事業創造大学院大学での講演

教育

<ブログ・事業創造大学院大学での講演>

―事業創造大学院大学でリモート講演―

―「政令市新潟の到達点と課題」をテーマに―

写真=「事業創造大学院大学」のビル(新潟市中央区米山)

<学生80人のうち日本人は23人>

先週の土曜日(6日)、新潟市の「事業創造大学院大学」で1時間半、学生さんたちにお話しをさせていただきました。テーマは「政令市新潟の到達点と課題~アフターコロナを見据えて」としました。大学で話をするとなると、「大きな教室を使って、大勢の学生さんを前にして」とのシチュエーションを想像するのですが、コロナ禍の今は学生さんが誰もいない教室でのリモート講演でした。参加してくれた80人の学生さんのうち、日本人は23人で、後は8カ国・地域からの外国人留学生とのこと。目の前に学生さんがいないと反応が分からない上、私の早口の日本語でどこまでご理解をいただけたのか、不安いっぱいの1時間半でした。

<「アルバイトが減り、困っている」>

 話の最後にご質問をいただいたのですが、ある留学生からは「新潟でもコロナの影響でアルバイトの機会が減り、大変困っている。今後、アルバイトをしながら新潟で学ぶには、どうすれば良いのだろうか。何かアドバイスがあればお願いしたい」と切実な声が寄せられました。コロナ禍が収束する見込みが立たない中、残念ながら的確な答えはできませんでしたが、「今、新潟も飲食・イベント関係の落ち込みが大きく、これがアルバイトの大幅減少につながっている。ただ、新潟県はコロナの感染者比率が全国47都道府県の中で5番目に低く、緊急事態宣言の出ている首都圏と比べて経済活動はしやすく、イベントなどの回復が早くなる土台もある。県は今、独自の警報を出しているが、これと並行して県内限定・地域限定の旅行・飲食支援策が打ち出されると思うので、その動きを注視してほしい。新潟市の国際交流協会などとつながって、情報を取りつつ頑張ってほしい」と言うしかありませんでした。

留学生たちには、少しでも新潟に良い印象を持ち、良い思い出を持って帰国したり、日本で働いたりしてもらいたいと思います。留学生たちが困った時には、声を挙げ、悩みを伝えられる場所があることが重要です。市の関係部署にも留学生から挙がった声を伝えていきます。

では、以下に当日の資料を掲載します。何かのご参考にしてください。

<政令市新潟の到達点と課題>

  ~アフターコロナを見据えて~        2021年3月6日

◆平成の大合併~政令市へ◆

・新潟大合併の特徴

①「平成の大合併」でも最大となる15市町村が1市に

②単なる合併ではなく、国の「合併特例」(70万政令市制度)を活用して、「本州日本海側で

初の政令市」を樹立する取り組み

③単なる合併ではなく、「市役所改革並行型」「合併利益の市民還元型」「新市の理念・都市像

明示型」を目指す

・新・新潟市の特徴=かつてない80万都市

①小粒だが拠点機能フルセット型=国際中核港湾、国際空港、新幹線駅、4本の高速道の結節点

(国内最大級)、総領事館、朱鷺メッセ(当時建設中)

②日本一の農業都市=水田面積が日本最大、農業産出額第1位、食料自給率政令市で断然トップ

の63%、チューリップの切り花・花木類全国1位

③ゆとりと安心の政令市=持ち家比率・1世帯当たりの住宅面積が政令市1位、

出火率・犯罪発生率・給食未納率・NHK受信料未払い率は政令市最低クラス

自治会加入率・消防団員人口比率は政令市最高クラス

*製造品出荷額は中位。人口・商品販売額は低位

・新・新潟市の理念と都市像=新市の特徴を踏まえて⇒「新・新潟市合併マニフェスト~政令市を

開く40の扉」を作成

<理念>「共に育つ」政令市(安心安全)

<3つの都市像>

①世界と共に育つ日本海政令市(創造)

②大地と共に育つ田園型政令市(互恵)

③地域と共に育つ分権型政令市(協働)

 

