「実家の茶の間」新たな出発2

地域の茶の間

*「実家の茶の間」新たな出発(2)*

<令和3年 年度始めの「当番研修」から②>

―取り組みに自信、高い自己評価―

―コロナ禍、「助け合いの実践」には遅れも―

<新潟市の資料で活動を点検>

5月21日に「実家の茶の間・紫竹」で開いた「当番研修」で、河田珪子さんは大急ぎで自らの歩んできた「助け合いの道」を振り返った後、「今日は、実家の茶の間が地域包括ケア推進のモデルハウスとして、今どんな位置にいるのか?その自己評価をしてもらいます」と語り出した。

写真=「実家の茶の間・紫竹」で開かれた「当番研修」

自己評価をする際の参考として、河田さんは2018(平成30)年当時、新潟市が市民に地域包括ケアについて説明した資料を用意していた。新潟市の高齢化率の推移・推計や高齢者単独世帯の割合の推移など基本的な人口統計に加え、国が当時示していた「地域包括ケア」の姿、それに対応した新潟市の今後の取り組み方向などをまとめたもので「日本一安心な政令市の確立~新潟市が目指す支え合いの地域づくり」とのタイトルがつけられていた。

<「生活支援」と「介護予防」が両輪>

その資料では、地域の茶の間を「支え合いの地域づくりの土台」として重視すると共に、地域包括ケアを実現するためには「生活支援」と「介護予防」を両輪とすることが明記されている。その2つを推進するため、茶の間が地域の自治会や老人クラブ、コミュニティ協議会をはじめ、NPOや企業、社会福祉協議会(社協)などと幅広くネットワークを組む必要性を訴えていた。

当時は、介護保険の「要支援」の一部が市町村事業に移行されたことを反映して、写真のように「助け合い活動の強化の必要性」について特に強調されていた。「住民主体の支援活動」については、「地域の茶の間の充実・拡大」と共に「助け合い活動を強化」することに重点が置かれていた。その方向は①有償の助け合い活動②地縁による生活支援―の2つに大別され、それを推進するエンジン役として有償の助け合い活動の担い手を育てる「助け合いの学校」の開校と、助け合いを実践する「助け合い まごころ・新潟」の立ち上げが書き込まれている。

写真=新潟市が2018年につくった資料の1ページ。「助け合い活動の強化の必要性」が書かれている

それらを基にして、「目指す地域像」はこう書かれている。

<「困ったときは、助けて!」と言える自分を作ろう。「困ったときは、助けて!」

と言える地域を作ろう。みんな、お互いさまなのだから…。>

<まったく「ぶれていない」>

この資料と、この日の河田さんの話を照らし合わせてみると、まったく「ぶれていない」ことに気が付く。そしてコロナ禍の前まで、新潟市はこの方向で着実に歩を進めていた。「助け合いの学校」は2018年にスタートし、多くの区で実践的な講座が開かれていた。「助け合い まごころ・新潟」は「助け合い お互いさま新潟」とネーミングは変わったものの、「実家の茶の間・紫竹」を事務局として困りごとの電話相談を受け付け、実際の助け合い活動が2019年には始まっていた。地域包括ケアの推進役に国が位置付けた「生活支援コーディネーター(SC)」(新潟市では「支え合いのしくみづくり推進員」と呼ぶ)有志も事務局に自主的に通い、「実際の困りごととはどんなものか」、「困りごとへの電話対応の仕方とネットワークづくりはどうあるべきなのか」などを学び始めていた。「実家の茶の間・紫竹」がコロナで休止した後も、事務局機能は受け継がれ、「助けて!」と声を挙げる方たちの心の支えとなってきたのだ。

