茶の間再開12

地域の茶の間

*「実家の茶の間」が再開*(12)

―「介護保険でできないこと
ここならやれる」―

―「おカネでは得られない、この充実感」―

<茶の間の宝「お当番さん」に聞く②>
          2020年6月~7月中旬
              

「実家の茶の間・紫竹」を切り盛りするお当番さんたちは、実家の茶の間運営委員会代表の河田珪子さんと昔からの付き合いの人もいれば、5年半前に新潟市との協働事業で紫竹での活動が始まってからの方もいる。河田さんを中心にして、お当番さんたちの活動は濃密だが、「仲良しグループ」ではない。「河田チームは、べたべたしてなくて、適度な距離感がある。ある意味、不思議だと思いますよ」と言うのは長島美智子さん(68)。河田さんとは30年ほどの付き合いになる、お当番さんチームの中でもベテラン組の一人だ。

写真=河田珪子さん(右)と、この日のお当番さんたち。「コア・メンバー」は、まだ他にもいらっしゃる

<「まごころヘルプ」からの付き合い>

長島さんが河田さんのことを知ったのは1989(平成元)年。その頃、河田さんは、夫の両親の介護のため、福祉の仕事をしていた大阪から生まれ故郷の新潟に戻ってきた。在宅介護に悪戦苦闘しながらも、「介護される側の方も大事にしながら、介護する人の人生も大切にしたい。そのためには、家族という密室での介護ではなく、手助けをし合いながら生きていく、助け合いのシステムをつくる必要がある」と考え、有償の助け合いシステムづくりに奔走していた。そんな河田さんのことを地元紙が「おんな 40代」というシリーズの中で取り上げてくれた。「こんな素晴らしいことをやっている人がいるんだ―それが河田さんを知る初めての機会でした」と、長島さんは振り返る。

その助け合いシステムは、有償のボランティア組織「まごころヘルプ」として結実した。長島さんはその頃、精神的な不調に悩み、「具合が悪くなって、人との交流が嫌になっていた」時期だった。それが「まごころヘルプ」に行ってみて、いろいろなことに悩んでいる方たちのことを知った。「まごころに通っていたら、なぜか気持ちが前向きになって、困っていらっしゃる方の家に行って手助けをする『サービス提供会員』になりました。ヘルパーの資格も3級、2級と取って、訪問介護やデイサービスでも働くようになれました」と長島さん。その後、河田さんが始めた「地域の茶の間」や、宿泊でもできる常設型の茶の間「うちの実家」の活動も手助けをするようになった。

<「気が付くと、元気になった自分がいた」>

「いろいろな活動をお手伝いしていて、気が付くと、元気になっている自分がいました。訪問介護でお邪魔する家の方や茶の間にいらっしゃる方とお話をしていると、人の痛みが分かってくるし、いろんなことが見えてきました。そういう方との出会いで、自分が元気に変わっていけるのが嬉しかったし、自分が元気になると家族も喜んでくれました」と長島さんは言う。小規模多機能の福祉施設で働いていた2014(平成26)年、河田さんが新しく「実家の茶の間・紫竹」を始めると聞き、お当番として詰めることを決めた。「介護保険制度の下で仕事をしていると、決められたことしかできない。実家の茶の間では、いらっしゃった方の身になって動いていける。こっちの方が自分も楽しいし、おカネでは得られない充実感がある。茶の間をお手伝いしている方が元気になれるし、こっちが元気だと家族も喜ぶんで、茶の間に寄せてもらっています」とも語ってくれた。お当番さんには、お昼ご飯が出ていた時は茶の間の参加料と昼食代は免除で、交通費が支払われる。基本的にはボランティアだ。ここでは当日のお当番さん以外も、数人がサポート役を買って出ている。

