実家の茶の間 新たな出発22

地域の茶の間

*実家の茶の間 新たな出発(22)*

<7周年展を終え 次の展開が始まった③>

―「お互いさま・新潟、復活したい」―

―中央区のSCが声掛け 20人が会合―

<助け合いのベテランも出席>

11月11日(木)午後、新潟市の地域包括ケア推進モデルハウス「実家の茶の間・紫竹」には運営日でもないのに、運営委員会代表の河田珪子さんをはじめ主だった顔ぶれが集まっていた。実家の茶の間では地域の老人クラブなどが会合を開くので、運営日以外の日に集まりがあるのは珍しいことではないが、この日の会合は雰囲気が違う。新型コロナウイルスの感染が拡大する前まで、河田さんらが実家の茶の間を事務局にして行っていた有償の助け合い「お互いさま・新潟」に参画してくれていた方の顔も見える。その方たちは「エンジンメンバー」と言われ、河田さんが30年ほど前に始めた有償の助け合い「まごころヘルプ」の時から関わってきた方も含め、皆が「助け合いのベテラン」だ。

会合を河田さんたちに呼び掛けたのは、中央区全体を担当する1層の生活支援コーディネーター(SC、新潟市では「支え合いのしくみづくり推進員」と呼ぶ)阿部恭子さんと、同じく中央区で宮浦・東新潟中学校校区を担当する2層のSC滝澤清香さんだった。SCとは、地域包括ケアシステムを推進するため国が市町村に設置した制度で、地域包括ケアの推進役という重い役割を担っている。生活支援の分野では「自らが助け合いの先頭に立つ」のではなく、「助け合いの気風を地域で育てる」という難しい役割も担っている。新潟市では1層を各区単位、より地域に密着する2層は複数の中学校区をエリアとし、中央区は5圏域に分かれている。滝澤さんは同地域のSCを務めて5年目になるベテランで、コロナが広がる前、毎週のように実家の茶の間に顔を出し、お互いさま・新潟のことも河田さんらから学んでいた方だ。

写真(左)=11月11日、実家の茶の間で開かれた会合。奥の中央が滝澤清香さん。その右が阿部恭子さん。(右)=この会合には20人ほどが参加した

<2層のSC、滝澤さんの思い>

今回の会合は、滝澤さんが「コロナで休止してしまっている、お互いさま・新潟を何らかの形で復活できないか」と阿部さんに相談して実現したものだった。滝澤さんに会合をお願いした理由を聞いてみると、こんな答えが返ってきた。

〈7月に中央区のSCの会議があって、そこで「お互いさま・新潟」のことが話題になりました。みんな「また、やれたらいいよね」「あってほしい」と言うのですが、コロナの前のように、「実家の茶の間を事務局にして、SCも詰める形は難しい」との声が多かったですね。そのことは河田さんにもお伝えしました。そんな中、私の担当圏域で「介護保険のサービスではできないと言われたのだが、買い物の支援をしてほしい。何とか来てくれないか」との依頼がきたんです。有償の手助けのニーズがあることはこれまでも確認されていたんで、「あっ、やっぱり」と思いました>

写真(右)=滝澤さんが常駐する新潟市地域包括支援センター宮浦・東新潟の事務所。(左)=執務中の滝澤清香さん

滝澤さんはこのことで、困りごとを抱え「手助け」を求める人がいることを再確認した。その一方で、滝澤さんは担当圏域を自転車で移動しながら、「助け合い」に関心を示す方のさまざまな声も聞いていた。

<地域を動いている中で、有償の助け合いを広める「助け合いの学校」を以前に受講された方に会うと、「助け合いはどうなったの?コロナで家から出にくくなったけど、助け合いなら社会貢献なので、家から出やすいのよ」とか、「以前、『こんな依頼があるんですが、お願いできませんか』と、お互いさまの事務局から電話もらったんだけど、その時は条件が合わずダメだったの。私、やる気はあるんだから、助け合いを再開するときは声を掛けてね」とか、何人もから言われていました。そういう方のフォローもできていなくて、心苦しく思ってもいました。それで、「何とか、うちの圏域の関係者だけでもまず集まって、助け合いのことを相談できませんかね」と1層のSCの阿部さんに相談したんです>

<「助け合いの学校」受講者に連絡>

滝澤さんが阿部さんに相談したのが1カ月ほど前だった。阿部さんは今年度から中央区の1層のSCに就かれた方だが、以前に実家の茶の間がある東区の1層のSCも務め、「お互いさま・新潟」の大切さや、有償の助け合いには河田さんたちが持つノウハウが重要であることを知っていたため、すぐに反応した。2人は河田さんに相談し、「まず、宮浦・東新潟圏域と、お互いさま・新潟の関係者とで話し合ってみましょう」との話がまとまり、この日の会合となったのだ。

