実家の茶の間 新たな出発27

地域の茶の間

*実家の茶の間 新たな出発(27)*

<年明けにオミクロン株感染拡大②>

―それでも加茂市長ら熱心に視察―

―「まん防」適用に、通常運営は休止―

<綱渡りのような日々>

2022年の年明け以降、オミクロン株による新型コロナウイルスの感染拡大は、みるみる列島全体に波及していった。1月10日には沖縄など3県に「まん延防止等重点措置」(まん防)が適用され、さらに新潟県なども同措置の適用申請に向けての動きが始まった。そんな中「実家の茶の間・紫竹」では、10日(月)の運営日に参加者の声も聞きながら「当面は昼食も含めて活動継続」の判断を下した。しかし、新潟県内の感染者増加の動きは止まらず、連日のように「過去最高の感染者」が出る状況となった。実家の茶の間を運営する河田珪子代表をはじめとするお当番チームは、参加者の希望を踏まえて粘り強く運営を続けた。それは「綱渡り」のような日々だった。

<加茂からは議長・経済人チーム>

1月17日(月)午後、以前から約束されていた加茂市からの視察団が実家の茶の間にやってきた。参加者リストには藤田明美市長、五十嵐裕幸副市長をはじめ市執行部のほか、滝沢茂秋議長、経済界からは「山忠」の中林功一会長らが名を連ねている。縁を取り持ったのは新潟市の「茶の間の学校」校長も務めた清水義晴さんだ。新潟市で暮らす清水さんは、全国各地の地域活性化に関わる「まちづくりコーディネーター」で、ユニークな靴下づくりで知られる山忠の中林会長と親交があり、今回の視察が実現した。

写真(左)=実家の茶の間を視察する加茂市チーム (右)=藤田明美・加茂市長(左)は精力的に視察をこなした

藤田市長は実家の茶の間の活動は以前からよくご存じで、市議時代に茶の間を訪れたこともあったという。滝沢議長は市議として何年も前から「実家の茶の間の活動はこれからの高齢社会に欠かせないもので、加茂市でも導入すべき」との立場で加茂市議会一般質問に実家の茶の間を取り上げていた。そんな縁とネットワークがあったため、今回の視察団は加茂市と清水さんらの混成チーム約10人となっていた。

写真(左)=実家の茶の間の写真を見る藤田市長ら (右)=今回の視察の縁を取り持った清水義晴さん(手前)と河田珪子さん(左)

<藤田市長は早速、参加者の中に>

藤田市長は到着早々、「ここはもう一回、じっくり見たかったんですよね」と河田さんらにあいさつすると、一行がそろうのを待ちきれないように茶の間の参加者の中に入って話を聞き始めた。その後、メンバーがそろうと河田さんやお当番さんの案内で実家の茶の間の台所など内部を丁寧に視察。次いで河田さんや新潟市の望月迪洋政策調整官らから話を聞き始めた。加茂市のメンバーは実家の茶の間運営チームと新潟市の「協働事業」の仕組み・やり方について関心が強いようで、実家の茶の間の立ち上げの経緯から詳しく聞き取りをしていた。

新潟県内ではこれまで、関川村や弥彦村、出雲崎町などの町村で「地域包括ケア推進モデルハウス」について学ぶ動きが先行していたが、新潟県庁が実家の茶の間の活動に強い関心を示していることもあって、県内自治体に実家の茶の間への関心が高まってきたようだ。「加茂市さんは、市長さん・議長さんが熱心だし、経済界の方も一緒に来られている。いい取り組みになるのでは」と、茶の間のお当番チームも期待していた。視察は3時間に及んだ。

<「茶の間が閉まったら、どうします?」>

1月19日(水)も実家の茶の間は普段通りの姿だった。この日は、新潟市と包括連携協定を結んでいる公益財団法人「さわやか福祉財団」の鶴山芳子理事が、新潟市との打ち合わせもあって、顔を見せていた。人気のカレー昼食をみんなで食べ終え、茶の間に寛ぎの輪が広がった30分後、河田さんが「皆さん、ちょっといいかしら」と話しかけ始めた。オミクロン株の感染が拡大する中、「今後の助け合いをどうするか」の問い掛けだった。

