実家の茶の間 新たな出発8

地域の茶の間

*「実家の茶の間」 新たな出発(8)*

<コロナ前の姿へ 「昼食再開」③>

―お昼を始めて1カ月 「無事に過ぎたね」―

―有償の助け合いも継続、頑張る88歳―

<サポーターの武田實さんが大活躍>

「実家の茶の間・紫竹」が7月初めにお昼を再開して1カ月が過ぎようとしている。運営委員会代表の河田珪子さんたちは、衛生面に万全を期しているが、心配がないわけではなかったろう。「黙食の習慣が茶の間では定着していましたし、皆さんも衛生管理に自主的に取り組んでくれています。ここが大切な場所だと思っているからですよね」と河田さんは言う。

7月最後の運営日となる28日も実家の茶の間は落ち着いた雰囲気だった。今日のお昼は20人ちょっと。距離を保って、お昼をいただくには丁度良い人数だ。この日もメインは「具沢山のみそ汁」。食欲をそそる鯖缶の身をほぐしたものと野菜が付け合わせで、ご飯には彩りがよく大きめの梅干しが真ん中に置かれている。お当番さんと一緒にお昼の準備に当たる中に、間もなく米寿を迎える武田實さんの姿があった。武田さんは実家の茶の間の近くに住むサポーターの一人で、茶の間の外回りの整理から各種修繕、お昼の準備までやってくれる貴重な人材だ。「私は一人で暮らしているので、料理も毎日やっていますから」と武田さんは事もなげに語る。

写真(左)=食事の準備をする武田實さんら (右)=きょうのお昼です。メインは「具沢山」のおみそ汁

<「頼りになる存在」武田さん>

この日も正午になるとBGMが流れ、お当番さんがお昼を運んできた。しっかりとマスクをして、おしゃべりを楽しんでいた参加者たちは、正午前に自らのテーブルを自らの手で入念にアルコール消毒し、準備を終えていた。「ご飯は小盛りでしたね」「こちらは普通盛りね」と確かめながら、お当番さんが小さなお膳に乗せたお昼を配り終えると、マスクを外して静かに昼食を楽しみ出した。料理から盛り付けまで、大車輪の活躍を見せていた武田さんも一足遅れてテーブルに就き、お昼を摂る。12時40分頃になると、参加者のうち2人が外出の準備を始めた。すると武田さんも動き出した。今度は2人を自分の軽自動車に乗せ、午後1時からのリハビリに間に合うように送っていくのだという。

写真=お年寄りをリハビリの場所まで送る武田實さん(実家の茶の間の玄関で)

武田さんは、茶の間のお昼がお休みだった時は、参加者に頼まれてお昼のサンドイッチなどを買い出しする役もこなしてくれていた。こうした世話を焼くのも、実家の茶の間で始まっていた有償の助け合いの一つだ。参加者は気兼ねなくお願いができるように「ワンコインの助け合い」の習慣が身についているのだ。7月に昼食が再開されて、利用料がそれまでの200円から従来の300円に戻ると、実家の茶の間の利用回数券も復活した。6枚1500円のチケットがワンコイン替わりに使われることも多い。武田さんのもとには多数のチケットが集まっているはずだが、この助け合いの中身は河田さんも知らない、当事者同士の「秘密」だ。ただ、武田さんは定期的?に茶の間の活動に寄付をしており、参加者のワンコインが武田さんを経由して茶の間の活動に還元されてもいるようだ。

<「体が動くのも茶の間のお陰」>

2人を目的地に運ぶと、武田さんはまた、実家の茶の間に戻ってきた。「大体、いつもこのリズムですか?」と武田さんに聞くと、「まぁ、そうですね」と武田さん。以前にお伺いした時は、茶の間が休みの日も頼まれごとに応じているとのことだった。「実家の茶の間が、ここで活動してくれて良かった。私にとっても茶の間は生きがいだし、こうして体が動くのも茶の間のお陰です」と武田さんは語るのだった。

写真=この日の「実家の茶の間」の様子

<残る課題「お互いさま」の復活>

河田さんたちはお昼を再開し、それに合わせて活動時間も従来の午前10時から午後4時までに戻し、利用回数券も復活させた。「コロナ前の姿」に着実に戻りつつある実家の茶の間だが、河田さんには気懸かりなことが一つ残っている。茶の間に来ることができない人も電話1本で困りごとを相談でき、有償の助け合いを受けられる「お互いさま・新潟」の活動が事実上、休止していることだ。

「困りごとの相談先だった実家の茶の間の電話には、今も困りごと相談がきています。だって、安心に暮らしていくためには介護保険のサービスだけではとても足りない。だから、私たちは『お互いさま・新潟』を始めたわけですよね。新潟市全域で、歩いて15分以内の有償の助け合いを築いていこうとしていました。今、コロナ禍でそれができなくなっているけど、土台は残っています。国が、地域包括ケアシステムを構築する2025年までに、どうやって『お互いさま・新潟』を広めていけるか…。ここが一番のポイントなのでしょうね」と河田さんは言う。7月29日には、地域包括ケアの推進を話し合う新潟市の戦略会議が開かれるので、河田さんは問題提起をしてみようと思っている。「地域で安心に暮らしていくには、『お互いさま・新潟』が欠かせない―これは家族や親族にも頼りにくくなっているコロナ禍の中で、ますます見えてきたことだと思うんです」と、河田さんは語るのだった。

<青空記者の目>

 実家の茶の間は、間違いなく「コロナ前の姿」に向かって歩みを進めている。しかし、大きな関門が「お互いさま・新潟」の復活だ。コロナ禍が、また勢いを増している中で、「家にまで入っての助け合い」のハードルが高いことは間違いない。「だからといって、コロナのせいにして、何もしないで休止したままで良いのでしょうか?」と、河田さんは自問自答を繰り返してきたのだろう。「コロナ禍の中で身近な助け合いが、より重要になっている」ことを実感している河田さんたちだからこそ、その思いは切実度を増しているのかもしれない。「コロナでも準備できること、やれることはあるハズだ」―そう河田さんは考えている。常に生活者目線で困りごとと向き合ってきた「実家の茶の間・紫竹」と新潟市は、どんな答えを出していくのだろうか。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました