「実家の茶の間」新たな出発1

地域の茶の間

 「実家の茶の間」新たな出発(1)*

<令和3年 年度始めの「当番研修」から①>

―真の「モデルハウス」へ 再スタート―

―「茶の間」が目指すもの、改めて確認―

<コロナ禍の下、「2度目の5月」に再び決断>

昨年の2020年10月まで、このブログ「茶の間再開」シリーズで、新潟市の「地域包括ケア推進モデルハウス『実家の茶の間・紫竹』」の取り組みについて紹介した。新型コロナウイルスの感染が新潟市でも広がる中、実家の茶の間は2020年2月末にいったん活動を休止したものの、5月の話し合いで6月1日から活動を再開。今年に入ってコロナ禍がさらに拡大する中でも着実に運営を続けている。茶の間が開かれる毎週月曜日と水曜日には、25人前後の参加者たちが穏やかに時を過ごす「みんなの居場所」としての役割を果たしている。しかし、運営委員会代表・河田珪子さん(77)らにとってこの場所は、単に「みんなが寛げる居場所」としての役割を果たすだけでは目的は達成できない。

国は、団塊の世代全員が75歳以上を超える2025年までに、地域で医療・介護が受けられ、地域で安心に暮らしていける「地域包括ケアシステム」を全国に構築しようとしている。「実家の茶の間は、それを実現するためのモデルハウスであるはず。2025年まで、もう、あまり時間はありません。今年度からの1年1年を大切にしていきたい」と河田さんは思っている。2021(令和3)年度が始まって2カ月弱。コロナ禍に見舞われてから2度目の5月に、河田さんたちは「地域包括ケアを実現するためのモデルハウス」という本来の目的に向けて、改めて歩き出そうとしている。

<「当番研修」で意識合わせ>

5月21日(金曜日)のお昼過ぎ。「実家の茶の間・紫竹」は運営日でもないのに玄関が開けられ、河田さんら30人が顔をそろえていた。「令和3年度 当番研修」と銘打たれた会合は、「実家の茶の間・紫竹」が地域包括ケアを推進する「真のモデルハウス」として機能していく「再出発」の節目の日だった。河田さんは、この日の会合に期する思いがあったようだ。と言うのも、今年4月の年度明けから、介護保険制度の「新潟市地域包括ケア計画『第8期計画(~2023年度)』」がスタートした。2018年度からの「第7期」は途中からコロナ禍が広がり、全国どこも満足な成果が挙げられなかった。それだけに、2025年度に向けて「第8期」が大事になると考えられるからだ。

写真=30人が顔をそろえ、「実家の茶の間・紫竹」の役割などを考える「当番研修」が始まった

<30人が集まり「大会議」>

この日集まったのは、実家の茶の間運営委員会「河田チーム」の中核でもある「お当番さんチーム」のうち12人と、紫竹地域で茶の間の運営を手助けしている「サポーター(応援者)」が6人(この中には地域の老人クラブ会長もいる)。いずれも実家の茶の間が活動していく上で欠かせない方々だ。当番さんは、実家の茶の間が円滑に動いていく潤滑剤の役割を担ってくれている方々で、活動日には2人ずつその任に当たる。普通なら「お世話役」ということになるが、実家の茶の間では「お世話する人も、される人もいない。みんなが場の参加者」という運営が定着しているためか、目だって世話を焼くわけではない。参加者の体温を計って受付をするほかは、誰が当番さんか分からないほど目立たない存在で、ほとんどが女性だ。一方、サポーターの皆さんは全員が男性で、実家の茶の間がある紫竹地区の住民だ。外回りの清掃・雑草取りから家の修繕、ごみ出しまで引き受け、地域とのつなぎ役もこなすほか、見学者への応対や子どもたちの世話までやってくれる。当番さんとサポーターは、茶の間を切り盛りしてくれる大切な存在だ。

さらに、実家の茶の間を外から支援し、時には意見を述べる「助言者」的立場の人が5人(ここには新潟市の望月迪洋政策調整官や元市議、大学の研究者らがいる。前市長でもある「青空記者」は、河田さんに「応援団長」とおだてられ、この中に入れてもらっている)。ほかにオブザーバーとして県高齢福祉課と県社会福祉協議会(県社協)の担当職員が合わせて3人。そして、「実家の茶の間・紫竹」の協働事業者である新潟市からは地域包括ケア推進課長と担当職員が参加した。加えて、国が市町村に配置を定めた地域包括ケア推進役の「生活支援コーディネーター」(新潟市では「支え合いのしくみづくり推進員」と呼ぶ)のうち、この日は東区全体を担当する一層の生活支援コーディネーターが会合での発言をホワイトボードに記録するファシリティターとして加わった。なかなかの大会議である。

<当番さんとサポーターの思い確認>

まず、河田さんが挨拶。「今日は、モデルハウスとしての実家の茶の間の役割や意義をみんなで再確認する機会にしたいと思っています。また、茶の間のこれからを考える土台として、当番さんや応援者の方々が茶の間に関わることで普段どんなことを感じているかも率直に聞かせてほしい」と、この会合の趣旨を簡単に説明した。当番さんや応援者の茶の間に関わる意識から、茶の間の「現在位置」を知りたいという河田さんの気持ちが表れているようだ。