<3つの都市像ごとのミニ総括と到達点(自己評価)>  

◆「世界と共に育つ日本海政令市」

<活性化分野>

・2005年の大合併~07年の政令市発足=合併・政令市の前倒し効果(工業団地

相次ぎ売却・マンション・ホテル建設ラッシュ)→中越沖地震で暗転(原発絡まり

の風評被害甚大)→08年のリーマンショックが追い討ち⇒食品関連産業が強み発

揮(ニューフードバレー構想へ)

・2009年に県と共に「大観光交流年」で盛り上げ⇔10年以降、新潟県と県内市

町村の不協和音顕在化

・2011年「新潟スカイプロジェクト」立ち上げ→西蒲区と南区に航空機部品共同

工場→両工場が国際認証プログラム取得

・2012年「ニューフードバレー構想」作成→2014年に国の農業戦略特区

・2016年新潟市が分譲する工場団地が完売→「新潟市企業立地プラン」を作成

し、18年までに新たな工業用地選定

<2019年以降の状況>

・工場団地の引き合い多数⇒コロナ禍で様子見→IT企業を中心に新潟に移転の動き

・航空機産業はボーイングのトラブルで急ブレーキ⇒コロナ禍で大打撃⇔EV車への

転換加速…新分野に引き合い

 

<拠点化>

・2006年 懸案の「新潟駅周辺整備(連続立体交差事業)」を県が事業主体とな

り着手→07年から政令市となる新潟市が事業を継承(泉田知事と篠田市長が合

意。県は45億円を新潟市に支援)⇔新潟駅周辺のオフィスビルが老朽化→情報系

の企業誘致に壁⇒新たな展開可能に⇔事業の数年遅れが発覚(国の公共事業抑制の

ツケ→駅周辺のオフィスビル建て替え・まちの南北一体化に遅れ→18年に第1期

開業(新幹線と在来線が同一ホーム乗換)

・2008年にG8労働大臣会合⇔県と県内市町村との距離感が次第に露呈ex港湾

管理者の県の動き鈍く、京浜港から輸出の多い長岡・三条市など5市町と新潟市が

独自に港湾セールス

・2010年に中国総領事館が開設=同年APEC食料安全保障担当大臣会合開催

・2011年 県と市が「新潟州構想」提唱→「新潟州構想検討委員会」設置(県と

政令市の二重行政解消へ動く)→国が「道府県・政令市調整会議」を法制化

・2011年3・11大震災発生⇒本市が最大の救援拠点に(コンテナ取扱量も過去

最高の20万TEUを記録)→同年5月に国交省「高速道のあり方検討委員会」で

新潟市の救援実績を報告⇒「日本海軸」の重要性を民主党政権が認識→後に自公政

権も追認し、日東道のミッシングリング解消へ工事着手⇒新潟市は「救援・防災首

都」を標榜→増した存在感

・一方で同年 ロシア極東航空便が休止。12年以降、空港利用者の減少が顕著に⇔

県の主導する空港アクセス策停滞。さらにコンテナ取扱量も減少。前年割れ

・2015年 G7農相会合を開催⇔同年 県が主導するロシアへの横断航路の韓国

船調達で問題が発覚→16年 県議会で泉田知事の責任を巡り紛糾→同年8月 泉

田知事が4選断念→米山知事に=18年 新潟空港に初のLCCピーチ就航。新潟

港のコンテナ取扱量も久々に前年上回る。クルーズ船も大幅増へ。19年のG20

農相会合の新潟開催も決定

・2018年、米山知事辞任→花角知事に=新潟空港に香港便就航計画→同年8月花

角知事と篠田がソウル、ハルビンに航空路セールス→同9月 県と市が空港・港湾

活性化へ連携強化で合意

<2019年以降の状況>

・県と新潟市の情報交換円滑に→香港線・クルーズ船など誘致成功→LCCの「トキ

エア」など新しい動き⇒コロナ禍で国際線は全便休止、クルーズも⇔新潟空港に一

部民営化の動き⇒22年以降、大きく反転攻勢の可能性

・新潟駅周辺整備は着実に前進⇒万代口エリアのマルタケビル開業⇒南口にバスタ計

画・プラーカに5G対応の新オフィス⇒万代口・南口共にビル新築・建て替えの動

き⇔コロナ禍

・19年6月に木下元財務次官と知事・市長・経済人会議「要諦は自治体と民間の協

働」→県が公民協働プロジェクト検討プラットフォーム⇔態勢不十分⇒コロナ禍

 

<まちづくり・まちなか公共交通>

・2002年の合併協議開始までに、新津・豊栄・白根など合併地域ではシャッター

通り顕在化。バス・鉄道など公共交通も廃止・減便が進む⇒まちなかもバス路線の

廃止・減便進む⇒03年から合併協議の中で「地域それぞれのまちなかを活かすま

ちづくり」を篠田表明⇒後に市のまちづくりの基本となる「コンパクト&ネットワ

ークシティ」に発展

・2005年~「合併建設計画」に基づいたまちづくり進む。まちなかではマンショ

ン・ホテル建設など民活の活発化⇔ダイエー新潟店が閉店(07年ラブラ万代とし

て再生)―07年 イオン新潟南店が開店⇔中越沖地震で深刻な風評被害→まちづ

くりに急ブレーキ⇒イトーヨーカドー木戸店が閉店(11年東区役所として再生)

・2007年バス事業の再生へ国の「オムニバスタウン事業導入」(基幹バス運行や

ICカード導入、バス停整備などを推進)……新バスシステム・BRT導入へ

・2008年「新潟市中心市街地活性化基本計画」策定⇔09年大和新潟店が撤退を

表明→「新潟市まちなか再生本部」設置(新たな交通システム議論)⇒11年「新

たな交通システム導入検討委員会」が「BRTの早期導入」を市に提案→「BRT運

行事業者審査委員会」設置→新潟交通の「BRT区間を青山まで延伸し、全市的に

バス路線を再編する」提案を審査委が了承、市に報告→13年に市と新潟交通が運

行基本協定締結→15年9月開業(システムトラブルなどで初日から混乱)→16

年に「シニア半わり」導入→BRT開業後3年連続でバス利用者増加(14年には

2000万人を割り込んだ利用者が140万人増加し2100万人台を回復)

・2010年ピア万代が開業→13年 新潟日報本社ビル「メディアシップ」完成→

信濃川やすらぎ堤で「みずべりんぐ」開始(信濃川・万代島に賑い)

・2015年 大和跡地の再開発計画が決定(古町ルフル着工―2010年代も中心

市街地人口の増加は続く)⇔16年、NEXT21からラフォーレが撤退⇒17年

夏、NEXT21に中央区役所を移転⇒17年 米山知事が「新潟の拠点化は新潟

市の魅力アップから」と明言。万代島と新潟駅の整備を中心に県と市が協力するこ

とで合意→同年県・市調整会議(JR新潟駅と古町までの間で新潟市の都市デザイ

ン計画の作成で合意)→18年7月、花角知事になって初の県・市調整会議で新潟

市都市デザイン計画を了承⇒同月 県の地価調査で新潟市の地価が商業地27年ぶ

り、住宅地26年ぶりに上昇⇔三越新潟店が「2020年3月までに閉店」表明

<2019年以降の状況>

・新潟三越閉店(「再開発は7、8年後」)⇔古町ルフル開業、旧北光社にマンショ

ン着工―新潟駅周辺再開発と相乗効果も(新中原プラン「にいがた2km」)

・飲食街やイベントはコロナ禍の直撃

・中原市長「BRT見直し・改善」⇒駅南延伸に暗雲⇔「BRT導入しなかったら?

もっとひどくなった」と研究者⇒コロナ禍でバス利用者大幅減⇒バス運行事業協定

見直しバスの営業走行キロ数ダウン(持続可能なまちづくりに暗雲)

 

◆「大地と共に育つ田園型政令市」

<食と農の活性化>

・2005年の大合併を前に、「市民と農業者が互いに恵み合い、食と花を発信する

都市を目指す」ことを確認⇒07年「食の新潟国際賞」制定を決定(10年から2

年に1度表彰)→「フードメッセ」を本格開催→08年リーマンショックで不況時

の食品加工産業の強さを実感⇒12年に「ニューフードバレー構想」を作成。「が

んばる農家支援事業」開始

・2009年 自然栽培もテーマにする映画「降りてゆく生き方」の新潟ロケ→「奇

跡のリンゴ」の木村秋則氏との縁ができ、コメなどの自然栽培が普及―同年「完全

米飯給食」を田園型政令市のシンボル事業として開始→11年、すべての子どもた

ちに農業体験と食育を実施→12年 南区に宿泊型農業体験ができるアグリパーク

などの整備決定(14年オープン)―同年 鳥屋野潟南部に食と花の交流複合施設

「いくとぴあ食花」の整備決定(14年にグランドオープン)→2013年「6次

産業化大賞」を実施→食と農を子育て・教育・福祉などにも活かす「12次産業化

推進計画」作成

・2014年「国家戦略特区」に本市の農業戦略特区計画を選定→2015年 ロー

ソンなど10社が本市で農業参入。耕作放棄地の再生や6次産業化などに成果→水

田センサなどICT農業をNTTドコモらが開始→本市と市農業委員会が新たな役割

分担で合意。各種手続きがスピーディーに→2016年、農業特区の規制緩和を活

用した農家レストランが3軒オープンし人気→同年、石破・国家戦略特区担当大臣

がローソンファームと農家レストランを視察→食と農と文化を徹底連携させる「食

文化創造都市」づくりのシンボルとなるレストランバスが本市で全国初の運行開始

―16年 食文化で人を呼ぶガストロノミーツーリズム構想を作成→18年 安倍

首相が本市農業特区でコンバイン、トラクターの自動運転などスマート農業視察

<2019年以降の状況>

・国は農産物輸出に力⇒「日本ブランド」(食と農が主力)の輸出へ

・コメ依存からの脱出へ県が「園芸重視」(新潟市が最大の園芸産地)⇒中原市政は

「食と農」重視継続⇒コロナ禍⇔「食と農」の見直し⇒「フード&アグリテック」

 

<環境・健康>

・2007年 ごみ減量へ10種12分別のプログラム作成⇒ごみ有料化開始(ごみ

30%減量)→ごみ処理手数料市民還元事業開始(08年から)⇒「田園型環境都

市」の取り組みを国に提案。13年「環境モデル都市」に選定→15年ごみ分別ア

プリを公開→市民団体に市の公共施設の屋根を貸し太陽光発電開始

・2007年 「食育・健康づくり推進本部」設置→「スマートウエルネスシティ首

長研究会」に加入(「健幸都市」づくりに取り組む)⇒11年 見附市などと共に

国の「スマートウエルネスシティ総合特区」に新潟市指定⇒14年「健幸マイレー

ジ」開始⇒16年 各区の健康情報を公開し「地域ミーティング」→17年「新潟

市健康寿命延伸計画アクションプラン」策定し「健康寿命延伸アワード」新設。減

塩「ちょいしお」キャンペーン開始

<2019年以降の状況>

・「2050年にカーボンニュートラル」菅首相表明⇒環境重視の方向性高まる⇔柏

崎刈羽原発再稼働に影響?

・健康寿命延伸はさらなる国家課題に⇒コロナ禍⇒健康への関心さらに高まる

 

