茶の間再開10

地域の茶の間

*「実家の茶の間」が再開*(10)

―多彩な人材が 茶の間を支えている―

2020年6月24・29日

「実家の茶の間・紫竹」も6月24日で再開8日目を迎えた。実家の茶の間は、すっかり落ち着きを取り戻し、程よい距離感の下、お年寄りらが穏やかな表情で寛いでいる。この空間を支えているのは、実家の茶の間運営員会代表の河田珪子さんをはじめとする多彩な人材だ。人材の中には、茶の間が開いている日はほぼ毎回、顔を出して河田さんを支えているコアメンバーもいれば、月に一回、当番さんをやってくれる方もいる。24日の当番さんの一人は岡昌子さん(65)だった。

<夫が「地域人間」に変身>

岡昌子さんは、新潟市北区新元島町にお住まいだ。新元島町は地域福祉に熱心な地区で、自治会役員の多くが「茶の間の学校」を受講している。「茶の間の学校」とは、河田さんと新潟市が2016年から始めた協働事業で、茶の間の活動をより充実させたり、身近な地域に自ら茶の間を立ち上げたりする人材を育成するための「学校」だ。昌子さんの連れ合いである岡正美さん(72)は8年前、64歳で定年を迎えた。ちょうどその時、自治会の班長の番が来て、正美さんの生き方が変わったという。「それまで、町内のことなんか何もしない人だったのに、班長になって地域人間に生まれ変わりました」と昌子さん。両親の介護もあって地域福祉にも目が向き、自治会の社会福祉部の初代部長に就任した。「夫自身が団塊の世代のせいもあってか、団塊の世代がみんな75歳以上になる2025年問題にも関心が出たみたい。『お年寄りの介護に地域で対応しないと大変なことになる』と言い始め、茶の間の学校を受けに行きました。一期生です」と昌子さんは言う。

<地域で「茶の間の学校」を受講>

昌子さんは、その以前から地元の中学校の地域教育コーディネーターなどを務める「地域人間」だったが、夫の変身に刺激されて茶の間の学校も受講。二期生となった。そこで講師役の河田さんと知り合い、身近な地域で助け合う人材を育成する「助け合いの学校」も夫婦で受講した。「助け合いの学校」は河田さんが新潟市に提起し、2018年から始まった協働事業で、ワンコイン500円での「有償の助け合い」の輪を新潟市全域に広げようとしているものだ。新元島町では自治会が音頭を取り、「茶の間の学校」を20人以上が受講。助け合いのボランティア登録者も25人近くになったという。新元島町では「地域の茶の間」を開設し、有償の助け合いも始まった。助け合いの事務局を夫の正美さんが務め、「件数自体はまだ少ない」と言うが、地域での助け合いも始まっている。

<ベテランと組んで当番をこなす>

昌子さんは「実家の茶の間・紫竹」の当番をやり出した。河田さんらは積極的に新しい当番さんを発掘し、ベテランさんと組む形で当番役を増やしてきた。毎月中旬には電話などで連絡を取り、次の月の当番役を決めて茶の間の運営に当たっているのだ。昌子さんは、この日が再開後初の当番役だった。「実家の茶の間が再開できるか、すごく気になっていました。きょうの様子を見て、茶の間が再開できるかどうかは運営者の意識が大きいことが良く分かりました」と昌子さん。「茶の間の学校」で河田さんに出会えたことに夫婦で感謝しているという。「人間、やっぱり地域に関わると変わってくる。新元島では茶の間もできたし、『この町内で暮らして良かったな』と思える地域にしていきたい」と昌子さんは語るのだった。

写真=実家の茶の間をアルコール消毒するお当番さんたち。みんなが手伝うので、誰が当番か分からないケースも多い

<福祉の専門家も茶の間で勉強>

一方では、福祉の現場で働いたり、行政職員として福祉に関わったりする人にとっても実家の茶の間は「貴重な場」であるようだ。地域や自分の家で医療・介護が受けられる「地域包括ケアシステム」を推進する「支え合いのしくみづくり推進員」(全国では生活支援コーディネーター)も以前から多くの方が実家の茶の間に顔を出し、さまざまな情報を共有している。机上の議論になりがちの推進員にとって、実家の茶の間は貴重な「現場」なのだ。そのことを6月最後の開業日、29日も含めて実感することが多かった。

例えば、介護施設で働く人も実家の茶の間から学んでいる。特養に勤務するAさんもその一人だ。「利用者という形で実家の茶の間に参加させてもらっています。ここに通うと、場づくりというか、人と人のつなぎ方が大変に勉強になります。特養だと、利用者と職員がきっちり分かれてしまうが、ここは違う。例えば食事の時に、利用者の間に職員が入っても良いんじゃないか。ここのフランクな雰囲気を、特養にも持ち込むことができるんじゃないか―などのヒントを沢山もらっています」とAさん。

<「話すということは、すごく大切」>

新型コロナ禍に見舞われ、Aさんは「話すことの大切さ」を痛感したという。「特養などの介護施設も、家族の方や傾聴ボランティアの方の出入りを制限せざるを得なくなり、入居者が話をされる機会が極端に減りました。お年寄りが、すっごく楽しみにしていたものがなくなると、元気もなくなっていく。実家の茶の間が再開されて、きょう初めて来ましたが、みんなお話をされることを大変に楽しんでいる。こういう場に身を置いて、さりげなく話をするということがいかに大切なことなのか、改めて感じました」とAさんは語った。新型コロナで公民館や居場所が閉鎖され、今も出入りに制限がある場所も多い。「どうすれば、みんなが顔を合わせて、おしゃべりができるようになるのか…。実家の茶の間は、その意味でも参考になります」とAさんは話を続けた。

<青空記者の目>

「実家の茶の間・紫竹」は、さまざまな人材に支えられているが、同時に多くの方を育てる場にもなっている。福祉担当の行政職員や「支え合いのしくみづくり推進員」などで、直接に「福祉の現場」を持たない方々にとって、実家の茶の間は「現場」を実感できる貴重な場となっている。それだけでなく施設介護のプロにとっても、「当番さんも含めてみんなが参加者」という実家の茶の間のやり方は「大変に勉強になる」と言うのだ。

「新潟県庁に勤務していた時、実家の茶の間に出会った」と言う女性も、再開した茶の間を訪れていた。「介護保険から漏れていくものをどうしていくべきなのか―それを考える時、河田さんたちの取り組みが大変に参考になった。実家の茶の間のような所がないと、自分事として在宅福祉のことを考えられなかった」と振り返る。その女性は退職した後、自らで地域の茶の間をやり出した。「私たちの茶の間も近く再開します」。その女性はうれしそうに語った。

 

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