文化が明日を拓く8

まちづくり

*文化が明日を拓く?!(8)*

<ウィズコロナ時代 越乃リュウさんの今>

―コロナ禍でふるさとに戻り7カ月―

―「新潟がすごく新鮮、地方ならできちゃう」―

<「ノイズム、すごくよかった」>

10月4日、りゅーとぴあの劇場に宝塚歌劇団の月組元組長、越乃リュウさんの姿があった。この日は、本シリーズでも紹介した新潟市洋舞踊協会の合同発表会が開かれていた。越乃さんは小さい頃、苅部初江バレエ研究所でバレエを習っていた縁で来場したのだ。ノイズムを率いる金森穣さんが合同公演「畔道にて~8つの小品」を総合演出し、ノイズムメンバーも出演することも聞いて、楽しみにしていたそうだ。越乃さんが初めて金森さんの踊りを見たのは昨年、越乃さんが出演した国民文化祭のステージだったという。「金森穣さんが井関佐和子さんと踊っていらっしゃったのを初めて見て、わーっ素敵、と思いました。いつかノイズムの公演も見たいと思っていたんですけど、コロナ前は新潟にたまに帰ってくる程度だったので機会がなかった。今回は良い機会だと思い見せてもらったんですけど、すごくよかった」と越乃さんは感想を語る。

写真=久しぶりの新潟暮らしを楽しむ越乃リュウさん(萬代橋で)

「最初はバレエの子どもたちとのコラボと聞いて、『どうなるんだろう?』って思いました。だって、トゥシューズを履いて踊る子どもたちの世界観と、コンテンポラリーの踊りの世界って、すごく違うんじゃないか、ってね。でも、見ていて面白かったし、金森さんの構成はワンセクションごとにテーマがあって、それが文章になっているみたいで、見ていてすごく楽しかった。金森さんと子どもたちが絶対に良い時間を過ごしたんだろうな、って感じました。まわりの方の声も『よかったね』というものがほとんでした」と越乃さんは続けた。

<「見ず嫌い、を減らしたい」>

ノイズムにとっても、県民・市民の認知度を上げることが大きな課題となっている。越乃さんは「ノイズムやコンテンポラリーダンスという踊り文化は、ちょっと独特じゃないですか、踊り文化の世界観というのかしら。もっとも、そういうと『宝塚もそうだ』と返されそうですけど…。独特なだけに、食わず嫌いじゃないけれど、『見ず嫌い』の人が絶対に多い」と言い、「でも、こういう芸術って、やっぱり見てみないと分からないじゃないですか。だから、今回のような機会が大事ですよね。多くの人に知ってもらうきっかけが。ノイズムって、体も芸術作品みたいで、筋肉とかすごいじゃないですか。『もっと踊っているところを見たい』と感じさせる存在で、私はとっても素敵だと思った。だから、もっと新潟の人に知ってもらって、『ノイズムと新潟が溶け合っている』と思えるようになってほしいと感じました」と続けた。

写真=越乃さんが激賞したノイズムと市洋舞踊協会のステージ。終演後の記念写真(りゅーとぴあ劇場、ノイズム提供)

<コロナ前は東京など各地で活躍>

新潟市西区出身の越乃さんは、高校生の時に宝塚に入団。男役として活躍し、組長にまで選ばれた。宝塚を退団した後も、東京を本拠に各種の芸能活動を続けてきた。西区の「かがやき大使」を務めるなど、ふるさとの新潟を大切にしてきたが、新潟で暮らすことはなく、各地を飛び回っていた。新型コロナウィルスの感染が広がるまでは、インスタレーションを駆使する芸術家と出会い、「光と映像の世界観」をテーマにオリジナルな舞台をつくっていた。デビュー25周年の昨年は東京の能楽堂を貸し切って、光源氏を題材にした台本を宝塚時代の恩師に書いてもらい、「過去―現在―未来」をつなぐ構成で上演して好評を博した。

