茶の間再開14

地域の茶の間

*「実家の茶の間」再開*(14)

―コロナとは長期戦 しなやかに闘う―

―「住民同士の助け合い、焦らずに育てる」―

<「実家の茶の間」再開の中間総括>

2020年7月29日

新型コロナウイルスの感染拡大で、新潟市の「実家の茶の間・紫竹」が自主的に活動を休止して5カ月になる。この間、実家の茶の間運営委員会代表の河田珪子さんをはじめ、多くの関係者の努力で実家の茶の間は6月1日から再開され、地域の茶の間の「新たな日常」を創り出しながら2カ月が経とうとしている。コロナ禍に見舞われながら、河田さんたちは改めて、新潟市の地域包括ケア推進モデルハウス第1号である「実家の茶の間・紫竹」の存在意義や、2025年を目標とする「地域包括ケアシステム」の行方に思いを馳せてきた。河田さんたちに、7月下旬段階での中間総括を聞いた。
<「本当に実家にいるようだ」>

7月22日、再開された「実家の茶の間・紫竹」は午前、午後とも20人を超す方でにぎわっていた。「密」にならないように、廊下に置かれた椅子をうまく活用して距離を保っている。お当番さんの一人が「きょうは16人がお昼を食べられました。再開後で最高です」と教えてくれた。今は「午前、午後に分け、各2時間利用」を基本にしているのだが、昼休みに家に帰る手間を家族に掛けるのが嫌で、お昼を持って来たり、世話を焼く方がまとめてお弁当を買いに行ってくれたりして、回を重ねるごとにお昼を食べる方が増えているのだ。

一方では、家族が感染を心配されて、茶の間に来ることができない方もまだ多くいらっしゃる。「わが家が原因で感染を持ち込んだら大変。絶対に迷惑を掛けたくない」と思う家族も多いのだそうだ。結果的に、実家の茶の間の利用者は以前に比べれば大幅に減っている。河田さんたちは経費を切り詰め、マスク販売や寄付などにより、茶の間を持続可能にしている。もっとも、以前より喜ばれる点も出てきた。「落ち着いていて居心地が前よりよくなった」「小人数で、本当に実家にいるようだ」と言う利用者も増えている。「本当の実家」と違うのは、お互いの距離が近くなると、お当番さんが「密ですよ」「もう少し距離を取って」と注意をすることだ。それは、対象が河田さんでも同じ。話に熱中している河田さんが「近いですよ」と注意されると、実家の茶の間に笑いが広がるのだ。

<みんなで茶の間を守っていく>

河田さんは「今日は、ちょっと混んでいるから」と大広間を避けて、事務室でコロナ感染後のことを話し出した。「再開後、2カ月近くになって、皆さんの心構えがしっかりとされてきました。コロナとの闘いはそう簡単に終わらない、長い闘いになるとの覚悟をされてきた。だから私、今日は皆さんの前で言ってみたんです。『もし、コロナがまた広がってくれば、明日からでもここをすーっと閉めますからね』って。どう反応されるかと思ったら、みんな驚くほど冷静に受け止めてくれました。『そうならないよう、ここは大切なところなんだから、みんなで守ろう』って思ってくれていますね」と河田さん。

<再開に二の足を踏む茶の間も>

河田さんたちは、強い気持ちで実家の茶の間を再開させたが、新潟市だけを見ても現在の茶の間の状況は「既に再開」「再開の日程が確定」「再開を検討」「再開の目途立たず」「このまま廃止も」と、さまざまだ。新潟市の福祉関係者は「5月まで、茶の間を運営する方に再開について聞かれると返事に困っていました。それが、実家の茶の間が再開されてからは、その様子を写真でお示しできるようになった。それが一番分かりやすいし、『参考になった』と言ってくれる人が多い。再開するに当たっては、みんな自信がないんですよ。再開の準備に入ると、『もし感染を出したら責任はどうなるのか』などの声が出てくる。特に福祉の現場を知らない方が再開に二の足を踏む。多くは男性ですね」と内情を語る。

<増えてきた視察の希望>

「地域にある茶の間が再開されないので、デイサービスを利用する」と言う人もいる。一方では、「大勢が行くデイサービスは感染が怖くて、嫌だ」と思う人もいる。そして茶の間を再開しても、先ほど挙げた理由などで利用者が少なく、「いつまで続けられるのか」と悩んでいる地域もある。コロナの影響はこれからも地域の居場所に大きな影を落としていきそうだ。

