実家の茶の間再開11

地域の茶の間

*「実家の茶の間」再開*(11)

―「河田さんを一人にはできない
私たちも茶の間に詰めます」―

<茶の間の宝「お当番さん」に聞く①>

2020年6月~7月13日

みんなの居場所「実家の茶の間・紫竹」には、なぜ、こんなに穏やかでゆったりした空気が流れているのだろう。それは実家の茶の間運営委員会代表の河田珪子さんの長年にわたる地域福祉の実践と「日本一の福祉都市・にいがた」を築きたいという強い意志に負う所が大きいと思うのだが、より直接的には実家の茶の間を実際に切り盛りしているお当番さんたちのチーム力の賜物ではないだろうか。今回からは、実家の茶の間の運営に当たるお当番さんたちの姿と思いを紹介する。

<朝のミーティングからスタート>

写真=「実家の茶の間・紫竹」恒例の朝のミーティング。河田さん(手前左)は隅に控えている(7月13日)

7月13日(月曜日)の午前9時半。「実家の茶の間・紫竹」の玄関は既に開け放たれ、大広間には河田さんとお当番さんたちが顔をそろえていた。実家の茶の間が開かれる午前10時の30分以上前には当日のお当番さん二人と、それを自主的にサポートするメンバーが集まり、9時半からはその日の運営について確認するミーティングが開かれるのが恒例だ。この日のお当番さんはベテランの藤間優子さん(72)に齋藤洋美さん(61)の二人だ。他にサポート役が7、8人。その中にはご近所の常連組で、実家の茶の間の「植木水やり係」兼「何でも修繕役」の武田實さんの顔も見える。

写真=畳カバーの修繕をする武田實さん。「何でも屋で、ここに来ると忙しいんだよ」と笑った

<きめ細かくミーティングで確認>

この日のミーティングは、当番の藤間さんが進行役を務めた。実家の茶の間を6月1日に再開するに当たって、河田さんが作成した「新型コロナウィルスの感染防止を踏まえた『実家の茶の間・紫竹』」とのペーパーに基づき、注意事項を確認する。現在、実家の茶の間では利用者に当番が検温した上、従来のノートではなくて「参加票」に必要事項を記入してもらっている。「参加票に記入して大広間に入った後、また玄関に戻ってしまう方がいらっしゃるんですが、この場合、どうしましょう」と藤間さんがみんなに諮る。一人が「その場合はもう一度、検温などしてもらう方が良いのでは」と意見を述べ、「そうですね」と全員が確認をする。衛生に配慮する事項の確認では、藤間さんが「おトイレは自分が使った時は出る時にノブなどをアルコール消毒。人が入られた後も、気が付いた人がさりげなく消毒をね」と念を押す。利用者にお配りする飴を入れた袋については、「来られた方が、あれこれ選んで袋に触らないように気を付けて」と藤間さんが細かくチェックを入れる。脇で聞いていた河田さんが「選ばれる時は、目で選んでもらってね」とダメ押し。最後に「ここは風通しが良いんで縁側を開けっぱなしにしているけど、熱中症には細心の注意を。飴も塩飴のようにしょっぱいものを多く入れた方がいいかもね。暑くなってエアコンをつける場合は、換気に気を付けましょう」と河田さんが締めくくった。

<「河田さんとは10年超す付き合い」>

この日、進行役を務めた藤間さんは、河田さんとの付き合いが「10年を超す」というベテラン組だ。河田さんが泊まることもできる常設型の地域の茶の間、「うちの実家」を運営していた頃に河田さんと出会った。「私が60歳で定年になり、介護労働安全センターで介護職の試験を受けた時の講師が河田さんでした。家が『うちの実家』に近かったこともあって、お手伝いを始めました。うちの実家の時の運営の決まりごとが実家の茶の間に活かされていて、私も自然にここで運営に携わっています。ここに来る当番メンバーは、みんな得技・性格が違う。それを河田さんがうまく組み合わせ、能力を引き出してくれるから、いいチームになっていると思う」と藤間さん。そう言う藤間さんは、勤めの時に経理を担当しており、今は実家の茶の間の「財務担当」だ。限られた資金を切り盛りして、実家の茶の間を持続可能にしている。新型コロナで活動を休止せざるを得なくなった時、河田さんは利用者との連絡を絶やさないよう、開業日の月・水曜日には一人で実家の茶の間に詰め始めた。「河田さんを一人で頑張らせるわけにはいかない。当番チームの誰が言うともなく、『河田さんを一人にしておくと、ネズミに引っ張られると悪いから』と、私たちもここに詰めることになりました」と藤間さんは笑う。その時、連絡を途絶えさせなかったことが、利用者の方との信頼関係をより深くしたのだった。

