ブログ「青空リポート」モンゴル点描=風土編

教育

◆ブログ「青空リポート」・モンゴル点描=風土編◆

2025年9月22日

―首都も地方も建設ラッシュ―

―秘境探訪へ、欧米系の観光客も―

今月6日から11日まで訪れたモンゴルについて、今回はまちの様子や風土などについて紹介します。

<「モンゴルへ来てないのはあなただけ」>

私はモンゴルへ行ったのは今回が初めてでした。実は新潟市長時代、私はモンゴル国から「北極星勲章」をいただいています。「モンゴル文化を新潟に紹介した功績」が受章理由になっていますが、これは新潟県モンゴル友好親善協会の皆さんが多彩な交流をやってくれたお陰です。当時のフレルバータル・モンゴル大使から「北極星勲章を授与した方で、モンゴルへ一度も来ていないのはあなたぐらい」と会うたびに言われ、肩身の狭い思いをしてきました。今回の訪問で少し肩の荷が下りた気がしています。

<ウランバートルは世界都市>

写真(左)=チンギスハン空港は賑わっていました (右)=空港の一角には「日本から空港建設の支援を受けた」との表示がありました

そんな経緯もあって、モンゴルの首都、ウランバートルのチンギスハン空港に降り立った時には若干の感慨がありました。「ウランバートルは世界都市ですよ」とモンゴル通の方から聞いていましたが、まさにその通りでした。人口は約150万人。モンゴルの人口の半分がすんでいることになります。

写真(左)=ウランバートルのマンション群 (右)=建設中のマンション

中心街の再開発はなかなか難しく、郊外へ郊外へと街が広がっています。軌道系交通が弱いため交通渋滞も激しくなる一方で、時間によってはチンギスハン空港から中心部まで4時間掛かることもあるそうです。

また、「世界一寒い首都」と言われ、私たちが着いた日も新潟の11月くらいの寒風が吹いていて、猛暑に慣れた体が一気に縮む思いでした。これは標高が1300メートルくらいと高いことも影響しているようで、「モンゴルの暑いけれども短い夏」は終わっていました。

<緑なき大地が果てしなく‥>

ウランバートルに1泊しましたが、滞在時間は14時間ほどでチンギスハン空港から目的地オランゴム近くのホブド空港へ。これは17日にアップした「理事長室から」でも書いたように、オランゴムとウランバートルとを結ぶ空路が週2回しかないためです。ホブド空港への約2時間のフライトの間、飛行機から見える風景は緑のない岩と砂の大地がただただ広がっているだけ、しかし、不思議と大小さまざまな湖が点在していて、そこから砂地へと川が流れていました。これまで見たことのない風景でした。

写真(左)=機内から見えた大きな湖 (右)=川も流れていました

ホブド空港へ着くと、青陵学園と1年半ほど前、包括連携協定を結んだエルデミーンエフレル学校(以下エフレル学校)の創設者であり理事長のバヤンサン・バーサンジャブさんらが2台の車で待っていてくれました。これから草原と砂地を約300キロのドライブです。

写真(左)=ホブド空港からオランゴムへ向かう時の風景 (右)=羊の群れもあちこちで見られました

写真(左)=草原と砂の道をひた走るうち、橋なき川を車で渡ることに (右)=夕日が沈むころ、舗装道路にたどり着きました

<落ち着いた町、オランゴム>

日が暮れ始め、「これから草原の道をどうやって走るのだろう」と不安が増す頃、ようやく舗装道路につながってくれました。宵闇が迫る中、かなりのスピードでラストスパート。エフレル学校のあるオランゴム市に着きました。6時間弱のドライブでした。私たちが泊まるホテルは「まだ、できて間もない」とのことで、設備は整っていました。驚いたのはウランバートルのホテルでも珍しいバスタブがあったこと。ウランバートルより寒気は厳しくなかったのですが、冷えた体を湯舟で温めました。

