*「実家の茶の間」 新たな出発(4)*
<「当番研修」を終えて 決断の時②>
―「7月食事再開」へ、みんなで一丸―
―「私たちって、不思議なチームね」―
「実家の茶の間・紫竹」では7月からお昼を再開することを決め、それと連動する形で活動時間をコロナ前の午前10時から午後4時までに戻すことにもした。表面上はあっさりと決まったように見えるが、「昼食再開」には実家の茶の間運営委員会代表の河田珪子さんをはじめ、お当番さん一人ひとりの心の葛藤があった。このことはブログ3回目に紹介した通りだが、いったん方向が決まると「河田チーム」の動きは速い。14日に大きな方針を確認すると、実家の茶の間を切り盛りするお当番さんらを中心に、茶の間に関わるみんなが一丸となって動き出した。「ちょっと変ですよね。ことが決まると、こんなスピードで動き出すなんて。私たちって、不思議なチームですね」と、河田チームのメンバーは自らのことを面白がりながら、7月からの食事再開に向けて走り出した。
写真=「実家の茶の間」の6月23日の様子。みんなお昼の復活を楽しみにしているようだ
<「4人当番制」復活に、電話かけまくり>
お当番さんの月ごとの割り振りダイヤをつくる「まとめ役」の一人、長島美智子さんは、「昼食復活」の方針が固まると、すぐに7月のお当番さんダイヤづくりに仲間たちと取り掛かった。お昼をお休みしている今は毎回の当番さんを2人でこなしてもらっているが、お昼を復活するとなると料理担当2人が加わり、4人体制になる。7月からの新しい当番ダイヤをつくるのは大仕事だ。14日の方針確定を受けて、お当番さんをやってくれる方たちのリストを見ながらの電話掛けが始まった。作業に当たるのは長島さんのほか、実家の茶の間のすぐご近所で、地域との関係づくりの窓口になってくれている片山ミキエさん。そして、河田さんと30年来の付き合いがあり、障がい者福祉のベテランでもある桑原洋子さんらだ。
「実家の茶の間」では、ひと口に「当番さん」と言っても多種多様だ。何でも任せられるベテランの人や、いつでもお願いできる人もいらっしゃるが、仕事などを抱えて「お当番できるのは月1回」とか、「この日なら大丈夫」と制約のある中で動いてくれる方も多い。茶の間のお昼をつくることに慣れている人と不慣れな人をうまく組み合わせて「良い4人チーム」をつくるのも長島さんたちの役割だ。3人が中心になり、14日から電話を掛け続けた。お昼を提供できなくなってからはお当番を休んでいる方もいるし、お昼をやめてから当番に加わってくれた方もいる。各人の特性を踏まえての当番ダイヤづくりに、みんなが追われた。23日に実家の茶の間を訪れて、長島さんに進み具合を尋ねると、「取りあえず、7月分のお当番は決まりました」と笑顔が返ってきた。
<「食材も一から用意しなくては」>
一方、会計担当の藤間優子さんは昼食用の食材をそろえる準備に大忙しだった。「おコメや味噌・醤油など、一切を処分していたから、すべてを新たに買い揃えないとね。そのために5万円を下ろすことを河田さんと決めました。後は来週、具だくさんのみそ汁をメインにした献立に合わせて、野菜などを用意します。そして、来週末は食器の煮沸消毒ですね」と段取りを考えていた。河田さんも「昼食を出す時のもう一つの問題は、食事代300円で今できるかどうかですね?コロナで食材の値段も上がっているし」と藤間さんと話をし、「具だくさんのお汁をメインにしたお昼は、いつも20品目以上の食材を入れていて、それが人気だったし、栄養面でも良かった。野菜を切る大きさもサイズを決めています。お年寄りが食べやすいことが一番だし、スタンダードを決めておくと、誰でも料理当番をやってもらえますからね」と基本を教えてくれた。
会計担当の藤間さんは、コロナ下での茶の間運営をずっと工夫してやってきた。コロナ前は実家の茶の間の広い座敷が、視察も含めた参加者であふれるほどの状態も珍しくなかった。しかし、コロナ後は「密」を避ける運営を心掛け、参加者は1日25人前後と少なくなっている。参加費は以前の300円から200円に下げ、300円で提供していた食事代も入らなくなり、運営は楽でないはずだ。しかし、実家の茶の間では会計をオープンにし、運営が「持続可能」であることを内外に示してきた。また、実家の茶の間の活動に共感する方たちから善意の寄付が寄せられていることも大きい。河田さんは「おカネは天下の回りものよね」と笑いながらも、藤間さんがつくった会計の数字をしっかりと眺めているのだ。
<回数利用券で助け合いも復活>