<実家の茶の間でビデオ撮り>

しかし、コロナ禍が長引くにつれ、「お互いさま新潟」の活動もままならなくなり、地域包括ケア構築に向けた土台は新潟市でも脆弱化していく。河田さんたちは焦る心を抑えて茶の間の活動をできるところから復活させ、継続してきた。一方で大きな流れを見ると、2025年度に向けて「生活支援」と「介護予防」を両輪とする地域活動への必要性は高まっている。特にコロナ禍で国の財政がさらにひっ迫した今、有償の助け合いを含めた「地域での支え合い」に対する国の期待は強まっている、と言っていいだろう。その結果、「実家の茶の間・紫竹」は再び全国から注目されている。

現地視察がままならない中で昨年度、国はリモートで河田さんらと連絡を取り以前の写真を使ってビデオ映像を作成、全国の関係者に配布した。地域包括ケア推進の助言役「さわやか福祉財団」は昨秋、実家の茶の間にビデオ取材班を送りビデオを製作した。新潟県も「実家の茶の間」を居場所再開のモデルの一つとした小冊子をつくった。コロナ禍が広がる中、全国で地域包括ケア構築に向けての活動が休止し、逆に実家の茶の間の存在感が高まっているのだ。

<助言者たちの見方を聞く>

河田さんらは、自らの活動がままならないのに注目度が上ってきている状況を冷静に見つめてきた。「いま、有償の助け合いを担う『お互いさま新潟』の活動は満足にできないけれど、生活支援と介護予防を両輪とする活動の必要度は増してきている。私たちの進めている方向は住民にとって必要なものであり、国の施策からみても間違いない。この年度始め、そのことを当番さんたちからさらに認識してもらおう」と河田さんは考えたようだ。「実家の茶の間が果たすべき本来の役割について、どこまで問題意識が共有されているのか、自己評価してチェックしてみましょう。まず、助言者の方々から実家の茶の間についてのお考えをいただき、その上で自己評価をやっていきましょう」と、河田さんはみんなに伝えた。

助言者たちが話し出した。「上野千鶴子さんは『安心して一人で死ねるか』を問うてきたが、それを可能にする仕組み・つながり合いをここでつくっているのでは…」「実家の茶の間のエキスを広げていけば、人権や尊厳を大切にする共生社会につながる」との見方や、「地域包括ケアは当初より活動範囲が広くなっている。新潟では、地域での助け合いを8つのモデルハウスを活用して広げていけるのか―。当番さんや茶の間に参加される方の本音を聞きながら、新潟で分析を続けていきたい」などの意見が出た。

<「行政単独ではできない」>

河田さんと長く歩んできた望月迪洋・新潟市政策調整官の見方はこうだった。「国は地域共生社会を掲げるようになったが、それを絵に描いた餅ではなく、生きたものにしていくには地域の具体活動しかない。実践活動のモデルの一つが実家の茶の間です。だから、ここを国も『さわやか福祉財団』も見ている。行政は単独で地域共生社会はつくれないが、新潟市が河田チームと協働したように、市民と組めばそれは可能だ。新潟市なら市全体に『地域での助け合い』を広げることができる」

<行政も「柔軟に対応していく」>

さらにオブザーバーの県庁や県社協の担当者からは、「ここでは『お世話をする・される』ではない関係が根付いている」「茶の間のパワーを参加者みんながもらえる、生き生きした場所と感じる」などの感想が述べられた。県の担当者は全県を見る立場から、「他の市町村の関係者も、ここの動向が気になっています。『実家の茶の間はどうしている?』『河田さんたちはどう考えている?』と、よく聞かれます。ここは、本当にみんなの参考になる活動をしているところなんです」と、実家の茶の間の存在感について語っていた。

最後に発言の番が回ってきた「協働事業者」の新潟市担当課長は年度替わりに交替したばかりだったが、「ここが地域包括ケアのモデルなんだ、と改めて感じました。行政も皆さんの意見を聞きながら、柔軟にやっていくので、よろしく」と挨拶した。また、ファシリティター役を務めていた「支え合いのしくみづくり推進員」は、「今日の会合でみんなの気持ちが今までより分かってきました。コロナ禍の中でどう活動していけば良いか、悩んでいましたが、手法だけを伝えるのではなく、思いを伝え、広げていければ良いと感じました」と述べた。