<「当番は生活の張り合い」>

挨拶を受けて全員がごく簡単に自己紹介した後、当番さんから「茶の間に関わった動機・きっかけ」や、「関わって良かったと思うこと」、「活動の中で自分が変わったと思うこと」などが語られた。

「ここに来ているお陰で、日々が充実しています。当番が生活の張り合いです」「当番として活動してから、自分の気持ちがきちんと言えるようになりました」「自分が自分でいられる場でしょうか」―などと当番さんたちが茶の間に関わる気持ちを語った。「茶の間から新たな気付きを得て、勉強になっています」「人への尊厳の姿勢を学べ、ありがたい」との感想や、「自分の認知症予防の場」「ここの活動で若返りました」などの声もあった。茶の間の活動に参加したきっかけもさまざまで、「河田さんの昔からの活動にひかれ、ずっと一緒にやってきました」と言う人や、「(茶の間の運営を学ぶ)茶の間の学校に参加してから」「ほかで助け合い活動をやっており、その研修の場として」「紫竹に茶の間ができる時に声を掛けてもらったから」などの発言が続いた。

写真=当番さんから、実家の茶の間にかかわる思いが述べられ、要点がホワイトボードに記録された

<サポーターにとっても「生きがいの場」>

当番さんが発言した後、サポーターの方々も同じように感想を語った。「紫竹に茶の間が開かれてから、友人ができたし、生きがいになっている。ここが本当の実家です」と87歳の方が言えば、老人クラブの会長は「ここは老人クラブにとっても、町内会にとっても必要な場になっています」と茶の間の役割の大きさを語った。「勤めていた職場では人付き合いがなく無口だったが、茶の間ができて自分から積極的に話し掛けるようになった」という方や、「コロナ前は、全国からここに研修に来ていて、その方たちと話をして自らの研修にもなっていた」との感想もあった。「ここは癒しの場であり、思いやりの心が育つ場。多くの方の心遣いと協力で、地域の宝になっている」などの声に、多くの当番さんがうなずいた。

<「地域共生社会」とは―>

当番さんとサポーターの感想から、茶の間の「現在位置」が見えてきた。「人助けのため」や「お世話をしている」などの関わりではなく、「生きがい」「自分のため」「学びの場」などの気持ちで、みんなが実家の茶の間に集まってくるのだ。いま、国は地域包括ケアを推進する社会イメージとして「地域共生社会」との言葉を使い始めた。「地域で、助け合って、生きていく」―これは、河田さんたちがずっと追い求めてきた社会のあり方だ。みんなの気持ちを聞いた後、河田さんは「地域共生社会と国が言い始めてから、まだあまり時間がたっていません。でも、皆さんの話をお聞きすると、ここでは地域共生社会の土台がもうできているようです。なぜなんでしょう?」と問い掛け、自らがこれまで歩んできた「助け合い」の道程について語り始めた。

自身のがん治療に苦しみながら、夫の親ごさんの世話をするため大阪での福祉職の立場を捨てて新潟に戻ってきた河田さんの半生については、ここでの詳述は避けることにして、「青空記者の目」で簡単に触れてみた(詳しくお知りになりたい方は、このブログ「助け合いの歩み」をチェックください)。

<「青空記者の目」>

 「困った時は『助けて!』と声を挙げられる自分、声を挙げられる地域をつくりたい」―この気持ちは河田さんの原点だ。この日の「当番研修」で河田さんは、自らの原点を確認するように45歳からの歩みを超速足で語った。30年以上も前に有償の助け合い「まごころヘルプ」を新潟で立ち上げたのも、「自らががんに罹っていたうえ、夫の両親の介護で大変でした。私自身が助けてもらいたかったから、有償の助け合いを提案しました」と言う。「助けて!」と自らが声を挙げ、「手助けを受ける側第一号」となった河田さんは、9人の「手助け提供会員」からサポートを受けた。そんな河田さんの生き方が共感を呼び、まごころヘルプに多様な方が集まってきた。三つ子ちゃんのママさんの子育て支援が始まり、精神障がいの方のサポートが始まった。目の不自由な方、車いすの方、外国人への手助けも始まった。自宅で看取りを迎えたい末期がんの方にも積極的にかかわった。「困っている」「助けてほしい」との声を断らない―そんな、まごころヘルプの事務所に大勢の方が集まるようになり、そこから「地域の茶の間」が始まった。

 「地域共生社会」は河田さんたちがずっと追い求めてきたものだ。この日の「当番研修」で当番さんやサポーターの皆さんが語った言葉は、どれも素晴らしいものだった。「人のために手助けをしている」のではなく、「茶の間は自らの学びの場」「この活動は自らの生きがい」と語るその精神こそ「地域共生社会」の土台ではないか。その精神が「実家の茶の間・紫竹」には脈々と流れていることが、当番さんやサポーターの方々の言葉として確認された「当番研修」となった。

 「当番研修」の後半は、助言者らの発言を踏まえて「実家の茶の間」の活動の自己評価に移った。地域包括ケア推進のモデルハウスとして、「実家の茶の間」は今、どんな位置にいるのだろうか?

 

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