*実家の茶の間 新たな出発(26)*
<年明けにオミクロン株感染拡大>
ー「みんなでこの場 守り抜こう」―
―熟慮の末、運営続行を決断―
<運営初日は「カレー昼食」>
2022年の年が明けた。世界的には昨年末から新型コロナウイルスのオミクロン株による感染拡大が大きな影を落とし、日本でもオミクロン株感染が不気味に広がり始めていた。一方、新潟県ではオミクロン株の感染者が確認されず、比較的落ち着いた雰囲気の年明けだった。新潟市の地域包括ケア推進モデルハウス「実家の茶の間・紫竹」では5日、この年初めての運営日を迎えた。皆、マスクをしっかりとつけながら新年のあいさつが交わされ、華やかな雰囲気が漂っていた。お祝いムードをさらに盛り上げるかのように、お昼には一番人気のカレーが用意され、30人近くが和気あいあいとカレー昼食を楽しんだ。「今年も茶の間で良い時が過ごせるといいね」―そんな言葉が当たり前のように感じられる運営初日だった。
写真=今年初めての「実家の茶の間」運営日。一番人気のカレー昼食をみんなで楽しむ
<新潟県でもオミクロン株確認>
翌日の6日まで、新潟県ではオミクロン株の感染者がゼロ。全国の「オミクロン空白エリア」4県の1つだった。「オミクロン株の感染者が出るのは時間の問題」と思いながらも、「1日でも長く空白エリアが続くように」と多くの県民が願っていた。しかし、7日にはとうとう新潟県でもオミクロン株の感染者が1人確認された。この日はコロナ感染者も70人と急増。新潟県が独自の警報を発令する検討に入ったことも報道された。翌8日には一気に100人台を突破。新潟県でも緊迫感が一気に高まった。
<「3日間、ずっと考え続けてきた」>
そんな中で10日がやってきた。実家の茶の間の今年2回目の運営日だ。この日から広島、山口、沖縄3県に「まん延防止等重点措置」が適用されることもあって、列島は再び新型コロナへ身構えする態勢へ大きくシフトしていた。実家の茶の間運営委員会代表の河田珪子さんは、新潟県でもオミクロン株の感染者が見つかった7日から3日間、「実家の茶の間をどうするか」、ずっと考え続けてきた。
一方、利用者の方も「実家の茶の間がどうなるか…」固唾をのむような思いで見つめていた。その一人、笠井三男さんは「オミクロン株の感染拡大で、茶の間はまた閉じることになるだろう」と覚悟を決めて、10日に茶の間に顔を出していた。案の定というか、河田さんがお昼前にみんなに語り掛け始めた。「次回から休止、との言葉が出るのだろう」と笠井さんは思いながら耳を傾けた。しかし、河田さんの言葉は違っていた。「ここが休みになったら、皆さん、どうされますか?」と河田さんは一人ひとりに問いかけていった。「私は、『今日が最後で、また茶の間が閉まることになるのだろう』と思っていた。『そうなると、私は行くとこありませんよ』と答えました」と笠井さん。利用者の声を一当り聞いてみると、「閉じた方がよい」という人は一人もいなかった。河田さんは再度、語り始めた。「ここが皆さんにとって必要なら、私たちはお昼も含めて続けようと思っています」との言葉を聞き、「思わず拍手しました」と笠井さん。実家の茶の間は一気に明るい雰囲気になった。「嬉しかったよ。だって、ここが閉まったら、私、本当に行くとこないの。また、以前のように家に閉じこもるしかないもの」と笠井さんは、河田さんに語り掛けた。
<「コロナと同じくらい、茶の間休止も怖い」>
河田さんは、そんな参加者の反応を見聞きしながら、これまでのコロナ禍の歩みを振り返っていた。2020年2月末に実家の茶の間をいち早く休止した後のことだった。久しぶりに何人かの参加者にお会いして、その方たちから以前のような笑顔が少なくなっていることに気づいた。お話を聞いてみると「行く場所がなくなって、寂しい」「夜、眠れなくなった」などの嘆きが相次いだ。「コロナ感染はもちろん怖いけれど、同じくらい、茶の間を休止することの身体的・心理的影響も怖い」ことを河田さんは実感した。そのこともあって、河田チームは昨年8月の「デルタ株感染拡大」の時も、実家の茶の間を「いったんお休み」にしたが、「完全休止」ではなく、河田さんやお当番さんが運営日には詰め、「お休み」を知らずに来る方に対応した。そのことが利用者に伝わり、茶の間は自然と「来る人は拒まず」的な形になっていった。もちろん、「衛生面には万全の上にも万全を期す」厳しい態勢を取り、そのやり方を参加者も受け入れていた―そんな体験から今回、「まず。参加者の思いを聞いて」、その後、「とりあえず継続」の決断を導き出したのだろう。
写真(左)=1月10日のお昼は具だくさんのお味噌汁。 (右)河田さんらの決断を聞き、みんなで昼食を味わいました
<「新春の運試し」が始まった>
写真(左)=ちんころ市でお土産を持ってきてくれた川上良子さん。くじ引きが始まり、茶の間の継続を喜んだ笠井三男さん(中央)も参加した
(右)お土産のかわいい「ちんころ」です
