「実家の茶の間・紫竹」(東区)と車で1時間前後と離れている南区では、その後「お互いさま・新潟」の事務局を自前で運営する可能性を探っていく。助け合いの学校を開催した熱気が冷めないうちにと、2か月後に学校の修了生らと情報交換会を開催。「南区の助け合いをどうするか」について話し合った。まず、「お互いさま」の南区事務局として鈴木さんが公用携帯を持ち、困りごとの相談に応ずることにした。「困りごと相談受付」を広報するため、自治会にチラシを入れたり、社協だよりに掲載したりした。その情報を見て、「わたしも手伝いたい」と申し出てくれる人もいた。昨年7月には修了生が「実家の茶の間・紫竹」で実践研修を受けた。「2回に分けて、こと細かに教えてもらいました。その方たちと『南区に相談の拠点をつくろう』と盛り上がりました。実家の茶の間で実践研修を受けられる意味はとっても大きい」と吉村さんは語った。さらにその夏、ケアマネージャーとの研修会でも「助け合い」について説明をし、地域の困りごとに詳しい民生委員の会にも声掛けをした。9月には2回目の「助け合いの学校」を開催。今度は40人が受講した。手助けをしてくれる登録メンバーは25人ほど。ほぼ全員が助け合いの学校の修了生で、その多くが「実家の茶の間・紫竹」での実践研修受講者だ。
<南区もモデルハウスを事務局に>
その後、鈴木さんたちは困りごと相談を受け付ける携帯の電話当番を4人の推進員が2週間交代で持ち回りにした。「相談が来た場合、当面はまず私たちが困りごとのお宅にお伺いします。実際の様子を確認した上で、手助けに行かれる方に説明しています。家の中に入るとなると、やはり細心の注意が必要ですし、手助けを受ける側も、手助けする側も『よかった』と思ってもらいたい。その『よかった』が口コミで地域に伝わっていけば、さらに助け合いの輪が広がっていくと思います」と鈴木さん。
昨年末からは「電話相談を受け付ける拠点を持ちたい」と相談し始めた。「できるだけ経費を掛けないように、モデルハウスの天昌堂サロンを使わせてもらえないか」と方向性が一致。2020年の年明けに天昌堂の運営責任者とも話し合って合意した。「天昌堂を使えば、来所しての相談にも応じることができる。『受付のシフトをどうするか』『相談の受け手のスキルをどう高めるか』など、課題もまだまだある。それに、南区は広い上に公共交通が弱いので、足の便をどうしていくか、そこに今年は取り組みたい」。鈴木さんと吉村さんは目を合わせ、そう語った。
写真=新潟市が作成した「モデルハウス」の紹介冊子と、南区のモデルハウス「天昌堂サロン」の紹介
<「助け合い社会資源」を整理>
こんな南区の取り組みを河田さんは嬉しそうに見守っている。元々、「お互いさま・新潟」を始めた大きな狙いとして、「支え合いのしくみづくり推進員の実践研修の場をつくる」ことが河田さんの頭にあり、電話での困りごと相談への対応と並んで、それぞれの地域の「助け合いの社会資源」を整理していく必要性を語っていたからだ。河田さんが「区ごと」にこだわる意味は、「電話相談は、困りごとの受付だけでなく、地域の情報を収集し、地域の方にお届けして情報ギャップをできるだけなくすことが大切」と考えているからだ。「茶の間に来られる方には色んな情報をお届けできますよね。例えば、尿漏れに困っている方には『尿漏れパッドがありますよ』ってお伝えできる。『実家の茶の間・紫竹』に来ていただければ、保健師さんや作業療法士さんからも話が聞けます。一方、そこに来られない方は『情報過疎』になっている。そして、地域で受けられるサービスはみんな違うじゃないですか。配食サービスだって、便利屋さんだってね。だから、全区で電話相談に応じながら、『こういうサービスをやっている所があるのをご存知でしたか?』って、地域ごとの情報をお届けすることも『お互いさま・新潟』の重要な役割だと思っています」と河田さんは説明する。
<西蒲区が「独立第一号」>