「その後も色々と計画はあったのですが、コロナで全部中止になってしまって…。新潟でもスワンレイクビールとコラボして阿賀野市の五十嵐邸でディナーショーをやる予定でした。県外からも来てもらい新潟の良い所を見てもらおうと新潟ツアーも組んでいましたが、それもいったん延期にし、メドが立たないので結局中止にしました。NHKさんから4月に『きらっと新潟』でのナビゲーター役をお声掛けいただいたのをきっかけに新潟に戻り、そのまま帰れなくなって。それからずっと新潟です」と越乃さんは近況を語ってくれた。

<「最初は引きこもり状態」>

新潟市に戻って暮らすようになった越乃さんだが、「最初は引きこもり状態でした。元気者と思われている私も気が滅入ってしまった」そうだ。「芸能とか文化って『生活に絶対必要か?』と言えば、『そうじゃない』と思われる。だから最初に削られる分野ですよね。日本ではようやくここに来て、『文化・芸能の灯を消しちゃいけない』って声も聞かれるようになりましたが、ドイツでは文化担当大臣らがいち早く文化・芸術の重要性を訴えてくれました。そういう立場の人が明確にメッセージを出してくれたのはありがたかったし、『すごい!そうだよね』って思いました」と、越乃さんは新潟に戻ってきた当初を振り返る。

越乃さんの気持ちは徐々に明るくなり、そのうち気晴らしや知人を訪ねて、新潟のあちこちに出掛けるようになった。「高校2年生の時に新潟を離れてから本当に久しぶりの新潟でしょう。とにかく新潟が新鮮で、『私が生まれた新潟には、こんなに良い所が一杯あったのか』って気づきました。ノイズムもその一つです。私が新潟を本当は知らなかったのに、県外から新潟ツアーを企画するなんてね。今なら、新潟の魅力をお持ち帰りいただける本物のツアーを組めると思う」と越乃さん。

<「独特の世界観つくりたい」>

本格的活動は来年になる見込みで、今年はその準備の時期になりそうだ。「いつまでもコロナを怖がってばかりではいられないし、何か目標がないとつまらないじゃないですか。私たち宝塚出身者ってやっぱり独特なところがある。活動の舞台はクラシックじゃないし、オリジナルなことをやりたい。それも私一人じゃなくて、みんなとコラボして独特の世界観をつくるようなものを」と越乃さんは構想を膨らませている段階だ。活躍の舞台には新潟も考えている。「今回のコロナで、『東京でなければ』という考えが崩れたと思う。新潟にはバックアップしてくれる方もいるし、ジャンルは違っても文化・芸能で頑張っている仲間もいる。変な言い方ですけど、コロナのお陰で新潟に戻り、新潟の良さに気づいた。ずっと新潟にいたら、気が付かないこともあると思います。新潟の自然や、このゆったり感。ホント、素晴らしいってことにね」と越乃さんは語り、今を充電期間と前向きに捉えている。

<青空記者の目>

新潟市洋舞踊協会とノイズムのコラボレーションのステージを見にいったお陰で、久しぶりに越乃リュウさんにお会いすることができた。越乃さんは金森穣さんが総合演出した合同作品を激賞し、「こういうコラボがとっても大事だと思う」と語った。越乃さんが「コロナのお陰で」久しぶりに暮らすことになった新潟を新鮮に感じ、「新潟の良さを再発見している」と語ってくれたのも嬉しかった。

「コロナのお陰で、という風に考えていかないとやっていられませんよね。コロナで東京の限界のようなものも感じられ、逆に地方の可能性が見えてきた。地方ならできちゃう。だって、りゅーとぴあは素敵な劇場だし、地方ならネットワークが組みやすいですものね」と越乃さんは言う。コロナ禍で県外などとの往来がしにくい時代。「コロナで遠出しにくい今こそ、新潟県民の皆さんに地元の良さを再発見し、新潟をもっと楽しんでほしい。私が新潟の魅力に改めて気づいたようにね」と越乃さんは明るい笑顔を見せた。

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