茶の間再開18

まちづくり

*茶の開再開18*

    ―「楽しいカレー昼食が戻ってきた!」―

      <「実家の茶の間・紫竹」が一歩前進>

<「開設6周年」のお祝いを兼ねて>

写真=10月19日の「実家の茶の間・紫竹」のにぎわい

10月19日のお昼前、「実家の茶の間・紫竹」はいつにも増して活気があった。この日は、実家の茶の間が2月下旬に活動を一時休止して以来、初めてとなる昼食提供が復活した日だ。献立は、実家の茶の間のお昼で一番人気だったカレーライスで、昼食代は以前と同じ300円。茶の間の厨房では、お当番さんたちが久しぶりのお昼の支度に追われていた。実家の茶の間運営委員会代表の河田珪子さんは、晴れやかな笑顔を浮かべながらも安心安全にお昼が提供できるよう、気を配っていた。「今日は、厨房に大勢の人が入らないよう、ご飯のお替わりはなしですよ。その分、カレーもご飯も盛りをよくしてね。どう、若い人、このぐらいの盛りで良いかしらね?」と、若手参加者に聞きながら、カレーライスの量を調整していた。写真=厨房での準備の様子(左)と、カレー昼食を楽しむ参加者たち

河田さんたちが張り切っているのは理由がある。この日は、「実家の茶の間・紫竹」が開設されてから6周年のお祝いを兼ねているからだ。実家の茶の間が産声を上げたのは2014(平成26)年10月18日。これまでの周年記念のお祝いには新潟市長らを招き、地域の関係者らと共に盛大に祝ってきた。昨年の5周年の時は160人以上が集まり、動くこともままならぬような状態で、まさに大にぎわい。これ以上ないほどの「密」だった。新型コロナの感染が拡大してからは、河田さんらは「三密」を避け、衛生・安全面に最大の注意を払って6月1日に茶の間を再開した。実家の茶の間の再開は、他の茶の間の再開モデルになり、全国からも注目されてきた。しかし、コロナ前にはみんなが楽しみにしていた昼食の提供はできなくなり、午前と午後の2部制での茶の間再開となった。

<慎重に一歩ずつ前進>

 当初は午前の部が終わると参加者は全員がいったん退席し、お当番さんらがテーブルや備品を消毒して、午後1時に再開する手順だった。ただ、それでは遠くから来た人も家に帰って出直して来たり、家の人が送り迎えしたりで大変だった。河田さんらがしばらく様子を見ていると、「お弁当を持ってきたい」と言う方が出始めた。河田さんらは「お昼はまだ提供できないけれど、お弁当ならソーシャル・ディスタンスに配慮し、食事の時はおしゃべりなし」と新しいルールを決めて、夏からは徐々にお弁当OKにしていった。お昼を食べる方が多い時は、大広間とは別に事務所なども活用して衛生面に気を配りながら一歩ずつ前進していった。

 秋口になると、河田さんは6周年の10月中旬をにらんで、さらに一歩を踏み出す準備に入った。「みんなお昼を食べるルールも守ってくれるようになったし、どうかしら?カレーライスでお替わりなし、これならお昼も出せるんじゃない?」と、お当番さんたちに探りを入れた。「いやぁ、お昼はまだ早いんじゃないですか」と言う人。「子ども食堂だって調理をしているわけだから、うちでも食事をつくることは問題ないですよね」と積極的な人。さまざまな反応を見ながら、河田さんはゆっくりとお昼づくりの機運を高めていった。「どうすれば活動を前進させられるか―やっぱり、これを常に頭に置いていく必要があると思う。茶の間も最初は緊張しながら再開し、安全に配慮して徐々に参加者が喜ばれるやり方に前進していきましたよね。感染を最大限避ける努力をしながら、やれることにチャレンジしていくべきだと思う」と河田さん。

<6年で3万3千人以上が参加>

 そんな道筋を踏みながら、河田さんたちは6周年記念日に最も近い19日を「カレーの日」と定めた。中原八一・新潟市長に出席をお願いし、快諾を得たことも河田さんたちを勇気づけた。19日には「コロナ禍で迎えた開設6周年のご報告」をお配りしようと、現行の準備を進めた。河田さんは、その挨拶の中で「再開以降」をこう綴っている。