<「自由でいいんだ、ここはね」>

実家の茶の間に初めてお見えになる方は、勝手が分からず、戸惑いがちの方もいる。そんな時、長島さんはさりげなくお話しにいったり、相手の気持ちがほぐれるように自由な時の過ごし方を伝えたりする。「デイサービスのような所だと思ったり、イベント型の茶の間のようにみんなで一斉に同じ楽しみ方をすると思ったりしていらっしゃる方もいます。そんな時、『好きなことをされて、自由に過ごされていいんですよ』ということをお伝えします。そのうち、『ここが一番いいよ』などとおっしゃってくれると、やっぱり嬉しくて」と長島さんは笑みを広げた。

実家の茶の間の再開後、昼食を持参で来られる方が増えてきた。お昼を終えて、あるお年寄りがテーブル拭きを始めた。長島さんに「できることをやりたい」と相談して始めた「作業」だった。「再開後、『皆さんがここを大事にしている。気が付いたことは何でも言っていいんじゃない』と河田さんに言われ、積極的に動いたり、お話ししたりするようにしています」と長島さん。「身体的距離をとって」と、普段はうるさいほど注意している河田さんが、話に熱が入ってきて河田さん自身が人との距離が近くなることがある。そんな時も長島さんの出番だ。「はい、近過ぎ。離れましょう」と声を掛ける長島さんはムードメーカー的存在なのだ。

<「現役世代」も当番さんを選択>

お当番さんの常連組は65歳以上が多いが、「現役世代」もいる。渡部明美さんは59歳。ケアマネージャーをやっていた。「長島さんと同じ職場で働いていたこともありました」と言う。ケアマネの仕事を続けていれば収入も立場も安定している。金銭的には、お当番さんとは比べようもないはずだ。「どうしてケアマネを辞めて、茶の間でお当番さんをしているんですか」と、やや不躾に聞いてみた。「一つには介護保険という制度に物足りなさを感じていたからでしょうか。行政の制度である以上、介護保険は決められたこと以外はできない。ご本人の意向を汲んで差し上げたいのに、一番望まれていることができない…。そんなことは結構あります。行政ではできないこと、そこを実家の茶の間ならやって差し上げられます」と渡部さん。ケアマネを続けていくには、当然、福祉事業者の採算の視点も求められるし、国の介護保険制度をめぐる財務環境が年々厳しくなっていることも福祉関係者への圧力になっている部分もあるのだろう。

「公的な介護サービスですと、利用者に何かやって差し上げることしか考えない。でも、ここは利用される方が『体の利く範囲で、自分にできることは自分でやろう』って役割を果たそうとされる。そうすると、利用者の方の表情がだんだん良くなってくるんです。『(介護保険の)デイサービスより、こっちの方が居心地がいいよ』って言われるのを聞くと、こっちも満たされてくる」と渡部さん。しかし、「現役復帰」を考えないわけではない。まだ、60歳前なので、現役でもっとできるかな、と正直思います。ここで学んで、また介護サービスの場でお役に立つのもいいかもしれません」とも語った。福祉のプロにとっても、実家の茶の間は学ぶ場でもあるのだ。

写真=「実家の茶の間・紫竹」では、お当番さんたちだけが働くのではなく、利用者もできることを当たり前のようにやっている。この日は、利用者の1人が障子貼りをしていた

<青空記者の目>

「実家の茶の間・紫竹」を運営している河田チームは、長島さんが言うように「べたべたしない、不思議なチーム」だ。「いざという時は、河田さんに相談すれば良い。どんな難しい状況でも、即答してくれる」(長島さん)という河田さんへの信頼感を強く共有しているが、「河田さんを奉ってはいない。河田さんは、そうされるのが大嫌いだから」と当番さんたちは言う。長島さんは「まごころヘルプの時、河田さんがつくったガイドブックは、ヘルパーになって訪問介護をする時など、ものすごく役に立ちました。人との向き合い方とかが本当に勉強になります」と言い、「実家の茶の間で、河田さんは利用者の方にも自分の役割を求められる。一番厳しい。でも、一番やさしい人なんですよ」と渡部さんは河田さんのことを語るのだった。

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