◆「地域と共に育つ分権型政令市」

<協働のまちづくり>

・2002年に任意の合併協=合併地域の不安に対し、「新潟市役所を改革し、分権

型の政令市をつくる」と市長約束(「新潟市は合併で大きくなるから、逆に小さな

単位を大切にする。それは昭和の大合併の前のまち・ムラだ」)→職員の意識改革

へ03年に「研修型事業仕分け」、04年に「市民に学ぶ部長研修(「うちの実

家」などボランティア活動の現場視察)実施

・2005年大合併⇒合併市町村に「地域審議会」設置→07年「分権型」を明示し

政令市に移行=その象徴として「大きな区役所、小さな市役所」を旗印に→8区に

区自治協議会を設置。一方で地域自治の単位として、小学校区を基本に地域コミュ

ニティ協議会(コミ協)設置を決定(97コミ協が誕生)⇔10年ごろからコミ

協の活動に大きな差→市長がコミ協に優先的取り組み課題を明示=「地域の安心安

全強化」「学区内での子どもたちの見守りなど子育て支援」「高齢者や障がい者支

援など地域地域福祉の充実」の3点→11年 区自治協の活動活発化へ「自治協提

案予算枠300万円」を新設→14年 自治の深化へ「区長会議」新設、公募区長

登用。区づくり予算増額→17年 自治協をより柔軟に運営する制度変更

・2005年「行政改革プラン2005」を策定→以後4回プラン改定(日経系シン

クタンクの「行政革新度調査・総合評価」で12年に全国4位、「行政経営革新度

調査・透明度分野」で14年は全国1位に)→15年 地域ごとに公共施設の最適

化図るファシリティマネージメントへ「地域別実行計画」策定開始。(第1号は学

校統廃合を進める旧潟東村地区。以後も施設統廃合など懸案のある地区を優先し、

18年までに全域で策定)

・2011年「第2次男女共同参画行動計画」を策定(以後、毎年「市の係長登用女

性比率目標」「審議会などの女性委員比率目標」「教頭登用女性比率目標」などを

明示。女性委員比率は北九州市に次いで政令市2位に)

<2019年以降の状況>

・国・県・市そろって財政難⇒自治体の力不足から協働を重視⇒コロナ禍⇒財政難

・地域の絆を福祉・安全面からさらに重視

・男女共同参画重視は世界的潮流⇔日本は遅れ⇒「森会長発言」⇒五輪を機に加速

 

<子育て・教育>

・2004年 次世代育成支援行動計画「すこやか未来アクションプラン」を策定

し、保育施設を充実⇒以後、07年以降「保育施設定員率」政令市トップ。「待機

児童ゼロ」を16年まで継続(17年3月に待機児童2人確認→18年「保育園配

置計画」策定)→08年に「すこやかパスポート」発行。10年にワンストップ窓

口「子育てなんでも相談センターきらきら」開設。15年に市立乳児院「はるか

ぜ」開設。

・2006年 教員の人事権を持つ政令市移行前に、全国初の「市教育ビジョン」策

定。「学校を地域に開き、地域から支援される学校づくりを」と市長⇒「学社民の

融合」掲げる→「県教委ではできない、あるいは時間のかかる改革に取り組むよ

う」市教委に指示⇒「マイスター教員制度」を新設→全国学力テストで小学校は政

令市トップに(政令市の学力をマスコミに公表し始めた18年は小学校国語・算数

各1分野で政令市1位)。残る課題は中学校

・2007年 政令市移行⇒地域教育コーディネーターの配置開始(篠田市政2期目

で全校に配置)⇒学校と地域の関係が飛躍的に良化(学校と地域の良好な関係を顕

彰する文科大臣表彰が設けられて以来、本市小中学校が毎年2受賞)⇒「地域の達

人」となるコーディネーターを輩出

・2008年から、「公民館改革」に着手。「地域課題の解決に寄与する人材育成

を」と市長⇒「貸館に満足せず、社会人材を育てる公民館へ」改革

・2009年 田園型政令市のシンボル事業として「完全米飯給食」を開始→11年

「食育・花育センター」オープン⇒「教育ファーム」を整備。「アグリスタディプ

ログラム」を作成して、「すべての子どもたちに農業体験と食育」を開始

・2018年5月 本市の小2女子が殺害される悲惨な事件が発生。子どもたちの見

守りを地域ぐるみでさらに強化し、「通学路総点検」運動が全域で

<2019年以降の状況>

・注目集める待機児童問題⇒待機児童ゼロが国家課題に

・文科省がGIGAスクール構想⇒コロナ禍⇒GIGAスクール・リモート教育加速

・文科省が「コミュニティスクール」=新潟市は地域と学校の関係重視⇒20年に各

区にモデル校→22年から全校をコミュニティスクールに

 

<福祉=地域包括ケア>

・2003年 河田珪子さんが創設した「地域の茶の間」(新潟発みんなの居場所)