<「地域担当」のお当番さんもいる>
一方では、実家の茶の間が東区紫竹に開設されたのが縁で、お当番さんになった方もいる。片山ミキエさん(77)もその一人だ。片山さんは地域の民生委員や地区事務所の居場所運営など、地域福祉に携わっていた。ある日、河田さんが挨拶にやってきた。話を聞くと、片山さんの向かいにある空き家を使って実家の茶の間を新潟市とともに運営するという。「福祉の世界で河田さんは有名だったから、その本人が挨拶に来られたんで、もう、びっくりしました。取り壊されことになっていた空き家を茶の間に活用するというんで二度びっくり。茶の間がオープンした日の午後に知人が呼びに来て、そこから引きずり込まれました」と片山さんは笑いながら語る。それ以降、開業日の月・水曜日はほとんど毎日、実家の茶の間に通うことになった。
河田さんはこれまでも茶の間と地域の縁を大切にしてきた。地域の老人クラブのお年寄りや小学校・保育園の子供たちが茶の間に来るのは大歓迎だ。地域の小学校などとの縁が深かった片山さんは、地域と実家の茶の間をつなぐ「地域係」の役割を担うようになった。地域の二つの小学校や保育園に実家の茶の間を紹介し、子どもたちとの関係を深めた。「小学校の子どもたちが実家の茶の間に初めてやってきた時は、本当に嬉しかった。みんな最初はランドセル担いで来てくれて、お年寄りもすごく喜んでくれました」と片山さん。駐車場係も大切な役割だ。実家の茶の間の駐車場が満杯になると、まず自宅の駐車場を提供し、ご近所にも協力を求めて、実家の茶の間の「地域係」を務めている。「茶の間が紫竹にできてくれて、本当に良かった。今では私の生きがい。自分の楽しみのために来ています」と笑顔を広げる。

<ベテランと月イチ組みがコンビ>

もっとも当番チームは藤間さんのようなベテラン・常連組だけではない。「月1回なら、お当番をやれます」と手を挙げてくれる方も大歓迎し、新規メンバーも積極的に発掘している。月イチ組や新人さんは、ベテランさんとコンビを組むのが通例だ。この日の齋藤洋美さんは秋葉区で有償の助け合いをに取り組んでいる地域福祉のエキスパートだが、「空いている時間にお手伝いできることがあれば」と、月に1回は実家の茶の間で当番を務めている。「ここが始まって、1、2年してから、当番をやらしてもらっています。再開後ではきょうが2回目です」と言いながら、慣れない非接触型の体温計で、訪れる利用者の検温などに追われていた。

<青空記者の目>

「実家の茶の間・紫竹」を始めて訪れた方は、どうしてこの場にこんなにゆったりとした空気が流れ、利用されている方が自由な時を過ごすことができるのか、魔法を見ているような感じがするのではないだろうか。それは河田さんが30年近く前から始めた、居場所―地域の茶の間―うちの実家からの経験・ノウハウがあるからなのだが、その歴史の中で育った素晴らしいスタッフの力が大きいことも間違いのない事実だ。お当番さんたちは、実家の茶の間の宝なのだ。また、実家の茶の間は地域との関係を重視している。開業日の月・水曜以外は地域の老人クラブや自治会の集まりにも積極的に会場を提供し、その結果、多くの地域の方が実家の茶の間の利用者・支援者になっている。

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