翌朝、オランゴムを少し歩いてみました。かなり綺麗に整備された街並みに建設中のマンションが目につきました。ウランバートルから1300キロほど離れた人口2万人の地方都市にも開発の波が来ているようです。一方では、街の幹線道路を牛がゆったりと歩いてもいました。

写真(左)=オランゴム市でもマンションが建設中でした。向こうの山は5000メートル級で既に山頂には雪が (右)=宿泊したホテルは街でも一番の建築物でした

エフレル学校を訪ねる前、バヤンサンさんが車で街を案内してくれました。街はコンパクトですがマーケットなども賑わっています。「ロシアとの国境はここから100キロちょっと。ロシア人でも我々と同じアジア系部族の人たちはオランゴムまできて買い物をしていく」とのことでした。

 

<オランゴム空港に欧州ツアー団>

写真(左)=ゲルと家が混在するオランゴム市内。土地は1人700平米まで無償貸与されるそうです (右)=羊は街のすぐ近くでも見られます

オランゴムに2泊し、濃密な時を過ごした後、再びウランバートルに戻ります。今度は草原ドライブではなく、オランゴム空港からチンギスハン空港まで空路で戻れることに安堵します。しかし、直航ではなく、途中ムルン空港にいったん降りて、利用客を一部入れ替える「乗り継ぎ方式」です。

オランゴム空港に着いて驚いたのは欧州系の旅行団が複数いたこと。ネイチャー愛好者、あるいは世界の秘境を訪れてみる方たちなのでしょうか。皆、大きいリュックを背負っていました。

写真=オランゴム空港の様子。欧州からのツアー客で賑わっていました

<乗り継ぎ空港からも欧米人が‥>

バヤンサンさんたちとは空港でお別れ。順調に飛行機は飛び立ち、1時間程度で乗り継ぎのムルン空港へ。欧州からのツアー団の一部はここで降り、替りに乗り込んできた方も欧州系のツアー客が目立ちました。私たちはその間、15分ほど機内で待機です。乗り継ぎもスムーズに進み、順調に飛び立ちました。

写真=乗り継ぎで着いたムルン空港。乗り降りする方も欧米人が目立ちます

また1時間程度でチンギスハン空港に到着。ウランバートル市街地のホテルに向かいます。夕方の時間とあってかなりの渋滞が見込まれる中、エフレル学校が手配してくれたドライバーが頑張ってくれました。脇道を多用してくれたお陰か2時間程度でホテルに着くことができました。

<モンゴル在住の日本人と歓談>

ウランバートルでの朝、にいがた産業創造機構(NICO)の海外ビジネスコーディネーターでモンゴルに常駐している藤井一範さんがホテルに来てくれました。モンゴル人と結婚し、ずっとウランバートルで生活している藤井さんの話は大変に参考になりました。モンゴル人の特徴を藤井さんは「臨機応変」と語ってくれました。気候・風土の厳しい砂漠の国・モンゴルではその都度、その状況での判断が大事になるのでしょう。

渋滞が心配なので1時間で話を切り上げ、チンギスハン空港に向かいます。

写真(左)=空港へ行く途中のマンション群 (右)=市街地からほど近くには観光用なのか、巨大なゲルがありました

午前中のせいか、1時間ちょっとでチンギスハン空港に到着し、インチョン空港へ向けて出発。私たちのモンゴル紀行もこれで終わりとします。

写真=韓国・インチョン空港から新潟空港へ。新潟の緑豊かな田園風景が目に沁みました

 

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エフレル学校からはこれまで2回、10代半ばの生徒さんが修学旅行で青陵に来てくれています。今回、実際にエフレル学校を訪ね、新潟―オランゴムの距離を実感した身として、「よく来てくれるなぁ」というのが正直な感想でした。明治30年代、新潟市の新潟商業学校(現・新潟商業高校)の生徒が新潟港からロシア・ウラジオストクへ修学旅行に向かったそうですが、「国の若さ」について考えさせられる旅ともなりました。エフレル学校との交流は青陵学園の生徒・学生にとって貴重な財産であることも実感しました。今後もこの縁を大切にしていきます。

 

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