「11月の第2木曜日の午後と、こっちで日程を決め、圏域内の助け合いの学校受講者らに連絡しました。結構『その日はダメ』との返事もあったのですが、『助け合いはもういいさ』と言う人はいませんでした。『次は出るから、また声掛けて』と言ってくれる人もいて、関心は高いと感ずることができました」と滝澤さん。11日に出席したのは20人ほどだった。SCは阿部、滝澤さんに加えて、鳥屋野・上山圏域の担当がオブザーバーとして加わり、宮浦・東新潟圏域からは助け合いの学校受講者が出席した。この中には地域の民生委員の会長さんもいた。河田さん側からは「お互いさま・新潟」のエンジンメンバーらが顔を出した。

<長続きする「助け合い」とは…>

会合はまず自己紹介を兼ねて、自らが困ったときに「助けて!と声を挙げられるか」や、「コロナで困ったことは?」などについて、それぞれが自らの感想や体験を紹介しあった。「地域に何度も同じ話をされる方が目立つようになった。コロナで外に出られず認知症の方が増えているのでは…」とか、「民生委員のやることではないが、こんな困りごとを聞いた」とか、様々な話題が出された。エンジンメンバーからは以前からの助け合いの事例が紹介され、滝澤さんは「こういうノウハウのある方たちと、また一緒に助け合いができたら良いのに」との思いをさらに強くした。

写真=11日の会議は3時間ほど続き、活発な意見が出された

エンジンメンバーの優れているところに、「これは有償の助け合いで取り組むべき事例なのか」を判断する能力がある。「お互いさま・新潟」が動いていた時は、実家の茶の間で電話相談を受け、相談があった地域のSCと河田さんらが相談しながら対応を決めていた。「手助けをほしい人と、手助けできる方を結び付けるだけでは十分ではない。双方が納得して、長続きできるような関係づくりまでいかないと本物ではない」「手助けをした側よりも、手助けを受けた側の感想を聞くのが大事」などのことを滝澤さんも学んでいた。そんな滝澤さんのもとには、今も困りごとの相談が寄せられている。責任感の強い滝澤さんは「SCとして何とかしてあげたい」と思う気持ちが人一倍強いのだろう。会合の席でも「今日の集まりがあると聞いて、(困りごとが解消されるのではと)とても楽しみにしている、期待している方がいらっしゃるんですよね…」と発言もしてみた。

写真=会議を終えて、意見交換するSCの滝澤清香さん(左)と阿部恭子さん(中央)

しかし、11日の会合では助け合いの具体的マッチングには話を進めず、「これから、どう態勢をつくり上げていくか、他地域とも情報交換をしつつ、さらに話し合いを続けよう」との方向性で合意。次の集まりを来年1月に開くことを確認して終わった。滝澤さんは会の後、気持ちを取り直すような笑顔を浮かべ、「困っている事例を紹介して、『手助けできる方がいれば、すぐにでもやってもらいたい』との気持ちが今日もありました。私、いつも河田さんたちをすぐに頼ってしまうんです。でも、そう簡単にはいかない。助け合いを持続可能にしていくことの大切さを、また教えてもらいました」と語っていた。

<青空記者の目>

 この日の話し合いを終えて、河田さんは「この集まりは本当に良かったです。滝澤さんたちは、話がすっと進まずにもどかしかったかもしれないけど、こういう助け合いは『互いの心がどう動いていくか』を見極めていくことが大切なんです。ちょっと時間が掛かります」と言って、こう続けた。「お年寄りたちには、いろいろな困りごとがあって、それを解決するのに介護保険制度だけでは足りません。国は『地域包括ケアシステムでやっていく』というのだから、責任感の強いSCさんは困りごと相談に対し、『それは、できません』とは言いたくないし、言えない。だから辛いのよね。それもあって、以前はお互いさま・新潟に相談にきてくれていた。お互いさま・新潟をコロナ後にどうしていくか…。行政を中心にもう一度、みんなで考えていかないとね。滝澤さんたち、SCは辛いと思うのよ」

 この日の会合で象徴的な場面があった。「次の会合をいつ開くか」―みんなに諮った時のことだった。最も早い「1カ月以内」に、ぱっと手を挙げたのが滝澤さんと阿部さんだった。それだけ切実度が高いのだろう。次回の開催は年明けになったが、「1人の困りごと対応に、1人で応えることはない」、「週に1回、手助けがほしい方には2人で。週2回の方には3人で対応するなど、1人の負担を軽くしていくことが有効」、「助け合いの学校で研修を受けた方が手助けチームに1人入ると、ぐっと手助けがやりやすくなる」―などのさまざまな知恵が出されていた。こんな知恵をみんなで共有しながら、「助けて!」と言い合える地域を(地域包括ケアのいったんのゴールとなる)2025年度までにつくり上げる必要があるのだ。

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