そんな中で、河田さんたちは実家の茶の間を再開し、再開に当たってのガイドラインも明確にした。茶の間の再開を目指す方たちにとっては、「希望の灯」の役割を果たしてきた。そのことがあって、実家の茶の間への視察希望が増えてきている。河田さんは一部の視察について、小人数で、近くの市町村からのものに限り受け入れを再開しようとしている。8月には隣の聖籠町や弥彦村などからの日程が決まった。9月には佐渡から民生委員たちが視察に来る予定だ。その一方で、河田さんたちはコロナ感染が再度広がった場合、実家の茶の間を休止することも視野に入れて、その旨を利用者に伝えてもいる。河田さんチームは、コロナとの闘いは長く、厳しいものになることを覚悟して、柔軟に、しなやかに対応しようとしているのだった。

写真=「実家の茶の間・紫竹」には視察・研修などの予定表がある。以前は多くの日程が貼り出されていたが、慎重に再開されようとしている

<「お互いさま・新潟」をどうする>

この日の2日前となる7月20日の午後、河田さんは実家の茶の間で、地域包括ケアシステムの推進役である「支え合いのしくみづくり推進員」(生活支援コーディネーター)二人と、「助け合い お互いさま・新潟」について話し合っていた。「お互いさま・新潟」は、河田さんたちが創りだそうとしている「新しい有償の助け合いシステム」のことで、新潟市全域に「1時間ワンコインで、家にまで入って助け合う」ことを目指す取り組みだ。将来的には「新潟市全域で、歩いて15分以内の助け合いをつくり出す」ことを目指している。この全国どこでもまだ実現していない取り組みは、河田さんの長年の体験から生まれた。有償の助け合いを持続可能にするには、「事務局経費や交通費にできるだけおカネを掛けないことが必要」との信念の下、河田さんは2018年から新たに「助け合いの学校」をスタートさせた。「家にまで入って助け合う」際のルールなどを習得し、実践する人材を育成するためのもので、当初は新潟市との協働事業だった。昨年からは8つの区役所と河田さんたちの協働事業となり、多くの受講者がボランティア登録している。困りごと相談の事務局については「実家の茶の間・紫竹」に置き、「支え合いのしくみづくり推進員」有志らが電話相談に当たり、困っている方とボランティア登録者をつないでいた。事務局が「実家の茶の間・紫竹」になったことで、推進員が困りごとの実態を把握し、推進員同士が情報を共有する場ともなっていた。「お互いさま・新潟」は、実家の茶の間がお休みしてからも、大型連休の前までは事務局に交替で推進員らが詰め、電話相談に対応していた。しかし、新型コロナウイルス感染の拡大が収まらないため、大型連休前にこの機能も休止せざるを得なかった。「ウイズ・コロナ」の時代が当分続く中で、「お互いさま・新潟」をどうしていくかは河田さんたちにとって大きな課題だ。

<「コロナで見えてきたものがある」>

河田さんと話をしていた一人で、中央区全体を担当する第1層の「支え合いのしくみづくり推進員」渡辺隆幸さんは「お互いさま・新潟」の重要性をいち早く認識した一人だ。渡辺さんは、「コロナの感染拡大で、今まで見えなかったことが見えてきた部分があります。今までと同じやり方でなくとも、目的を達成できることも見えてきた。例えば子ども食堂は、集まってみんなで食べる方式からお弁当の配食にしたら、今まで来なかった子どもや家族が来るようになり輪が広がりました。コロナ禍の中で地域との関係が深まった例もあります。ある障害福祉施設は、これまで割と地域との関係が薄かったんですが、その施設がマスクづくりを始めたら、地域の民生委員の方がマスクの販売に協力してくれるようになって地域との関係が強くなった。仕事のやり方もリモートなど新しいやり方が広がってきた。コロナ禍も悪いだけじゃない。良い方向につなげないと」と話し始め、「『お互いさま・新潟』も今までと同じやり方で再開する必要はないと思う。元々、『お互いさま』の事務局は、困っている方と手助けできる方とをつなぐ役割なのだから、困っている方に『相談できるところがある』と広く知ってもらえれば効果は大きいと思う。一方で地域との関係をさらに広げて、ボランティア登録者を増やしていく。困りごとの手助けには『やりがい感』が必要ですよね。ワンコインだけでなく、『ありがとう』の言葉でも、笑顔でもいいと思う」と続けた。