 「距離を取って一部屋に入れる人数は16人前後。他の部屋や廊下も使って感染防止を心掛けています。座る位置が離れて声が届かず会話もままなりません。それでも人に会える、行くところがある、役に立てることもある。今まで以上に大切な居場所になっています。(略)現在も朝のミーティングでは、文書を読みながら確認し合い、一歩、また一歩と新しい生活様式を踏まえた「実家の茶の間・紫竹」づくりをしております。ぜひ一度足をお運びくださり、お会いできますようにお待ちしております」

 さらに「ご報告」には、「新しい生活様式の実践」を写真などで示した。これは他の茶の間の参考にもなるだろう。そして、6年間の実績を数字で示した。延べ参加者数は3万3千5百人近くになった。コロナ禍に襲われる前は1回平均60人以上の参加者の月もあったが、再開後は25人前後に減り、9月にようやく32人となった。参加料も従来の300円から200円に下げた。それでも、みんなでマスクをつくって売り上げを運営に回すなどの工夫をして前進を続けてきた。苦心の会計報告書・予算書もつけられている。これまで多くの視察・研修が県内外からあったが、再開後は9月になって近い地域からのものを受け付け始めた。

<中原・新潟市長もやってきた>

 コロナ禍の中、苦しみながら活動を再開してきただけに、6周年を迎えられた喜びは大きい。この日は再開後で一番多く、およそ60人が参加した。その中には国から依頼された撮影チームの姿もあった。再開後初の昼食を出すだけに、この日はいつにも増して衛生面での配慮が強化されていた。マスクにつける不織布やフェースシールドを全員に配布し、昼食は密を避けるため正午からと12時半からの「2部制」を取った。正午前、中原市長が到着。参加されたお年寄りたちの挨拶を交わす。「また、茶の間で皆さんとお会いできるようになり、良かったですね」と話し掛ける中原市長に、お年寄りたちも「ホント、助かっていますて」などと応じていた。

写真左=参加者とカレー昼食を味わう中原八一・新潟市長。写真右は茶の間の様子を取材する撮影チーム

昼食の前には、中原市長が「皆さんが、この素晴らしい場を6年間育ててくれました。不自由なことがまだまだ多いと思いますが、ここでみんなとお会いすることで、コロナの時代を乗り切っていきましょう」などと語り掛けた。その後、第一陣にカレーが配られ、「おしゃべりなしの昼食」が始まった。それでも、みんな笑顔を浮かべ、お互いの顔を見やりながら、久しぶりの「茶の間カレー」を満喫していた。「実家の茶の間・紫竹」は、新しい生活様式の中で、また一歩前進した。

<青空記者の目>

 再開後初の「カレーの日」を迎えるのは、そう簡単なことではなかった。「食事を出して、万が一感染したら」との危惧は、関係者の誰も抱いた思いだったろう。そんな中で河田さんは、「よし、昼食をみんなに食べてもらいましょう」との気持ちにお当番さんたちがなるように、粘り強く雰囲気をつくっていった。「そろそろ、どうかしらね?」との河田さんの言葉を何回聞いただろうか。実家の茶の間の再開に向けても同じだった。日程などを決め打ちしているようには見せず、「柔軟に考えていけばいいですよね」と言いながら、6月1日に茶の間は静かに再開されていた。「感染の状況次第で、危ないと思ったら、また閉めればいいんですよ」と穏やかに語りながら、一歩、また一歩と茶の間の運営を前進させていった。そんな「実家の茶の間・紫竹」のあり方は、全国でも注目されている。地域包括ケアシステムの推進に大きな力を発揮してきた「さわやか福祉財団」は、早くから実家の茶の間の視察を希望していたが、この日ようやく実現し鶴山芳子理事が顔を見せていた。「新潟の実家の茶の間の取り組みは、全国の参考モデルです。河田さんたちの取り組みは本当に素晴らしい」と語っていた。河田さんの胸中には「同じところに留まっていてはダメ。工夫をしながら、少しでも良いから前進を続けましょう」との強い思いがあるように感じた。それが、これまで河田さんが「助け合いの道」を歩み続けた根底にあるものかもしれない。これからも河田さんたちは、しなやかに、しかし頑固に、前進を続けていくのだろう。

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