しかし、その道のりも簡単ではなかった。一層の推進員との情報交換会の中で、河田さんは「お互いさま・新潟」で電話相談を受け付けることのほか、地域の情報をまとめて、地域にお届けする大切さについて提起した。地域にある様々な助け合いの資源―それはスーパーやコンビニ、移動販売、配食サービス、シルバー人材センター、便利屋さんなどだ。「困りごとの電話相談を各区で受けることにしませんか。それに合わせて、生活を助ける様々な社会資源をリストアップして、地域に情報提供できるようにしたらどうでしょう」と河田さんは語り掛けたが、推進員の多くが黙って下を向いていた。みんなの不安や自信のなさを感じ取った河田さんは、「では、まず紫竹で始めてみますか。そして、態勢ができた所から自分の区に持っていけばいい」と提案した。皆、ほっとした顔になったという。
それが今、各区で様々な取り組みが生まれるまでになった。「『お互いさま・新潟』を始めた時から、『困りごと相談の電話番は、準備ができた区から、その区に移してください』と言ってきました。そして昨年、まず西蒲区が独立して離れていきました。次が南区です。それぞれの地域の『助け合い社会資源』のリストアップも整理作業が進んでいます。元々、ここ紫竹は実践研修の場となれば良いと思っていました。段々と困りごとの相談受付は各区となっていき、最終的に、ここは研修の場として残っていけばいいんです」。そう河田さんは語った。
<北区も立ち上げに苦労>
やはり、各区によって事情は異なる。「実家の茶の間・紫竹」がある東区と阿賀野川を挟んで向かい合う北区は、南区と異なる道を歩んでいる。2016年度から北区の一層の推進員を務める工藤真美さんも新潟市社協の職員だ。地域特性は異なるが、「包括ケア」を推進する組織の立ち上げ時の苦労は、どこも同じようだ。工藤さんも推進員就任初年度は、二層の推進員の人選など態勢づくりで終わったと言う。「推進員の辞令をいただいた頃は、包括ケアの先が見通せない時期で、何から手をつけたら良いのか、見当がつかない状況でした。他の区の一層推進員から話を聞きながら、手探りの状態が続きました。そんな中で、河田さんたちは私たちにとって、包括ケアの道筋を照らしてくれる道標のような存在でした」と工藤さんは振り返る。
写真=北区のモデルハウス「松浜こらぼ家」の紹介記事
<自治会で困りごと相談受付>
北区も2年目になる2017年度からコミュニティ協議会(コミ協)単位の勉強会を中心に動き出した。「助かったのは北区長が包括ケアに理解があったこと。推進員との会合を毎年開いてくれて、『地域の方に顔を覚えてもらわないとダメだよね』と区だより顔写真入りで私たちを紹介してくれました」と工藤さん。さらに「茶の間の学校」を地域の方に受講してもらった。「ありがたかったのは、3年目に困りごとの助け合いを実践的に学ぶ『助け合いの学校』が始まったことでした。地域やJCなど団体の皆さんと『出前講座』の形での勉強会を重ねていったんですが、その中で『助け合いの学校』について紹介し、受講をお願いしました」と工藤さん。2019年2月には北区で初の「助け合いの学校」が開かれた。その後、学校の修了生15人ほどが「お互いさま・新潟」で電話相談の実践研修をすることにしたが、「良かったのは、助け合いに関心のある自治会の福祉部長さんが何人か加わってくれてことでした」と工藤さんは言う。その結果、新元島では困りごと相談を自治会バージョンでやり出したそうだ。「他に3団体も関心を持ってくれています。また、北区ではコミ協で総合支援事業の訪問型サービスB型に取り組んでくれているところがあり、その方たちも『助け合いの学校』に参加し始めました。2回目の学校を今年2月に開催しました。いきなり、『家の中に入っての助け合い』ではハードルが高いと思う所には、見守りや声掛け、茶の間づくりから始めてもらっています」と工藤さんは手ごたえをつかんでいる。
<「助け合いはボトムアップ」>
