実家の茶の間 新たな出発30

地域の茶の間

*「実家の茶の間 新たな出発」(30)*

                                   2022年6月15日

<3度目のコロナの5月 静かな危機>

―初心に帰り、朝のミーティングー

ーマンネリ打破へ ギアチェンジー

5月16日(月)午前9時30分、「実家の茶の間・紫竹」ではお当番チーム10人ほどが集まり、運営日のいつもの朝のようにミーティングが開かれていた。この日のお当番さんが運営の注意事項を読み上げ、各自が気になっていることを発言する。「茶の間に入っていただく時の手指の消毒は徹底していますけど、お帰りになる際の手指消毒を忘れがちです。お帰りの時の声掛けをしっかりやっていきましょう」とお当番の渡部明美さんが言うと、運営委員会代表の河田珪子さんが「そう、私が一番忘れる」と話を受けて、笑いを誘う。その後も「換気は随時やっていきましょう」などの呼びかけが続いた。

写真(左)=5月16日の朝のミーティング (右)=河田珪子さん=中央=の表情もいつもより厳しく見えた

<「みんなの動きが鈍くなっていない?」>

一通り発言が終わると、河田さんが「昼食の時にバックグラウンドの音楽流すけど、それを流す前に声掛けはしていましたっけ」と提起する。するとお当番の渡部さんが「ラジオ体操の時も、5分前にお知らせするんでしたよね」と二の矢を放った。どうも二人には気になることがあるらしい。「私たちは利用者さんの自主性を重んじていて、ご自身でできることはやっていただくようにしてきました。以前は自分で飲むお茶も、動ける方は自分で入れていらっしゃったし、体の悪い方のお茶をついでに持っていってくれてもいましたよね」と渡部さん。すると河田さんが「そうですよね。コロナのせいか分らんけど、どうも最近、皆さんの動きが鈍くなっている気がする。前はご自分でやっていた方も、いま動かないでしょ」と続ける。ほかのお当番さんも「そうですよね。みんな動きたくないみたい」と相槌を打つ。サポーターの武田實さんが「お茶を注ぐときに、いちいち消毒するのが面倒なんじゃないかな。自分のはともかく、人にお茶を持っていくのには衛生面からの遠慮もあるんじゃないですか」と推し測った。

<「仲良しクラブ」の危機では?>

このテーマは河田さんが「この時期、水分を取らないのは良くないですよね。何事もそうですけど、大切なのはお声掛けです。お茶いかがですか?と頻繁に声掛けていきましょう」と引き取って、ミーティングは間もなく終わり、利用者の来られる10時が近づいてきた。何気ないやり取りにも思えたが、この頃、実家の茶の間には「静かな危機」とでもいうべき空気が漂っていた。それにはいくつか理由があった。利用者として最近入ってこられた仲間の方が急に亡くなったことや、サポーターの中心的存在である80代の男性が手術のために入院したことも士気に影響していた。もう一つの理由は、オミクロン株の感染が長引いているため、遠方からの利用者が減ってきた上、視察・見学も受け入れにくくなり、利用メンバーがご近所の常連さんばかりに固定化してきたことだった。

写真=実家の茶の間に貼られた、茶の間の「基本精神」

「実家の茶の間はずっと、様々な方が共生する形でやってきました。多世代の居場所であり、誰もが利用できる居場所でした。それが、この2か月ほど利用メンバーが固定化し、仲良しクラブのようになってきたのではないでしょうか。茶の間にとって、仲良しクラブは危ないんです。いくつもの地域の茶の間が、『仲良しさんの集まる場』になってから続かなくなったことを私たちは見てきたんです」と河田さん。仲良しクラブになると、グループの中で序列のようなものができたり、過度の依存や甘えが生じたりして、いつの間にかグループに亀裂が入ってしまうーそんな事例を河田さんチームはこれまでいくつも体験してきた。「そんな危機に今、実家の茶の間が見舞われているのではないか…」「これがマンネリというものなのだろうか?」―5月に入り、そんな危機意識がお当番チームに芽生え始めていた。

