文化が明日を拓く6

まちづくり

*文化が明日を拓く?!(6)*

<ウィズコロナ時代 ノイズムの今②>

―「大きな議論、起きて良かった」―

    ―契約更新後、新たな動き相次ぐ―

<検討委、改善条件つけて存続決定>

今年2月からの新型コロナウィルス感染拡は、ノイズムの活動に大きな影響を与えているが、その1年近く前からノイズムは大きな嵐に巻き込まれていた。2004年から新潟市「りゅーとぴあ」の専属ダンスカンパニーとして3年ごとに契約を更新してきたが、設立15周年を迎えた昨年、新潟市議会などから「市民の認知度が低く、評価にも疑問がある」などの声が上がり、新潟市は有識者による検討委員会を設置。存続を含めた議論が始まった。検討委は、活動のあり方などについて意見交換し、結果的に「地域への貢献活動を強化する」などの改善条件をつけた上で、2年間の契約延長が8月末に決まった。これらの動きや議論を金森穣さんらはどう見、どう受け止めたのだろう。

写真=激動の1年余を振り返って語る金森穣さん。背後には井関佐和子さんのポスターが(りゅーとぴあ)

<「見たことがないノイズムに税金?」>

「市内外、県内外から様々な反応がありました。端的に言うと、新潟市以外からは『ノイズムの存在を否定するところまで議論が起きているのは由々しきこと』、『ノイズムのやっていることは価値があるし、頑張って続けてほしい』などの反応が多かった。文化関係でいろんな業績を上げている大先輩から若手までが声を挙げてくれ、これは率直に嬉しかったですね」と金森さんは当時の状況を振り返る。やはり基本的に疑問視されているというか、認知度の低いことが問題視されているのはお膝元の新潟市だった。「認知度の低いダンスカンパニーに市の税金が使われている。それは税金の使い道として、どうなのか」との声を挙げるのは当然、新潟市民ということになるからだ。

「地域の中で認知されていない―これが一番の前提で、そもそも存在を知らないところに『何で税金を使うのか』と思われるのは自然なこと。市民の中でノイズムの15年を理解してくれている人も、『でも、このままで良いのか』という声もあったように感じました」と金森さんは語る。

ノイズムは「新潟から世界へ」を目指し、金森さんをはじめメンバーたちは新潟に住み着き、新潟の空気を吸いながら、「世界的に評価される実績を積み上げる」ことに精進してきた。世界的評価については、専門家の中でも高い点数をつける人が多い。欧州各地やロシアなどでの公演実績も多く、国内では「世界のオザワ」と言われる小澤征爾に請われて「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」(現在は「セイジ・オザワ松本フェスティバル」)でノイズムの世界を披露したこともあった。総じて国内の芸術関係者の評価も高い。りゅーとぴあの全国的情報発信の大半がノイズム関連と言っても良いだろう。しかし、地元・新潟では「知る人ぞ知る、的な存在」と言われて久しいことも事実だ。「ノイズムを知らない方に、知っていただくために何をしていこうか―それを考えた1年ですかね。だって、見たこともない踊りの集団に税金が使われたら、『それってムダじゃない』と思うのが自然ですもの。食わず嫌いの方に、まず見ていただく。それにはどうすれば良いのか、それを問い続けました」と金森さんは言う。

<「1回舞台を見てみるか」>

その答えは意外なところから返ってきた。新潟市の財政問題に加え、市長の交替や市議会の構成メンバーが新しくなったことなどでノイズムが焦点化され、かつてないほどマスコミでもノイズムのことが取り上げられた。「ノイズムって何なんだ?1回舞台を見てみるか」との反応が市会議員や経済人から出てきた。前回取り上げた市洋舞踊協会のように、「金森さんとコラボレーションできませんか」との依頼も寄せられた。金森さんたちメンバーは、この動きに驚くと共に積極的に対応した。「声掛けしてくれる方が意外なほど出てきました。私たちはこれまでもお声掛けを断ってきたわけじゃない。でも、『ノイズムに頼むのはお門違いかも…』『笑われるんじゃないか』とか、敷居が高いと思われていたことはあったと思う。そこに大きな議論が巻き起こって、私たちに関心を持ってくれるようになった。結果的にすごく良かった」と金森さんは語る。