もともと北区は地域ごとの団結力が強い所だ。北区は二層を3ブロックに分けているが、「いや、うちは地域ごとに体質が違うから」との意見が出、二層の中に「地区部会」制を取り入れている。地域づくりに熱心な方が多いが、逆に「助け合い」の意味が分からない方もいて、説明に時間が掛かる。「その代わり、理解いただくとすごく力を発揮してくれる。あるリーダーに『あなたの助け合いの目標は何だね』と聞かれ、『助け合いは私の目標ではなく、この地域の目標なんですよね』と答えました。今は『助け合いはトップダウンじゃダメ。ボトムアップなんだね』と気づいてくれるリーダーもでてきました」と工藤さんは最近の様子を語った。
北区では、地域それぞれの「地域力」をうまく助け合いに向けようとしている。一方、事務局については「当分、河田さんのところを拠点として活用させてもらいたい」と言う。「いま、北区では『助け合い』の気持ちを広げようとしている段階ですし、ここに当番で詰めさせてもらっていると大変に勉強になるし、心強い。ここに足を運んで、一つひとつ確認しながら、面に広げていきたい。全国に見本がない中で、この事務局の取り組みがあって、一緒に学べるということは素晴らしいことですから」と工藤さんは事務局の存在に感謝していた。
<西区はガイドブック作成>
「助け合いの学校」の修了生が各地に誕生し、「お互いさま・新潟」での実践が始まったことで、新潟市内各地でも「助け合い」に関心が高まっている。やはり「助け合いの学校」を開催した西区では、さらに助け合いを広めるために「地域で広げる!支え合いのしくみづくりガイドブック」を今年3月に作成した。西区で始まっている11の「支え合い活動」を紹介し、併せて「支え合いのしくみづくり推進員」のことをもっと知ってもらい、支え合い活動を西区全域に広げようとの狙いだ。西区の一層の推進員、加野麻里子さんは「西区には既に多彩な助け合い、支え合いが始まっています。その事例を知ってもらうことで、『これなら、うちの地域でもできるんじゃないか』という気になってもらいたい。一方、推進員のことはまだまだ知られていないので、『ある推進員の一日』を紹介しました。『私たちをどんどん活用してほしい』との気持ちを込めて、ガイドブックをつくりました」と発行の狙いを説明する。ガイドブックは7千部を作成。今後、地域での「区長との懇談会」などで活用していく。
写真=西区が作成したガイドブックと、その内容の一部
和久井久光さんは西区の二層の推進員で、内野・赤塚・中野小屋中学校区圏域を担当する。「西区では空き家の管理やタクシー乗合での買い物支援など、素晴らしい事例が数多くあります。この事例を見て、『どうやったら、うちの地区でもできるか』を考えるきっかけにしてほしい」と語る。二人は「助け合いは推進員が自分でやるんじゃない。助け合いに手を出してくれる方たちをつくっていくことが私たちの仕事」と口をそろえる。「これまで包括ケアの理想の姿は国が描いているが、そこにどうたどりつけばよいのか?そこが見えなかった。新潟市では河田さんたちが『お互いさま・新潟』をやってくれているし、困りごと相談の対応について学べるようになった。西区でもガイドブックのように話せるネタが出てきているし、今後は『お互いさま』の事務局で学んだ経験を活かしていきたい」と二人は語った。
<「新潟市はダントツのモデル」>
新潟市では、河田さんたちの取り組みを活かして、一層と二層の推進員たちも手ごたえを感じながら動き始めている。そんな新潟市の包括ケア構築への取り組みを第三者はどう見ているのだろうか。これについても、さわやか福祉財団に聞いてみた。「2019年段階で見ると、全国では第一層と第二層の協議体をつくっただけで、実際の活動はこれからのところが大半です。その中で、新潟市は生活支援コーディネーター(支え合いのしくみづくり推進員)が機能し始めた数少ない地域です。特に政令市の中で『助け合い』のモデルは新潟市しかありません。行政規模が大きくなると縦割りになって、助け合いの仕組みづくりが機能していかないし、人間同士の絆が希薄になって住民が動かない壁もある。新潟市は困りごとの実態事例をつかみ、実際の助け合いも始まっていますから、ダントツのモデルなんです」と堀田会長は語った。
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