<驚くほど高い自己評価>

関係者の発言が一巡した後、新潟市が作成したペーパーを基に、全員が実家の茶の間の活動について自己評価を行った。そのペーパーは、市が「第8期地域包括ケア計画期間のモデルハウスについて」関係者に評価を求める資料で、写真のように、横軸の「機能・活動」分野には「子どもから高齢者まで、障がいの有無にかかわらず誰もが参加できるか」「参加者同士の助け合いの意識醸成や、ちょっとした助け合いの関係をつくる(実践の)場」など7項目。次いで「望まれる機能・活動」分野には「住民主体の生活支援活動の研修の場」「住民主体の生活支援活動の拠点」の2項目が挙げられている。(「望まれる」と注を加えた項目はコロナ禍で最近の活動がままならぬ点を考慮したのだろうか。)さらに縦軸として①介護予防②生活支援③地域共生社会―の3つの観点が記されており、全部で27のマスに到達点を○、△、×などで評価する仕組みだ。この時点で取り組みへの評価を求めるべきではないと市が判断した12のマスには横棒が引かれていた。

写真=新潟市が作成したモデルハウスの自己評価ペーパー

全員が自己評価を書き入れた時点で、この日の当番研修は終わりとなった。予定の2時間を20分ほどオーバーしたが、当番さんとサポーター全員が思いを語り、関係者から活動に対する評価・助言を聞いたことで、すっきりとした表情や満足げな笑顔を浮かべる方が目立った。実家の茶の間の進むべき方向と、この段階での到達点が分かり、自らが納得したためかもしれない。後日、ファシリティターが集約してくれた自己評価を見せてもらうと、驚くほど多くの方が多くの項目に○をつけていた。当番さんとサポーターの集計では、「○△」と併記したものも含めると8割以上に○がついている。茶の間の活動に自信を持ち、誇りへとつなげる「当番研修」になったようだ。令和3年度、「実家の茶の間・紫竹」は着実に再出発への一歩を踏み出した。

<青空記者の目>

 外部から「実家の茶の間」を見詰めている応援団の一人として、記者も発言を求められ、こんな話をした。

<「実家の茶の間」のことを、新潟市役所も含め、まだ「地域の茶の間のモデルハウウス」としか見ていない人が多い。でも、ここは文字通り「地域包括ケア推進のモデルハウス」であり、コロナ禍前には有償の助け合い「お互いさま新潟」の活動を含め、住民主体の支え合いの核となっていた。コロナ禍で休止した活動が今、さらに必要度が高まっている。「地域共生社会」に最も近い実践モデルが、ここ、実家の茶の間だと思う>

写真=新潟市が2018年に作成した資料の1ページ

 参考までにこれまでの流れを確認することにしよう。新潟市では、地域包括ケアを実現するために2014年10月、「地域包括ケア推進モデルハウス」を開設した。第一号が「実家の茶の間・紫竹」で、「地域の茶の間」を創設し全国に広めてきた河田さんチームとの「協働事業」であることが最大の特長だ。新潟市は2017年までに8区全区にモデルハウスを開設、それぞれの地域で協働運営している。8区のモデルハウスは、いずれも「みんなの居場所」として活動してきたが、8か所すべてが地域包括ケアの目指す「安心な暮らし」を生み出すモデルとなるにはまだ課題があった。そこにコロナ禍が襲い、今も取り組みは難渋している。

 国全体を見ると、地域包括ケアシステムを構築する目標年度の2025年度は迫ってきているが、「生活支援」と「介護予防」の拠点・システムづくりは停滞している。地域包括ケアを推進する方向性として、新たに「地域共生社会」との言葉を国は打ち出したものの具体イメージも伝え切れないでいる。そんな中、「地域共生社会のイメージに最も近い場所」として、実家の茶の間に注目が集まってきたのだ。

 自らの活動に注がれている全国の視線を意識しながらも、河田さんたちは原点を忘れず、地道に着実に2025年度に向けて歩み出そうとしている。

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