写真=新潟市洋舞踊協会とのコラボレーションで、子どもたちを指導する金森穣さん(りゅーとぴあ)

<目の不自由な方とコラボ>

声掛けの中には、「私たちは目が不自由なのだけれど、ノイズムとワークショップをやることで、踊りを実感できないだろうか?」との申し入れもあった。「市議の青木学さんからお声掛けいただきました。これは大変にありがたかった」と金森さん。ただ、目の不自由な方とのワークショップには相当な覚悟が必要だったそうだ。金森さんは言う。「視覚障害者の方とのコラボって、世の中では結構やっているところがあります。でも形だけで、本質的なところでは何も起きずに、『やったよね』で終わっているレベルがあると思う。それでは双方が傷ついてしまう。自己弁護ではないんですが、安易な形ではやりたくなかった。だから、すごく不安でした。うまくいかなかった時、相手にすごく嫌な思いをさせてしまうんじゃないか、って」

しかし、昨年12月に開催したワークショップは大成功だった。24人の参加者は、金森さんらノイズムメンバーのリードに乗って、思う存分体を動かした。「全然怖がっていない。『もっと踊りたい』という思いがビンビン伝わってきて。何年も踊ってきた人(健常者)だって、ここまで感じて踊ってくれた人はいないと思うほど。初めての踊りに感極まって、涙する方もいらっしゃった。こっちも大感激でした」と金森さんは興奮気味に振り返る。

さまざまなワークショップがコロナの影響でキャンセルせざるを得ない中、目の不自由な方とのワークショップは次もやることにしている。「青木さんとお話しして、やることは決めました。青木さんは『今度は、盲学校の子どもたちにも声掛けしてみたい』とおっしゃっています。コロナ禍なので、それがすぐ実現するかはまだ分かりませんが、すごく可能性がある取り組みです」と金森さんは語るのだった。

<青空記者の目>

ノイズムの存続を含めた議論については、私も新潟市長としてノイズムを「りゅーとぴあ」の専属ダンスカンパニーとして認定し、毎年予算をつけていた当事者だけに傍観者的感想を述べているだけにはいかない立場だ。ノイズムと新潟市の出会いは、りゅーとぴあが企画した子どもたちの演劇づくりを金森さんが指導してくれたのが最初だった。金森さんの技量と人格にほれ込んだ市の担当職員が「日本初の劇場専属ダンスカンパニーを金森さんの手で」と猛アピールするのに負けて、金森さんと面談したことから事態は急転換した。私のダンスの知識は「皆無」と言ってよいレベルだが、コンテンポラリーダンスが素人受けするものではない」ことぐらいは分かっていた。しかし、会ってみて金森さんの高い志と人柄に触れて、「日本初」の道を歩むことになった。金森さんは自らのチームを「Noism(ノイズム)」と名付けた。

「日本初」なので、ノイズムが活動を続けていく上での課題もある程度分かっていた。一つは「世界的な評価」を得ること。もう一つが「地元で誇りと言われる存在」になってもらうことだった。ただ、この両立は容易なことではない。金森さんらノイズムメンバーはストイックなほど、世界的評価を得るために努力し続けてくれたと思う。また、チーム結成当初は「地元で知ってもらう」ため、さまざまな場面に登場してくれた。例えば、「にいがた総踊り祭」でメンバーが踊ったり、朱鷺メッセでの会合でミニ・ステージを手づくりしてくれたりしたこともあった。「ノイズム2」の結成も、学校などでのワークショップを含め、さらに市民の前での「露出」を増やすことが目的の一つだった。

しかし、結果的には「世界的な評価を得る」ことにエネルギーが向かい過ぎたのかもしれない。「世界での評価」が高まるにつれ、私も当時の市長として「世界評価を得ることで、地元の認知度を上げることもできる」との考えに傾いた時期もある。「バランスが悪かった」との評価は、私に向けられるべきものだろう。幸い、大きな議論を金森さんたちには前向きに受け止めてくれた。後は、コロナ禍に負けず、市民の注目の下で、ノイズムの活動がさらに高く、広く展開していくことを期待している。

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