開設支援を本格化(現在市内に500か所程度)→同年 河田さんらが宿泊もでき

る「うちの実家」を開設(13年に10年の活動を終了)⇒国の「地域包括ケアシ

ステム」提唱を受け、14年に河田さんチームから市長に新たな提案(「うちの実

家」のノウハウを活用し「地域包括ケア」への移行に備えて新しい支え合いの担い

手を育てる場を開設し、市と実家運営委員会で協働運営)⇒提案を受け、14年に

地域包括ケアシステム・モデルハウスの位置付けで「実家の茶の間・紫竹」を開設

(家賃・光熱費は市。運営費は河田さんチームが負担)→16年 身近な地域に

「茶の間」を開設・運営する人材を育てる「茶の間の学校」を市と河田さんチーム

が協働運営⇒18年 外出の難しいお年寄りや障がい者のニーズに応え、お宅に入

り生活支援を担う有償ボランティア制度「助け合い お互いさま・新潟」を河田さ

んらが実践→同年 「お互いさま」の有償ボランティアを育成する「助け合いの学

校」を協働で開設

・2014年 国の地域包括ケア方針(地域・在宅で看取りまで)を受けて、市は

「新しい支え合いの仕組みづくり」に着手(←新潟市では既に齋藤医師らによる

「在宅での看取り実践が始まっていた。それに学びながら輪を広げる取り組み」

→同年 全区で在宅での看取りを可能にする医療・介護チーム「在宅医療ネットワ

ーク」結成⇒市医師会が協力、16年までに「在宅医療・介護連携センター」を全

区に設置

・2015年 市は「さわやか福祉財団」と包括連携協→別途、15年から包括ケア

準備として「第一層」「第二層」の協議体(新潟では「支え合いのしくみづくり会

議」)を立ち上げ、生活支援コーディネーター(支え合いのしくみづくり推進員)

を順次配置⇒市は河田チームの協力を得て17年までに8区9か所にモデルハウス

を開設

<2019年以降の状況>

・国は2025年から地域包括ケアシステム普遍化へ準備(「実家の茶の間」は「居

場所・通う場」のモデル)⇒コロナ禍⇒「居場所」に壊滅的打撃→「実家の茶の

間」再開⇒「地域共生社会」の全国的モデル

・国の財政難⇒有償ボランティアに期待(介護保険制度の「要支援」を皮切に「介護

1~3」程度の生活支援は有償ボランティアに順次移行を模索)⇒コロナ禍=地域

包括ケアへの移行準備に遅れ⇒国は「助け合い お互いさま・新潟に注目」→国の

モデルに想定⇔「お互いさま・新潟」事業が休止状態

 

<福祉一般>

・2005年 自立する社会福祉協議会への改革に着手し「懇談会」設置→06年か

ら社協改革を本格化(市長が社協会長を辞め、民間人を登用するなど順次改革)→

同年 26か所に地域包括支援センター設置

・2008年 特養待機者を調査し、1000人の実質待機者を確認⇒10年の市長

選マニフェストで「特養の整備5年前倒」を明記⇒以降、前倒しで整備を推進→

17年 本市の特養整備率が政令市でトップに

・2010年 生活困窮者世帯の子どもに「学ぶ居場所」を提供する「子どもの学習

支援事業」開始

・2011年 福祉課題解決のつなぎ役「地域福祉コーディネーター」育成開始

・2012年 民生委員の負担軽減のため「民生委員協力員制度」導入

・2013年 障がい者就労相談から就職の定着まで一貫支援の「就業者支援センタ

ー・コアサポート」設置⇒15年 「市障がいのある人もない人も共に生きるまち

づくり条例」を制定→同年「障がい者あぐりサポートセンター」を開設。田園資源

を障がい者雇用に活用

・同年 自立相談支援機関「市パーソナルサポートセンター」開設

・2016年「認知症初期集中支援チーム」を中央区と南区で設置→18年までに全

区展開

<2019年以降の状況>

・福祉重視は世界的潮流⇒コロナ禍・財政難⇒「地域共生社会」

 

