実家の茶の間 点描 23年10月19日

まちづくり

◆ブログ実家の茶の間 点描23年10月19日◆

2023年10月19日

―これまでの歩みを誇りに

9周年の節目、共に祝う―

<それぞれが役割を果たす9周年祭>

「みんな、本当にこれまでご苦労様でした。ここまで歩んでくることができたのも、皆さんの力があってこそです」

写真=9周年の節目の日、利用者に語り掛ける河田珪子さん(右端)

10月16日、「実家の茶の間・紫竹」は新潟市の地域包括ケア推進モデルハウス第一号として、活動9周年の節目を迎えた。運営委員会代表の河田珪子さんは利用者をはじめ、9周年のお祝いにやってきてくれた地域の方たちに、こんな言葉をかけていた。記念品のマスクを入れた箱には「祝9周年 実家の茶の間・紫竹」と書かれている。利用者の方たちが気持ちを込めて1枚1枚筆で書いたものだ。9周年の祝いの日を、利用者、お当番さん、サポーターの皆さんがそれぞれ自分のできる役割を果たして迎えているのだ。

<大きな〝壁新聞〟で9年の実績確認>

今回の周年祭のメインは1枚の大きな〝壁新聞〟だった。「9周年を迎えて」とタイトルが大書された壁新聞には、「実家の茶の間・紫竹」が果たしてきた役割と共に、9年の実績を書き込んだ数字が並んでいた。コロナ禍の前までの周年事業は、大勢の方が集い、お弁当や紅白の饅頭などを食べて、みんなで語り合った。それは祝祭のような賑わいだった。しかし、コロナ禍が襲ってからの周年事業は、「密」を避けるため様変わりせざるを得なかった。6周年では黙食ながらカレー昼食を楽しめたが、7周年はお昼が提供できる環境ではなかった。そこで「これまでを振り返り、これからを考える写真展」をメイン事業とした。さらに昨年の8周年は「利用者やお当番さんの心の中、胸の内を聞いてみることにして「アンケート」を実施。利用者とお当番さんの垣根を超えて、「自分のできることで、誰かのお役に立ちたい」との気持ちで参画していることが浮かび上がってきたのだった。

<できるだけ数字で見える化>

そして迎えた9周年。河田さんたちは「実家の茶の間が何を目指し、どこまで到達できたのか。それをできるだけ数字で〝見える化〟しましょう」と方向を決めた。「見える化」の主役が大きな〝壁新聞〟だった。大きな台紙に「9年の利用者 44,437人」などと書かれた模造紙片を貼り付けていったものだ。いくつかの数字は10月10日のブログで紹介した。9年で積み上げた数字はどれも重みのあるものだった。

写真=玄関に貼り出された〝壁新聞〟。9年の実績が数字で示されている

この日、玄関のすぐ正面に貼られた壁新聞を改めて眺めると、新しい数字もいくつか書き出されていた。その中で目を引いたものが「9年間の視察・研修」の数だった。「県内968か所 県外166か所 大学・専門学校94校」との数字が並んでいた。いかに実家の茶の間が多くの方の「学びの場」になっていたかーこの数字で一目瞭然ではないか。

<中原市長も含め、82人が参加>

写真(左)=みんなでカレー昼食を楽しんだ (右)中原市長が感謝のご挨拶

9周年を祝うこの日、集った方は82人に上った。その多くがカレー昼食を召しあがり9年の歳月を噛みしめていた。その中には中原八一市長の姿もあった。公務をやり繰りし、午後1時に茶の間に駆け付けてくれた。まず大広間の真ん中に立ち、「9周年、おめでとうございます。本当に皆さんのお力で9年間、活動を継続していただきました。深く感謝します」と参加者に語り掛けた。その後、遅い昼食をとり、約1時間、参加者の苦労話に耳を傾けていた。

写真=中原市長は遅い昼食を取ると、利用者たちの中に入って歓談した

<早速、1冊の写真集が完成>

9周年祭が終わった2日後の18日(水)、実家の茶の間は一つのことをやり遂げた安ど感と、祝祭の余韻とが入り混じった表情を見せていた。河田さんが1冊の綴じ込みを手に、「ほら、若い方がこんなものをもう作ってくれたんですよ」と明るい表情で語り掛けてきた。毎回のように参加し、お当番役も務めてくれる久保洋子さんが9周年祭の様子を写真に収め、1冊の綴じ込みにまとめてくれていたのだ。「早いでしょう。若いから、パワーも凄いわ!」と河田さんは嬉しそうに語る。脇にいた久保さんは、「皆さんがすごく頑張っているから、私も何かできないかな、と思って、写真集を作ることにしたんです」と張りのある表情で語る。綴じ込みの写真集には「朝の準備①」から、当日の様子が何枚もの写真に収められていた。「それぞれが、できることをやっていく」取り組みの1つがここにもあった。

写真(左)=9周年祭の写真集が出来上がった (右)=事務の手伝いをする久保さん(中央)

<青空記者の目>

9周年を迎えた実家の茶の間だが、今の形態での活動は10年で区切りをつけることになっている。あと1年、河田チームは全国のモデルとなってきた活動を続けながら、「10年間の総括」をすることも協働事業者の新潟市から求められている。実家の茶の間の目指したものは何なのか、そして、それはどこまで達成され、何を今後に繋げていくべきなのか―。

写真(左)=青空記者も河田さんに促されて皆さんに感謝を伝えた (右)9周年祭を終えて満足感に浸りながら記念撮影する女性トリオ(共に久保さんの写真集から)

2025年から「地域包括ケアシステム」は本格的に始まる。その準備を推進するモデルハウス第一号の「実家の茶の間・紫竹」は、今後どんな風に姿を変えていくのだろうか。地域包括ケアの「推進モデルハウス」から、地域包括ケアの「実践モデルハウス」へと進化していけば、全国からさらに多くの視察・研修が新潟市を訪れることになるだろう。1年後、実家の茶の間はどんな10周年を迎えるのだろうか。

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