実家の茶の間 新たな出発23

地域の茶の間

*実家の茶の間 新たな出発(23)*

<7周年展を終え 次の展開が始まった④>

―「河田さんたちのノウハウを学びたい」―

―SCさんが当番実習にやってきたよ―

<中央区のSCさんが手を挙げた>

11月15日(月)午前9時半、新潟市の地域包括ケア推進モデルハウス「実家の茶の間・紫竹」では、いつものように朝のミーティングが始まった。この日のお当番さんが、これもいつものように「衛生面の注意」や「運営上の留意点」などについてポイントを読み上げていく。この様子を、ちょっと緊張気味だが興味津々の表情で見守っている女性がいた。中央区の生活支援コーディネーター(SC、新潟市では「支え合いのしくみづくり推進員」と呼ぶ)阿部恭子さんで、この日は初めて実家の茶の間のお当番実習生として参加していた。

写真(左)=11日の会合の後、河田さん(左)と話し合う阿部恭子さん(右)。写真(右)=15日に当番実習生としてアルコール消毒をする阿部さん(右)

実家の茶の間運営委員会代表の河田珪子さんは、阿部さんが当番実習に手を挙げてくれたことを、ことのほか喜んでいた。「コロナ前はSCさんも大勢ここに来てくれていましたが、SCメンバーの入れ替わりもあって、茶の間の様子を知らない方も増えてきています。阿部さんはSCの役割でここにこられることはあっても、当番実習は初めてです。当番をやられてみてどんな感想をもたれるか、私もお聞きするのを楽しみにしているんです」と河田さんは語った。

<「ようやく実習にこれました」>

新潟市社会福祉協議会(社協)に籍を置く阿部さんは、今年度から中央区全体を担当する1層のSCに任命された。3年前、東区の1層のSCが産休に入り、その代りに約1年間SCを務めた。「その時から、東区にある実家の茶の間のことは当然知っており、河田さんたちからいろいろと教えていただいていましたが、当番はやりませんでした。中央区のSCになってコロナ禍もあり、これまで余裕がありませんでしたが、11日の会合もあって、ようやく実習にくることができました」と阿部さんは言う。実家の茶の間には今も7周年展の写真や資料が貼り出されているが、この中で「実家の茶の間・紫竹」の役割を説明した資料は、阿部さんが東区のSC時代につくったものだった。「でも、茶の間の機能を説明するのと、茶の間の運営に当たるお当番さんの役割はまったく別。皆さんの居心地が悪くならないように気をつけます」と阿部さん。

写真(左)=阿部さんが東区のSC時代にまとめた「実家の茶の間・紫竹」の資料。(右)=実家の茶の間で利用者の世話をやく阿部さん(右端の後ろ姿)

SCは、国が地域包括ケアを構築する推進役として自治体に設置した制度で、「助け合いの気風を醸成する」という難しい役割も担っている。新潟市では区単位に1層のSCが置かれ、最も人口の多い中央区では1層のSCが区内の5圏域を担当する2層のSCと連携を図りながら業務に当たっている。これまではベテランの渡辺隆幸さんが務めていたこともあって、市全体の1層のSCをまとめる役割も果たしていた。「渡辺さんの後が務まるか…。自分でも『大丈夫かな』と心配でした。また、東区のときは2層のSCさんが地域のコミュニティ協議会の方だったのに対し、中央区ではいろいろな組織に籍を置いているSCさんがいるので、より情報交換を密にしたかったんですが、コロナでなかなか思うように動けませんでした」と阿部さん。

<きっかけは11日の会合>

ようやくコロナが収まりかけてきた時期に、中央区の「宮浦・東新潟圏域」を担当する2層のSC、滝澤清香さんから相談を受けた。現在休止中の有償の助け合い「お互いさま・新潟」のことだった。「特に地域を担当する2層のSCには、困りごと相談が数多く寄せられます。滝澤さんは責任感が強いから、じっとしていられないのね。10月頃、『お互いさま・新潟』のことで相談を受けて、私からも河田さんに情報交換をお願いしました」と阿部さん。前回のブログで紹介した11月11日の会合は、こういう経緯で開かれた。その会合では一気に「助け合いマッチング」には話が進まなかったものの、地域包括ケアの中での「お互いさま・新潟」の重要性では認識が一致。「再開」に向けて、市と情報を共有しつつステップを踏んでいくことでも方向がそろった。