<安心安全>

・2004年 中越大地震で長岡を中心に支援活動→05年 新潟大停電が発生

(東北電力と厳しい意見交換)→07年 政令市移行(ハイパーレスキュー配備

→08年の岩手・宮城内陸地震などで出動)→中越沖地震が発生(大規模な風評

被害→首都圏などで新潟市の安全PR)→11年3・11大震災発生(10時間後

に先遣隊が仙台市役所到着→仙台の避難所運営を支援。一方、水道・消防は石巻市

を支援→市職員をチームで派遣。福島を中心に多くの避難者を受け入れ→在日中国

人は新潟空港から母国へ)⇒新潟が最大の救援センターとして機能⇒新潟市の「救

援拠点」としてのミッションが顕在化⇒「防災・救援首都」構想を掲げる→国の

「国土強靭化モデル第1次実施団体」に選定→「国土強靭化地域計画」を策定→

18年 平成で最大の豪雪(除雪費106億円)→西日本豪雨で岡山・総社市の避

難所運営支援。倉敷市にはごみ運搬支援

・2006年 市女性消防団員「ひまわり隊」が発足→07年に政令市移行→出火

率が政令市で最少クラスに(14~16年は出火率最少)

・2011年3・11大震災で大量の放射性汚泥が河川に流入⇔処理を巡り県と対立

⇔被災地の瓦礫処理を巡っても県と対立

・2005年 8・4水害(1998年)を受けた小新ポンプ場完成→10年 下山

ポンプ場完成→15年 木戸雨水貯留施設の供用開始

・2017年 安心安全の土台である将来人口動向を中学校区ごとに予測した「地域

カルテ」作成

<2019年以降の状況>

・想定を超える災害相次ぐ⇒国土強靭化がさらなる国家課題

・新型コロナで感染症対策が世界的課題に

 

 

◆「中原市政」の到達点と目指す方向◆

<2021年2月議会での中原メッセージ>

「選ばれる都市 新潟市~ウイズコロナ・ポストコロナ時代のまちづくり」

 

(1)はじめに

コロナ禍で働き方・暮らし方の見直し→地方での暮らしに関心=密集の首都圏から適疎の地方に「脱出現象」も=「都市部と田園部が調和」した新潟市にとって好機⇒「暮らしやすいまち」「訪れたいまち」「ビジネスを展開するまち」として、新潟市の魅力をアピール⇒「選ばれる都市 新潟市」の存在感発揮

 

(2)これからの「まちづくり」の基本方向

①新たな都心軸の誕生=「にいがた2km」(新潟駅周辺・万代・古町エリア)

②8区のネットワークの深化=新潟都心と8区の事業ネットワーク形成

③国・県と連携した拠点化プロジェクトの推進=整ったインフラの活用⇒拠点性再強化・「防

災・救援首都」(国土強靭化)・観光交流と商圏の拡大

 

(3)ウイズコロナ・ポストコロナ時代 「選ばれる新潟市」

①都市と田園が調和し「暮らしやすいまち」

=在宅勤務やテレワークなど新しい働き方⇒「ゆとりと安心の新潟市」「家

族と心豊かに暮らせる新潟市」「地域の絆が強く共生社会の新潟市」

②「訪れたいまち」「ビジネスを展開するまち」

=新潟の魅力を凝縮したエリア「にいがた2km」(新潟の背骨)プラス新

潟駅周辺整備・バスタで魅力アップ⇒新潟市の拠点性アップ

=「食」「農」の連鎖が新潟市産業の強み=農業者+食品加工・流通事業者

(オール新潟体制)⇒これまでの「ニューフードバレー」「農業特区」で

育ったスマート農業を食産業に広げICT技術を組み合わせる「アグリ&

フードテック」を展開

③都心と「食」「農」とのコラボレーション

=都心エリアに「食」「農」の事業ネットワーク⇒フードテック

=産業振興センターを「5G」の実証実験基地に⇒アグリテックも含め

 

(4)進化する新潟市

*いま、時代の転換点*

=価値観や意識の変化+新たな都心軸の誕生

 

◆2021年度予算での3分野

<日本海拠点の活力を世界とつなぐ「創造交流都市」>

<田園と都市が織りなす「環境健康都市」>

<市民と地域が学び高め合う「安心協働都市」>

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