同じ中央区の地域担当、第2層の「支え合いのしくみづくり推進員」で保健師でもある滝澤清香さんは、「お互いさま・新潟は土台ができているから、もっとやれますよね。『コロナだからできない』で終わるんじゃなくて、いま何がどうできないのか、もっと具体的に考えることが大事だと思う。信頼できる方さえ見つかれば、相談事にもっと応じていけるわけですから」と意欲を見せた。河田さんは二人の話に耳を傾けながら「やりがい感は大事ですよね。それはおカネだけじゃない。お互いさま・新潟に関わってくれる方のモチベーションをどう維持しつつ、次の態勢につないでいくかですよね」と、思いをさらに巡らせているようだった。

<「助け合いがしにくくなった」>

「支え合いのしくみづくり推進員」と話をした2日後の7月22日に話を戻そう。この日は、常連さんで地域に暮らす武田實さんがいつものように顔を見せていた。武田さんは植木の水やりなど、実家の茶の間の外回りの仕事をボランティアでやってくれる有り難い存在で、コロナ感染が広がる前には実家の茶の間を利用される方のちょっとした頼み事に応えてくれる貴重な人物でもある。「実家の茶の間・紫竹」では、ちょっとした手助けを気兼ねなく頼めるように、茶の間利用の回数券(6枚で1500円)を「助け合いチケット」として活用できるようにして「実家の手」と名付けていた。回数券2枚で500円なので軽い手助けはワンコイン分、家に入っての手助けなどやや手が掛かるものは枚数を増やしてお願いする。その内容は河田さんも知らない、当事者だけの「秘密」だ。武田さんに手助けの例を聞くと、「一番多いのはお医者さんへの送り迎えかな。送っていくだけならすぐに終わりますが、迎えとなると時間が読めないので午前中掛かることもあるね」との答えだった。武田さんは「コロナの感染で、困りごとは多くなったはずだけど、ここに来られなくなった方もいるからね。どうなさっているかね」と仲間たちのことを気遣った。

河田さんも同じ思いだ。「コロナの感染で困りごとが増えているのに、助け合いがしにくくなっていますよね。例えば、手助けに家に入っていいのかと悩んだり、東京にいる子どもたちが親の手伝いに来ることができなくなったりね。暮らしていくのに、より不便なことが増えているはずです。その一方、コロナでお年寄りが外に出る回数が減れば、心身共に衰えが心配になる。だから、『お互いさま・新潟』のような助け合いが、なおのこと大事になっている」と言う。当面は「お互いさま・新潟」の事務局も活動を休止せざるを得なくなったが、それでも河田さんは前を向いている。「ここは、焦らないことですね。私たちは幸い、コロナの前に『お互いさま・新潟』を立ち上げることができた。事務局についても、できるだけ区単位でやれるようにお願いしてきて、既に独立していった西蒲区の例もある」と言い、「『実家の茶の間・紫竹』の事務局は今後、みんなが学ぶ研修の場として活かすようにして、それぞれの区で『お互いさま』の事務局ができるようにしていけばいいですね。やっぱり、困っている人の姿や困りごとが具体的に見えないと、人の心は動かないし、行動につながらない。私たちは『お互いさま・新潟』をスタートさせ、土台はできていますから。焦らないことね」と河田さんは自らに言い聞かせるように語った。

<青空記者の目>

ここまで7月下旬段階の中間総括を紹介してきたが、新潟市の地域包括ケア推進モデルハウス第1号である「実家の茶の間・紫竹」は、みんなが寛ぐ「居場所」としての機能以外にさまざまな役割を果たしてきたことがお分かりいただけたと思う。「実家の茶の間・紫竹」は、そこに寛ぐ方同士が「実家の手」を媒介として「困りごとを助け合う」拠点でもあり、その助け合いを新潟市全域に広げる「助け合い お互いさま・新潟」の事務局が置かれてもいる。さらに河田さんチームは「地域の茶の間」を運営する人材を育成する「茶の間の学校」と、家にまで入って助け合う作法を身に着け実践する人材づくりのための「助け合いの学校」もスタートさせ、新潟市との協働の輪を広げてきた。従って、今回の中間総括も「居場所」としての「実家の茶の間・紫竹」だけでなく、まだ再開されていない「お互いさま・新潟」などに触れない訳にはいかない。いま、河田さんが心を砕いていることは、河田さんたちがずっと取り組んできた「いつまでも安心に暮らせる新潟づくり」の今後の道付けなのだと思う。その点については次回、河田さんにインタビュー形式で聞いてみたい。

 

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