この日、当番役の渡部明美さんは、コロナ前の「実家の茶の間・回数利用券」の購入状況を調べていた。この回数利用券は「助け合い」にもワンコイン替わりに使われていたものだ。河田さんチームは、コロナで茶の間をいったん閉めた際、全部払い戻しをして精算していた。再発行に当たり、誰が回数利用券を欲しているのかを把握し、お求めになりたい方にはできるだけ早く情報を伝えるようにしているのだ。「この購入リストを見ると、誰が助け合いに利用しているのか、大体分かります」「茶の間にほとんど来ない方でも購入されている。その方は、頼みごとをする時、この券を活用されているんですね。だから、助け合いは茶の間に来ない方にも広がっていたわけです。回数利用券を再発行すれば、助け合いの復活にもつながるわね」。河田さんと渡部さんは、そう話し合っていた。
写真=「回数利用券」の再発行について語り合う河田珪子さん(右)と渡部明美さん=「実家の茶の間」事務室で
<「昼食の買い出しも6月で終わり」>
その「助け合い」の輪の中心にいる一人が、実家の茶の間の外回りの世話や内部の修繕まで何でも引き受けてくれる武田實さんだ。間もなく米寿を迎えるのに頼まれごとを何でもこなすので、「何でも屋さん」の異名がある。武田さんは23日も正午になるとお昼を配り出した。茶の間でお昼を食べる参加者に頼まれて、お昼前に昼食の買い出しを済ませておくのだ。武田さんの手元には、おにぎりやサンドイッチなど何種類ものお昼が用意されていた。「多い日は7人ぐらいから頼まれるかな。同じサンドイッチでも、卵サンドが好きな人や野菜サンドが良い人といるから、覚えるのが結構大変なんですよ」と言いながらも、楽しそうにお昼を配り始めた。「この作業も、あと1週間で終わりです。7月からは茶の間でお昼を出してくれるからね」と武田さん。自らも実家の茶の間のお昼復活が待ち遠しいようだ。
<「あの具だくさんのみそ汁がいいんだ」>
「茶の間でお昼が出るようになるのを、私が一番楽しみに待っているんじゃないかな」と声を弾ませるのは常連の一人、笠井三男さんだ。笠井さんは80代半ばで、「かみさんをなくして、もう20年以上になるんですよ。これまで、お昼にはおにぎりとか買ってきていたけど、やっぱり、あの具だくさんのみそ汁がいいですよね。コンビニ弁当もたまには良いけど、飽きちゃってね」と、周りの方に元気に話し掛けていた。実家の茶の間では「具だくさんのみそ汁」を基本にしているが、時々お出しするカレーライスの人気も高い。「いつカレーが復活するんだ、と聞かれるんですが、日程を早く教えて、人が来すぎるとまずいからね」「もう少し、内緒にしておきますか」。河田さんたちは笑顔で話し合っていた。
<青空記者の目>
「実家の茶の間・紫竹」では、すごいスピードでコロナ前の姿に戻る取り組みが進み出した。「具だくさんのお汁を中心にしたお昼」「午後4時までの時間延長」が7月から再開され、それに伴って「助け合い」に活用されていた「回数利用券」も復活する。「地域包括ケア推進モデルハウス」として、河田チームが取り組んできた活動の多くが以前の姿に戻っていく。この後、河田さんが気になっているのは、やはり「助け合い お互いさま新潟」の復活だ。
「今も実家の茶の間の参加者同士の助け合いは続いています。ここでは特に武田さんたちが頑張ってくれていて、お弁当の調達やさまざまな困りごとを手助けしてくれている。でも、『お互いさま新潟』の助け合いは、8区のモデルハウスでみんながやり出して市全域に広げることを目指しています。もともと茶の間に来ることができない方も助け合いの輪に入っていただくことが大きな目標でしたから…」と河田さん。
「地域共生社会」の実現に向けて、これからも道のりは遠いが、ひとまず7月に向けての河田チームの出発を見守ることにしよう。
◆「助け合い お互いさま新潟」とは=新潟市の「地域包括ケア推進モデルハウス」第1号である「実家の茶の間・紫竹」が2014年秋に始まって軌道になると、河田珪子さんチームは以前からの構想だった「歩いて15分以内の助け合い」を新潟市全域で始める大きな取り組みの準備に入った。既に「茶の間」を核とする「助け合い」は始まっていたが、「お互いさま新潟」は茶の間にも来ることができない人も助け合いの輪に入れることを目指している。この実現のために、有償の助け合いの担い手を育てる「助け合いの学校」を新潟市との協働事業で2018年に開学。それと並行して「実家の茶の間」に「お互いさま新潟」の事務局を設置し、「困りごと相談」を電話で受け付け始めた。コロナ禍が広がる前は、かなりの相談が寄せられるようになり、地域によっては実際の助け合いも始まった。相談員には河田さんチームのほか、地域包括ケアの推進役となる「生活支援コーディネーター」有志も加わり、実際の困りごとを学ぶ場ともなっていた。しかし、コロナ禍の広がりの前に、昨春から休止状態になっている。
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