ブログ「青空リポート」師走のキャンパス

教育

◆ブログ「青空リポート」・師走のキャンパス◆

2024年12月19日

―青陵ホールで「北朝鮮を考える」―

―帰還事業65周年を機に国際フォーラム―

<師走キャンパスで2つの取り組み>

師走を迎えた青陵キャンパスはこれまで同様、活気に満ちています。

15日には「北朝鮮帰還事業65周年」を機に市民団体主催の国際フォーラムが青陵ホールで開かれ、韓国や米国からも代表が参加し、活発な議論が行われました。

また、18日には学園のクリスマスライブが開催され、歌や演奏、ダンスなどで一足早いクリスマスを楽しみました。師走の青陵キャンパスをスケッチします。

<「帰還事業と北朝鮮を考える>

今年は在日朝鮮人の方やその家族が北朝鮮に〝帰還する〟事業が開始されてから65周年となります。帰還港に選ばれ、長くその役割を果たしたのは新潟港でした。当時、北朝鮮は「地上の楽園」などと喧伝され、多くの方々が希望に満ちて帰還船に乗り込みましたが、その結果は悲惨なものでした。北朝鮮の暮らしは大変に厳しく、また在日朝鮮人の夫と共に北朝鮮に渡った「日本人妻」は大変な差別を受けたことが脱北者らの証言で明らかになっています。

<韓国では「北送船」と呼んでいた>

韓国では「帰還事業」を「北送」と言い、「帰還船」は「北送船」と呼んでいたそうで、北朝鮮での暮らしの実態が明らかになった現在では〝非人道的取り組み〟との見方が定着しています。ただ、事業が始まった当初は多くの新潟市民が「善意の国際協力」との立場で捉えていただけに、今も大変に複雑な思いを抱え、後悔の念を口にする方も多くいらっしゃいます。

写真=青陵ホールで開かれた北朝鮮の人権に関する国際フォーラムで挨拶する韓国側代表

<私の最初の「異文化体験」>

私ごとになりますが、私の実家は新潟市内で旅館を営んでおり、帰還船が出る度に多くの見送りの方がお泊りになり、旅館は大賑わいだったことを記憶しています。中でも最初の帰還船が出る前日(昭和34年12月13日)、「今日は団体客で一杯になるから早めに風呂に入れ」と母に言われ、旅館の風呂に入っていた時、大勢のお客様が浴場に入ってこられました。顔かたちは同じなのに皆さんの話す言葉が私にはさっぱり分からず、一瞬、「自分の耳がおかしくなったのではないか」と思ったことをよく覚えています。これが当時小学校5年生だった私の初めての「異文化体験」だったかもしれません。

その後も毎月のように帰還船が出港し、うちの旅館はもとより市内の多くの店が賑わって活性化効果があったように思います。しかし、見送りの方の中にはその後、「送られる側」になった方も多数いらっしゃり、その多くが悲惨な運命を辿ったことを考えると大変に複雑な思いにとらわれます。韓国では新潟市の状況を懸念し、北の情報を取る意味もあったと思うのですが、1983年に駐新潟韓国総領事館が開設しました。その後、新潟市の中学1年生だった横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されたことが明らかになり、北朝鮮への市民感情は一気に悪化、市民の憤激を招くことになります。

<中央ふ頭で追慕式>

今回の国際フォーラムは市民団体「新ボトナム会」が主催する「北朝鮮人権啓発国際行事2024in新潟」の一環事業として行われました。ちなみに「ボトナム」とは朝鮮の言葉で柳を意味し、帰還船が出た新潟西港中央ふ頭につながる道に帰還事業を記念して柳を植え「ボトナム通り」と呼んだことから「新ボトナム会」の名が生まれたそうです。

写真=会場に掲示された帰還船を見送る人々の写真とフォーラムの意義を説明する横断幕

最初の帰還船が出た12月14日にちなみ、14日には中央ふ頭で「追慕式」が開かれました。脱北した川崎栄子さん(新ボトナム会代表)らが花を手向けて北朝鮮で亡くなった方を追悼し、今も北で暮らしている方々の一刻も早い帰国を願いました。