<雰囲気が変わり出した>

ここで河田チームが取った手だては「初心に帰って、朝のミーティングをしっかりとやり、原点に立ち返った運営をやっていく」とのことだった。5月の連休明けから毎回のミーティングに一層気合が入ってきたし、利用者たちとのコミュニケーションもより綿密さを増してきた。出かける機会が減り、認知症状が進んできた利用者への気遣いもよりきめ細やかになっていった。お当番さんたちのギアが一段上がったようだった。気持ちの入れ方が違ってくると、実家の茶の間の雰囲気も変わりだした。折しも新型コロナの感染者数が新潟市でも減り始め、これまでなかなか茶の間に来ることができなかった方たちも姿を見せるようになった。

<盲導犬も久々に茶の間へ>

例えば、目の不自由な藤井志津子さん(78)は5月下旬、盲導犬「ぼたん」と一緒に実家の茶の間にやってきた。藤井さんは「コロナが広がってから初めてですから、3年ぶりでしょうかね。目の不自由な私たちはどうしても色んなところを手で触ってしまうから、感染症には人一倍気を遣う。皆さんにお世話になる度合いも大きいので、ここに来るのも遠慮していました。久しぶりに河田さんに電話して、今日は河田さんがいないと聞いたんですが、思い立ったが吉日でやってきました」と言い、「コロナで人との会話もできにくくなったけど、ここの方はみんな、声で大体誰か分かるから…。今日はおしゃべりを楽しんでいきます」と笑顔を広げる。その藤井さんの脇には「ぼたん」が寄り添っているが、ハーネスが外されているため「職務時間外」の気分なのか、ほかの利用者の方の声掛けに嬉しそうに反応していた。

 

写真=久しぶりに実家の茶の間に顔を見せた藤井さんと盲導犬の「ぼたん」

また、山歩きが趣味のTさん(69)も新型コロナで茶の間から足が遠のいていたが、また顔を出し始めた。「先日、茶の間通いを復活させたばかりで、今日が2回目です」と言う。Tさんは先日の山登りで転んでしまい、右腕にけがをして包帯で釣っている状態で茶の間にやってきた。「ここなら腕が利かなくとも、お昼も安心して食べられる。そういう場所なんですよ、ここは」とTさん。「3年前に夫を亡くして、今は家で一人。話し相手もいない。ここに来ると、ゆっくりおしゃべりができるし、皆さん守秘義務もしっかりされています。やっぱりルールは大事です、ここは、ゆったりできて、心が安らぐ場所なのよね」。Tさんは笑顔でそう語った。

<青空記者の目>

河田チームの努力とオミクロン株の感染収縮とが重なったせいか、実家の茶の間の雰囲気は6月に入って、元に戻っていった。しかし、実家の茶の間に起きた春先の「静かなる危機」というか、この種の変化は初めて感じる性質のものだった。利用者の数がやや減ってきて、これまでと何か違う雰囲気になっていったのだ。記者は、河田さんらがよく言う「実家の茶の間は、多世代共生型のみんなの居場所」という言葉を思い起こした。河田さんたちが以前にやっていた「うちの実家」も、この「実家の茶の間・紫竹」も、「多世代が集う地域共生型居場所」だから長続きしていたのだ。

記者の捉え方で言うと、5月の「静かなる危機」にはもう一つの要因があると思う。長引く新型コロナの影響で、「地域包括ケア推進モデルハウス」という実家の茶の間ならではの役割について、先行きの不透明感が増していることだ。新潟市だけではなく、全国の自治体が今後の「地域包括ケア推進」の道筋が描けずにいる―その不安感・不透明感も河田チームに影を落としていたのではないか。

そんなことを考えていた時、「青空記者として何かやることがあるのではないか」との気持ちが芽生えた。「実家の茶の間の利用者の方たちが、どんな気持ちで茶の間に寄り合っているのか」―そのことを一人ひとりに聞いてみることで、実家の茶の間の原点というか、役割に光を当てることができるのではないか。そう思いついて「実家の茶の間 利用者アンケート」をやることにした。次回はそのアンケート結果を紹介したい。

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