「今こうして茶の間で皆さんと良い時間を過ごしていますけど、もしオミクロンがまん延して、ここの施設も閉じなければならない場合もくるかもしれないですよね。そうならなくとも今の時代、オミクロンの濃厚接触者に誰がなってもおかしくないわよね。私たちがなるかもしれないし、ご家族がなるかもしれない。もし皆さん、あるいは家族の方が濃厚接触者になって、買い物に行けなくなったとしたら、どうされますか?誰か、例えば茶の間のお仲間で買い物を頼める方がいらっしゃいますか?皆さん、どうでしょう?」と河田さんが座敷の真ん中に立って、語り始めた。

写真=住宅地図を手に、参加者に問いかける河田珪子さん(左)

突然の問い掛けに、参加者は互いの顔を見合わせたり、困惑の表情を浮かべたりして、すぐに反応する人はいない。その様子を見ながら、河田さんは参加者の記憶を呼び起こすよう、地域の住宅地図を手にして、さらに一歩踏み込んだ。「じゃあ皆さん、思い出してください。昨年の夏、デルタ株の感染が広がって、ここを『いったんお休みにします』とお伝えした時があったでしょう。でも、買い物など困りごとがあったら、当番チームが頼まれた買い物を家にお届けするから、必要な方は住宅地図に自分の家の場所をマークすることにしたじゃありませんか。ほら、ここに付箋がついているでしょう」と住宅地図をみんなに示した。

<助け合いの中心・武田さんが倒れたら?>

それでも半年前のこととあって、反応は鈍い。今度は河田さん、茶の間を舞台にした「助け合い」の中心となっているサポーターの武田實さんを例に引いて話を進めていった。87歳の武田さんのことは以前にこのブログでも紹介したが、実家の茶の間の外回りの面倒から昼食づくりの手伝い、さらに茶の間に集う方々からの頼まれごとを「有償ボランティア」の形でこなす「茶の間のスーパーマン」のような存在だ。

「じゃあ皆さん、武田さんに困りごとをお願いしている方はどうでしょう?」と問いかけると、あちこちから「あっ、お願いしているわ」「武田さんにはホント、助けてもらってます」などと声が挙がった。その声を引き取って、河田さんは「そんな武田さんの具合が悪くなったり、濃厚接触者になられたりしたら、皆さんは困りますよね」と続けると、多くの人がうなずいた。その様子を見た河田さんは、「では、武田さんご自身は、ご自分が具合悪くなった時、どうするんでしょう?武田さんは誰か、頼みごとができる方がいらっしゃいますか?」と踏み込む。

写真=河田さんの話を聞く武田實さん(中央)ら

河田さんの問いかけに武田さんは、「いや、そうなるのを私は一番恐れているんです。自分自身も困るし、みんなにも迷惑を掛けるからね」と話された。その答えにお隣の女性が反応した。「『武田さんはお元気だから』なんて思っていても、オミクロンには元気もお年も関係ないわよね。こればっかりは誰がかかるか、分かりませんからね」と提起する。みんな、そろそろ自分ごととして茶の間が閉じた時のことや、買い物に行けなくなった場合のことを真剣に考え出したようだ。

<「いざという時、どうしますか?」>

独り住まいの武田さんのことを心配しだす方もいた。「ホントに武田さんは良く動いて下さる。だから、私は武田さんがお困りの時は買い物ぐらいして差し上げたい」と言い出す方もいた。参加者たちは現実味が増したのか、隣の人と話し合ったり、「やっぱり武田さんは大切なんだわね」と独り言を言ったりする方もいて、座はざわつき始めた。

河田さんが話を引き取るように、「今回は、とりあえず頼まれたものを玄関にお届けするレベルの助け合いができないか、みんなで考えましょう。いざという時はどうするか?やっぱり考えておくことは大事ですよね。特に今はオミクロンが感染拡大しているし、みんな他人事じゃないですよね。私たち、こうやって茶の間で良い時を共有しているけれど、茶の間の役割はそれだけじゃない。いざという時、助け合える関係、お願いできる方をつくっておくことは大事ですよね」と言い、「今日はこのぐらいにしておきましょうか。住宅地図をお回ししますから、自分の家をマークしてあるか、必要な方は確認しておきましょう」と話を変えると、皆さんで住宅地図を確認する作業に移った。