みんながお昼を食べ終わり、また穏やかな時が流れ始めた。その空気が変わり、明るく盛り上がった時があった。実家の茶の間のお当番チームにも加わっている川上良子さんが「お土産を持ってきました」とやってきたのだ。川上さんは公益財団法人「介護労働安定センター新潟支部」の介護能力開発アドバイザーを務め、河田さんを「介護の師」と仰いでる一人だ。今日は小千谷市の「ちんころ市」に行って、かわいい「ちんころ」を10個、お土産に持ってきてくれたのだ。「でも、これだけの方がいらっしゃる。足りないね」と恐縮する川上さんに、「いいわよ、みんなでくじ引きしましょう」とお当番チームが提案する。川上さんも一緒にくじを作り、早速「新春の運試し」が始まった。「当たり」のくじを引けば、ちんころをゲット。外れた方にも河田さん手作りの沖縄のお菓子、サーターアンダギーが振舞われる。参加者はみんな童心に帰って、くじを引いた。温かな空気が新春の茶の間に広がっていった。
写真(左)=河田珪子さんはくじ引きで「当たり」を引きました (右)=川上さんと歓談する河田さん
<青空記者の目・特別振り返り編>
振り返ると、実家の茶の間もこの2年、新型コロナにずっと振り回されてきた。記憶を確かなものにするために、これまでの流れを振り返ることにしたい。
(2020年)
2020年2月、新型コロナが新潟県内でも拡大し始めたのを受けて、河田さんたちは2月24日を最後に実家の茶の間をいち早く閉じた。県や市などの具体的措置を待たない、自主的な判断だった。「茶の間を閉じた」と言っても、河田さんやお当番チームは茶の間に毎日のように詰め、利用者への電話連絡などを続けた。また、生活支援コーディネーター(SC)有志と共に有償の助け合い「お互いさま・新潟」の事務局をしばらくの間は継続。「助け合い」の重要性・必要性を確認する貴重な機会ともしていった。
その後、コロナの対応を見極めながら6月1日、「衛生面に万全を期して」実家の茶の間を再開した。お昼を出せないため、最初は午前の部と午後の部に分け、運営時間も10時から16時だったものを15時までと1時間短縮しての運営となった。そんな中でも10月には「実家の茶の間6周年」のお祝いを開催。中原八一市長らをお迎えし、人気の「カレー昼食」を復活させた。それも「密」を避けて2部制で味わうことにした。だが、その後もコロナ禍は収まらない。みんなが待ち望む「お昼」の本格提供はできずじまい。6周年のお祝いだけの「昼食復活」だった。
(2021年)
2年目に入った2021年もコロナ禍は続いたが、河田さんらは利用者の声を聴きながら、粘り強く茶の間の運営に取り組んだ。そして6月、河田チームは打って出る。実家の茶の間の「令和3年 年度初めの当番研修」を実施し、「地域包括ケア推進モデルハウス」の意味を自らで問い直す機会とした。地域包括ケアを構築する2025年が次第に迫ってきている。「コロナ禍の中でも、モデルハウスの役割を果たしていくべきだ」との使命感も河田チームの背を押していた。河田さんは、利用者や当番さんたちの気持ちを丁寧に聞きながら、「以前と同じ姿の茶の間運営」を目指し、歩を進めることにした。そして6月23日、河田チームは「7月5日から、具だくさんのみそ汁を中心にした食事が始まります。運営時間も以前と同じ10時から16時に戻します」と貼り紙した。決断の決め手は利用者の声だった。河田チームは何回も利用者から希望を聞き、ニーズを確認して、「このままお昼なしを続けてはいられない。参加者のためにも、モデルハウスの役割を果たすためにも、以前と同じ姿に戻そう」と、みんなで決めたのだ。
しかし、試練は続く。8月にはデルタ株による感染急拡大を受けてお盆明けの18日から「実家の茶の間を9月上旬までお休みにします」との方針を再び打ち出した。しかし、この時は前年の2月末のように「完全に休止」ではなく、河田さんや当番チームが運営日には常駐し、「茶の間に来る人は拒まず、受け入れる」との方向を打ち出した。「完全休止」にしなかった理由は、河田さんが本文の中で語っていたように「コロナ感染も怖いけれど、同じくらい、茶の間を休止することによる身体的・心理的影響も怖い」からだ。河田チームはこのことに学び、コロナに対しても「しなやかな対応」を身に着けていたのだ。
河田チームの活動は続く。お昼の復活は11月8日からと慎重だったが、その間、10月18日から3日間、「実家の茶の間・紫竹7周年」を記念する写真展などを開いた。それも単なる「回顧展」ではなく、実家の茶の間の目的やモデルハウスの存在意義を問い直す工夫がなされていた。
そんな体験・積み重ねがあって、河田チームは「オミクロン株の感染拡大」に対して、今回は「とりあえず茶の間は継続」との決断を下したのだ。それは「茶の間は、利用者にとって欠かせない場なのだ」との確信に裏付けられている。今、オミクロン株の感染拡大に際し、エッセンシャルワーカーへの対応が社会活動を維持する上で大きなポイントとなっている。そんな中、「エッセンシャルな場」となっている実家の茶の間は、オミクロン株の感染拡大に今後どう対応していくのだろうか。
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