実家の茶の間 新たな出発17

地域の茶の間

  *実家の茶の間 新たな出発(17)*

<活動7周年 歩みを振り返る節目④>

―記念品に心込めて 「祝」の筆文字―

―お年寄りたちも、できることで「総参加」―

<「侃々諤々、大騒ぎでした」>

新潟市の「実家の茶の間・紫竹」では、10月に入り活動7周年を記念する「写真展」(18日~20日)の準備が進んでいた。6日(水)には実家の茶の間のお座敷も写真展に飾る多数の写真が散らばって「作業場」のようになっていた。1週間後の13日、さらに慌ただしくなっているではと思いつつ伺ってみると、意外にも落ち着きを取り戻していた。玄関近くの目立つ壁面には、これからの活動を考えるきっかけとして「地域共生社会のみちすじ」とのタイトルで、実家の茶の間が大切にしてきた標語や目標などがまとめられていた。茶の間の日常を伝える「ある日の茶の間」のパネルも何枚か貼られ、子どもたちからのメッセージコーナーの展示も概ね終わっていた。

真(左)=「作業場」の雰囲気は薄れていたが、まだまだ写真の取捨選択作業は続く。(左から)桑原洋子さん、河田珪子さん、高見久美子さん。実家の茶の間が大切にしている精神は玄関わきの目立つ場所に掲示された(写真右)

運営委員会代表の河田珪子さんは「写真バラバラ状態はもう終わりですかね。これからは、やるべきことを一つ一つ詰めていかないとね」と穏やかな表情で語った。「でもね。2、3日前までは大変だったんですよ。写真の展示の仕方とか、お出でいただく方の動線を決めていくのに、みんなで侃々諤々。大騒ぎしていました」と河田さんはいたずらっぽく笑う。みんな熱心のあまり、結構な大議論になったようだ。そんな過程を経て、動線などの大枠を決め、写真展示の仕上げは河田さんとお当番チームのまとめ役らが、茶の間の運営日ではない15日(金)から17日(日)までの3日間で仕上げることにした。

<次々と「筆書き」のお年寄り登場>

一方、座敷ではお年寄りたちが周年事業への協力をできる範囲で進めていた。地域の老人クラブの会計も務める安達アヤ子さんは、茶の間に着くなり、筆の準備を始めた。すると当番の渡部明美さんが心得ているのか、墨をすったり、記念品のマスクを入れた包みを取り出したりと、手助けを始める。筆字のうまい渡辺さんがいつも「祝」や「○周年」などの文字を書いてくれることになっているようだ。「祝7周年 実家の茶の間・紫竹」と安達さんが何枚か書き始めると、同じ座敷にいた大矢房子さんが寄ってきて、隣で様子を見始めた。渡部さんが「大矢さんもお書きになりますか?」とすかさず聞くと、黙ってうなずく。渡部さんがすぐに別の筆を用意して、2人並んで記念品に心を込めて「祝7周年」の字を書いていく。

写真(右)=記念品に「祝7周年」などと筆で書く安達アヤ子さん(左)を見守る大矢房子さん。その3分後には大矢さんも筆書きを始めた。お当番の渡部明美さんが墨をすってサポート(写真左)

すると、廊下に置いた机でも佐藤静子さんが筆書きを始めた。座敷で寛いでいたお年寄りの中には「記念品の包装を手伝いたい」と言う人も。マスクを入れた記念品は当初、130個ほど用意することにしていたが、これもみんなの意見で150個に増やすことにしたのだそうだ。お年寄りたちも「できることを、自発的に」「何をしてもいい。何をしなくてもいい。」―との「実家の茶の間精神」で動いているようだ。

写真(左)=記念品のマスクを包装する利用者たち。力仕事はお当番チームの出番。河田さんも手伝う(写真右)

<一番大事なのはトイレ対応>

当番チームのまとめ役が一番気に懸けているのが、実はトイレだ。お年寄りが多いし、写真展で訪れる人の中には実家の茶の間に不慣れな方もいる。「トイレを汚してしまったり、中にはお漏らしをされたりする方もいらっしゃる。そういう時に、さりげなく対応することが大事なんです。幸い、うちのチームには福祉施設などで働いた経験者が何人もいて、そんな対応には慣れています。写真展など、大勢の方が来る時、正規のお当番がトイレのことであたふたしたらダメですよね。そこは別動隊がさりげなくやる。高齢社会の茶の間は、どこでもそういう対応が必要になってきます」と河田さんは「福祉のプロ」の一面を見せた。

<青空記者の目>

 「実家の茶の間・紫竹」の活動7周年を記念する写真展の準備は、最後まで「実家の茶の間流」で進められ「ていた。利用者のお年寄りたちを含めて「みんなで関わる」「みんなが、それぞれのできることをやる」―方式で準備していくのだ。80歳を優に超す地域サポーターや利用者の皆さんが、「できる範囲でやれることを」当たり前のようにこなしていく姿には、「地域共生社会」の実例を見る思いだ。

 それを可能にしている土台が河田チームの存在だ。その一人、長島美智子さんは「普通のチームは、代表の方が『この担当は誰、この日は誰』と決めるのでしょうけど、ここは違うんですよね。私も15日から20日までは用事で来れない日が1日あるけど、あとは自発的に来ます。みんな『私は何連投』、『私は一日おき』などと自分で決めていきます。言われてやるんじゃ、長続きしません。みんな自主的にね。そう、主体性が大事なの」と、ちょっと誇らしく河田チームの特性を語るのだった。

 

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