<「茶の間のノウハウはすごい!」>

これを見ていた「さわやか財団」の鶴山さんは、「良い場面を見せていただいたわ。こういうノウハウがあるって、やっぱり実家の茶の間はすごいですね」と河田さんに語り掛けた。「昨年の8月、住宅地図に印をつけてもらった時、私たちは当番チームで買い物支援ぐらいできるよう準備をしていました。『買い物を電話で頼まれる時は立て替えも必要になるから』と、立替金も用意しましたよね」と河田さんは当番チームと当時のことを振り返った。話題になった武田さんについては、河田さんがいざという時の連絡先を確認済だった。

「できるだけ茶の間は続けたいですけど、オミクロン次第でどうしてもここを閉めなければならない時がくるかもしれません。そんなことになっても、電話1本で頼みごとができる関係が茶の間で広がっていると良いですよね」と河田さんはみんなに語り掛けた。

<新潟県にも21日から「まん防」適用>

実家の茶の間では互いに助け合う関係が既にできている。しかし、それは茶の間が開いていることを前提にしている。「コロナで、ここをまた閉じなければならなくなったら、参加者の皆さんの暮らしは大丈夫なのか」との思いが河田さんにあって、この日の問い掛けになったようだ。

写真(左)=外からも分かるように実家の茶の間の縁側に貼りだされた「休止」のお知らせ (右)=参加者名を書くリスト。参加費は100円となった

そして、実家の茶の間が通常運営ができなくなる日が、またやってきた。新潟県が申請していた「まん延防止等特別措置」が国に認められ、東京都などと共に21日(金)からの適用が20日、決まったのだ。この決定を受けて河田チームはまた機敏に動いた。20日には、次の運営日である24日(月)から実家の茶の間の通常運営をいったん休止することに決め、参加者たちへの連絡に取り掛かった。「休止」と言っても、そこは「実家の茶の間流」。運営日の月・水には茶の間の玄関は開けておき、「来る方は拒まず、但し利用は1時間だけで利用料は100円」とする方式だ。河田チームは、再びコロナ禍に柔軟に対応しようとしている。

<青空記者の目>

 河田さんたちがオミクロン株の脅威に怯えながらも、実家の茶の間の運営を続けてきたことには理由がある。まず、「何とか茶の間を続けてほしい」「茶の間が閉じてしまったら、行くところがなくなる」―などの参加者の声に応えたい、との気持ちが基本にある。さらに今回の加茂市のように「コロナ禍の中でも、地域包括ケアシステムを構築する準備をしていきたい。そのために、ぜひ実家の茶の間の活動を視察したい」との要望が各地から寄せられていることも理由の一つだ。

 しかし、「まん防」の新潟県適用を受けて、実家の茶の間も「通常運営はいったん休止」にせざるを得なくなった。それでも、河田チームは前を向いている。まず、参加者の気持ちを考えて、「玄関は開けておき、当番も運営時間には常駐」との方針を打ち出した。河田さんは「私、ずっと茶の間にいますよ」とサラリと言う。24日(月)、26日(水)の様子を見ると、常連の参加者やお当番さん・サポーターら十数人が茶の間に顔を出している。その中には、新潟市内で「助け合い活動」をやっているメンバーの姿もあった。コロナ禍で厳しくなる助け合いについて、河田チームの助言を求めてきたのだ。参加者だけでなく、包括ケアの関係者にとっても実家の茶の間は「駆け込み寺」になっているのだ。

写真=「休止」となった実家の茶の間に詰めるお当番さんたち(1月26日)

 しかし、オミクロン株との闘いは長期化を覚悟せざるを得ない。2日間の様子を見て、河田チームは31日(月)からの運営を微調整した。現在の茶の間の状況について参加者・関係者への情報提供をさらに密にしていくと共に、お当番チームの負担とリスクを減らすため、お当番さんが茶の間に詰める日や時間帯を再調整したのだ。「玄関は開いています・連絡はいつでも取れます」とのメッセージを出すことで、参加者に安心感を持っていただきながら、実家の茶の間は前進を続けている。

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