この話し合いは、別の効果も生んでいた。助け合いなどについて、みんながそれぞれの意見を言い合う中で信頼感や連帯感が生まれたことだ。特に阿部さんや滝澤さんらSCにとって、これまでさまざまな場で助け合いに取り組んできた河田さんたちの知恵は「やっぱり、大変に貴重」であることが再確認された。阿部さんはこの会合を機に「助け合いだけでなく、居場所のあり方や困っているお年寄りへの接し方などについて、実家の茶の間で学んでいこう」との気持ちを固め、会合の次の茶の間の運営日、15日にお当番さんの実習を願い出たのだ。

<利用者の方たちも気配り>

お当番さんには大体の場合、ベテランが1人入ることになっている。朝の受付から衛生面に気を配り、お年寄りの体の状況に応じて椅子か座布団かを選んで席についてもらい、好みの飲み物をお配りする。「何をしてもいい。何をしなくてもいい。」―これが実家の茶の間のルールだが、一人寂しそうな方はいないか。「あの方とお話ししたいのに…」と思われている方はいないか。お当番さんは常に気を配っている。お話をしたそうな方には、さり気なく場所替えをお勧めしたり、お仲間同士で話に花が咲き過ぎた時はアクリル板を間に挟んだりする。お当番さんが気のつかない時は、河田さんらがアドバイスする―こんな気配りがあって、実家の茶の間のゆったりとした雰囲気が生まれるのだ。

 

写真(左)=実家の茶の間で作業する阿部さん(左)と食材の準備をする利用者。(右)=利用者の大矢さんは、いつものように、ジャガイモの皮むきのお手伝いを始めた

もっとも、気を配っているのはお当番さんだけではない。利用者の方も、できる方は当たり前のようにお昼の野菜の皮むきを手伝ったり、食卓になる机をアルコール消毒したりしている。常連の1人、笠井三男さんはお昼の献立のことを気にしていた。「お昼が復活した8日はカレーでみんな喜んで、良かったよね。その後、10日が豚汁で、今日も豚汁でしょ。やっぱり、コロナで利用者が少なくなって、台所が厳しいんじゃないかな。具沢山の味噌汁は食材が多くいるので、なかなか出せないんだと思う」と気を遣っていた。それも17日には「具沢山の味噌汁」が登場して、笠井さんらを安心させた。

<「実家の茶の間はすごい場所です」>

お当番さんも、利用者の方も、大事な居場所をどう守っていくか、続けられるようにしていくか―これを考え、動いているのだと思う。阿部さんは、そんな様子を「実習生」として学びながら、こう語った。「ここは、すごいです。いろんなノウハウ、知恵がつまっているし、温かみがあります。私たちにとって、何よりありがたいのは、河田さんたちの体験談などを身近に聞けること。これから助け合いが再開されたら、もっとそうなる。滝澤さんたちは助け合いの相談に対応する時、『河田さんたちの意見を聞きながらだと、安心して判断・行動ができる』と言っていますけど、私もホント、そう感じます」と。

写真=みんなが楽しみにしているお昼の時間。お膳を配る阿部さん(右側) 

<青空記者の目>

 「実家の茶の間・紫竹」にはいろいろな機能があるが、その中でも「研修機能」は特筆すべきものではないか。河田さんたちが新潟市と組んで取り組んできた「茶の間の学校」も「助け合いの学校」も、コロナ前は実家の茶の間での実習研修があるから効果がより大きく発揮された。それは、地域包括ケアの推進役を担う生活支援コーディネーター(SC)にとっても同様だったと思う。多くが施設福祉や介護のプロであるSCにとっても、在宅の生活支援は未知の分野であることが多い。介護保険のサービスに含まれるものなら直ちに判断できるが、それに該当しない困りごとにどう対応するか―ここが問題なのだ。

 コロナ前は、SCが当たり前のように実家の茶の間に顔を出し、地域の困りごとについて河田さんたちからアドバイスを受けていた。「お互いさま・新潟」が軌道に乗っている時は、SC有志が実家の茶の間に置かれた「お互いさま」の事務局に交替で詰め、困りごとの電話応対も担当しながら、必要な時は「助け合いの学校」の修了生らにつなぐ態勢もできあがりつつあった。それがコロナ禍で状況が一変した。「お互いさま・新潟」は活動を休止せざるを得なくなり、SCさんが実家の茶の間にくることもめっきり減った。コロナが収まりつつある今、「お互いさま・新潟」をどうしていくか―。新潟市も「中止ではなく、今は休止状態」と明言している。

 地域包括ケアシステムの構築を目指す国は、「地域共生社会」を掲げるようになった。その方向性の中で、自治体とSC、そして助け合いのノウハウを持つエンジンメンバーを含む河田チームなどが、それぞれの役割・ミッションを確認し合い、「コロナ後」へと組織的に動いていく時期がきているように思う。

 

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