<青陵でのフォーラムの意味>

15日に青陵ホールで開催された国際フォーラムは、日本国内の北朝鮮人権問題(拉致被害者、特定失踪者、在日北送事業)などを世界に広く知ってもらい、その解決に資するために開催されました。青陵学園は横田めぐみさんが拉致された現場から近いこともあって、これまでも新ボトナム会の事業に協力してきました。

開会のあいさつの中で私は①北朝鮮への帰還事業に多くの新潟市民が善意から加わり、その後、深い失望と悔恨に苛まれていること②横田めぐみさんら拉致被害者、特定失踪者ら全員を取り戻すまで新潟市民は決してあきらめないこと③自由と人権の重要性を訴える新ボトナム会などと今後も連携していくこと―などを表明しました。

写真(左)=韓国代表の挨拶を日本語で紹介する李ソラ・実行委員長 (右)=米国などからもリモートで関係者が参加。国際的な広がりを見せています

その後、韓国代表らが次々と発言し、約10万人と言われる北朝鮮に渡った在日朝鮮人とその子孫たちの人権を取り戻すことの重要性を訴えました。本学園で学ぶ学生・生徒たちにも知ってもらいたい取り組みであり、新潟の歴史でもあります。

 

―にぎやかに「クリスマスライブ」―

―演奏、ダンス、ビンゴ 250人が歓声―

<多彩な演目に大きな拍手>

クリスマスイブも近づいてきた18日、恒例となった学園の「クリスマスライブ」が青陵大学1号館特設ステージでにぎやかに開かれました。ライブに合わせキッチンカーや青陵コミュニティカフェ「ぶるーすたー。」も出店。素敵な音楽と美味しい味を堪能しました。ライブにはご近所の方や青陵アルムナイ(同窓会・仲間たち)のメンバーも加わり250人ほどがクリスマスの雰囲気を楽しみました。

<開会挨拶で1年振りかえり>

写真=開会の挨拶で1年をふりかえりました

クリスマスライブの開会に当たり挨拶をさせてもらいました。今年は元旦から能登半島地震が発生し、大変な年明けとなってしまいました。能登の復旧・復興は困難を極めていますが、そんな中、本学園のボランティアセンターが企画した復旧支援などに本学園の大学・短大生たちが手を挙げ、汗を流してくれたことに感謝を申し上げました。また、学園としては女子バスケが今年も大健闘してくれて、見事2年連続インカレに出場し、学園を活気づけてくれたことも大変に嬉しい思い出です。そして、クリスマスイブ本番にはファミリーや親しい方と楽しい時を過ごすことを祈念して、「メリークリスマス!」と叫ばせていただきました。

<ウインドアンサンブルでライブ開始>

写真=ウインドアンサンブル有志を先頭に、にぎやかにクリスマスライブが繰り広げられました

ライブは青陵ウインドアンサンブル有志の演奏でスタートしました。次いで能登宏先生のウクレレ独奏でのクリスマスメドレー、そして菅原陽心短大学長のフルートが「星に願いを」など、心にしみる奏での音を響かせ、筝曲部のジブリメドレーと続きます。お琴4台の競演はなかなか聞きごたえがありました。さらに学園教職員から成る「青陵ウクレレ会」には太田伸男・幼稚園長も加わり、ジングルベルでクリスマス気分をかき立てます。続いてはストリートダンス部の出番。軽快なステップで観客を魅了しました。

写真(左)=ライブの呼び物の一つ、教職員チームのウクレレ合奏です (右)=ステージでは若さが弾けていました

<ビンゴ大会では大興奮>

お楽しみの学生ビンゴ大会は学友会からプレゼントもあって、これも大盛り上がり。ご近所さんも、お母さんとお父さんと参加した幼稚園児も大はしゃぎ・大興奮での楽しい時を過ごしました。

ビンゴ大会の後はロックバンドが登場。女子学生のバンドはギターとコーラスが絶妙でした。トリは大学卒業生と在学生、さらに海老田大五朗先生で編成する「青陵アルムナイ」のロックバンドがピアノとドラム、ギター、ベース、そしてボーカルの競演で締めてくれました。

写真=特別ステージは使い勝手も良く、上の階からも楽しめます

ステージを盛り上げてくれたすべての方に感謝します。メリークリスマス!

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