文化が明日を拓く9

まちづくり

*文化が明日を拓く?!(9)*

     <ウィズコロナ時代 江口歩さんの今①>

―「コロナ禍を契機に、何かやらないとダメ」

  ―「打って出て、先鞭をつけたい」―

<柳都会でのトークも絶好調>

「23年前、新潟で何か面白いことやろう、ってお笑い集団を立ち上げました。当時の新潟県は自殺率が2年連続全国ワーストで、新潟市では建設予定のここ、りゅーとぴあの計画が豪華すぎるとか、もめていました。サッカーではアルビレックスの前身、アルビレオが動き出したんだけど『新潟はサッカー不毛の地』と言われるし、お笑いをやろうとしたら『お笑いなんてなおさら不毛の地だ』と、たたかれた。そんな状況でNAMARA(ナマラ)を立ち上げたんですよ」―10月11日、りゅーとぴあの能楽堂ではナマラのリーダー、江口歩さんが軽妙な口調で語り出していた。このブログの7回目でも紹介したトーク公開講座「柳都会」の幕開きで、ホスト役の金森穣さんからナマラ立ち上げ時代のことを聞かれての答えだった。

写真=金森穣さんとの公開トーク「柳都会」で、軽妙なやり取りを繰り広げる江口歩さん(右=りゅーとぴあ能楽堂)

江口さんはさらに続けて、「爆笑問題の太田光さんを呼んで、お笑いコンテストを新潟でやりました。芸人も集まって、営業もやり出したんだけど、一つも儲からない。カネが出ていくだけ。営業に行くと、『お前ら、ステージ出たいんだろう。じゃぁ、出してやるよ』と言われて、ただ働き。30人のひと月のギャラが30万円で1人1万円。『じゃぁ、この30万円はオレが預かる』って言って、そのカネで事務所と電話を用意しました。売れるまで5年はかかりましたね」とスタート当初の苦労を面白おかしく語った。

<「社会課題を面白く伝える」>

5年後の2002年ごろからナマラへの風向きが変わってきた。「社会課題を面白く伝える」姿勢が世の中にマッチしたのか、医療・福祉や教育分野から選挙まで、江口さんをはじめナマラに声が掛かるようになった。その後は、「病気だよ、全員集合!」を合言葉にした「こわれ者の祭典」で、アルコール依存歴・引きこもり歴ン10年の方や、自殺未遂体験者らがステージに上がって赤裸々に過去を語るイベントや、「脳性麻痺ブラザーズ」を世に出すなど、異色の活動に拍車が掛かる。「ナマラは障害者を笑いものにするのか」などの声に対しては、「障害を知ることができたら、それは理解につながる」と切り返しながら前進を続けてきた。

「2002年から、ガラッと評価が変わりましたよね、ナマラの。きわどい社会事象にも、政治にも関わるんだけど、そんな大層な気持ちでやっている訳じゃない。基本は『どっちの側も肯定しよう』との立場。被害者と加害者もそうですし、レイプした人とも、された人とも話をする。政治的には右翼とも左翼とも付き合う。だから『中翼(なかよく=仲良く?)』って言われるの」と江口さんのしゃべりは絶好調に見えた。ナマラの芸人たちも「好きなことを勝手にやっている。発達障害の芸人もいて事務所でずっと絵を描いていたらアート系の仕事も来て、いま個展やっています。銭湯好きの芸人もいたから『銭湯大使』にしてもらって、結構マスコミで取り上げられました。あと、兼業芸人ね。農園と組んで、農業やりながらイベントに出たりしている。いま『兼業の時代』と言われるけど、うちらはそれを何年も先取りしている。ナマラに限らず、NGT48もいるしNegiccoもいる。こんな面白いとこ、他の政令市にはない」と江口さんは前向きの言葉を連発した。

<「稼ぎ時の10月が収入9割減」>

写真=珍しく本音でエンタメ業界の厳しさを語る江口歩さん

しかし、新型コロナの影響は江口さんをはじめナマラの活動にも大きな影を落としている。ステージ外で聞いてみると、「例年なら、イベントの多い10月はナマラにとっても相当な稼ぎ時なんですよ。それが今年は9割減かな。芸人たちは国からの支援の100万円があったんで、何とかやってこれたけど…。このままなら来年は持たない」と江口さんは本音を語る。10月24日には古町7で久々の屋外イベントが開かれた。「うちのヤングキャベツがコンビで出たのは、コロナ後初めて。一緒だった古町芸妓も『屋外で踊るのはコロナ後初』って言ってました。このままでは新潟も大変。飲食だって、イベント・観光系だって、来年には半分以上はダメになっちゃいますよ。新潟県ではコロナで亡くなった方はゼロなのに…。『コロナの感染防止のために、種々の活動がここまでできなくなって良いのか』って、誰か討って出るというか、声を挙げないと。政治家が言えないんなら、ボクが言ってもいいんですけど」。江口さんは、いつになく真剣な表情を浮かべた。

「お年寄りもそうだけど、みんな、もっと工夫して外に出るようにしないとね。家に閉じ籠ってばかりでは、認知症は進むし、介護度だって上がるでしょう。新潟でも自殺が深刻な状態が出てきているしね。感染拡大の防止を最優先にする意見と、工夫しながら社会活動を復活させようという意見のバランスが悪すぎですよ。何なら、ボクが『工夫して、まちに出よう派』の代表になって、違う意見の方たちとトークバトルしてもいい。どこか、マスコミで企画してくれるとこ、ありませんかねえ」。そう語る江口さんの機関銃トークには、コロナ禍を切り抜けようとする切実さが感じられた。

<青空記者の目>

ステージ上の江口歩さんは、いつものように明るく、元気で、コロナ禍の影を感じさせないように見える。ただ、江口さんが所属する文化・エンターテインメントの世界は、新型コロナの影響を最も強く受けている業界の一つだ。10月24日にBSN主催で開かれた「しあわせのたねコンサート」はオペラがテーマで、イタリア人のテノールと日本人のソプラノ歌手ら4人が素晴らしい歌声と音色を新潟市の音楽文化会館に響かせた。その4人チームは合間のトークで。「私たちの公演は、今回の新潟市が本当に久しぶり。コロナ禍の影響で3月からはみんな中止。これからも大きなステージは来年3月まで予定が立っていません」と語った。1年に1回しかステージに立てない―これは、まさに江口さんが言う「工夫して社会活動を続ける」ことがいかに困難なのかを示す、悲しい好例ではないだろうか。

江口さんらも「こんな時にお笑いなんて」との社会同調圧力にさらされている。そんな背景を感じながら江口さんのトークを聞くと、「柳都会」の時もこれまで見せなかった部分を、江口さんが披露しているように思えた。例えば、トークの中で「いま、(ナマラが世間から相手にされなかった)1997年の気分ですよ、またね。いま、必要とされるものは何なのか、考えさせられますよ、ホントに」と江口さんは語った。その後、「江口さんが今、関心を持っている人っているの?あこがれの人とか」と金森さんに聞かれた江口さんの答えは意外なものだった。「新潟で20代、30代の若手で面白いことをやり出している人がいます。新しいことを起こしている人たちがね。今、コロナでみんな大変じゃないですか。そんな時代に変化を生む、刺激を与える人たちが出てきた」と答えたのだ。これは、「いま必要とされるものは何なのか?」との自らの問いへの答えでもあるのだろうか。その答えの方向をもう少し探ってみたい。

 

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