助け合いの歩み・序章

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*新潟の助け合いの歩み*
―河田珪子さんの目指す
「歩いて15分以内の助け合い」―

 序章 超高齢社会の「希望の星」 

◆「いつまでも、この土地で
安心に暮らしたい」◆

<超高齢社会の進行>

超高齢社会が日本全国で急速に進行している。総人口が減少する中、高齢者(65歳以上)だけは増加が加速する一方、生産年齢人口(15歳~64歳)の層が年々細くなっていく上、著しい少子化が年少人口(14歳以下)の層をさらに薄くしていく。その変化の速さは、人口ピラミッドの経年推移を見れば一目瞭然だ(図1)

=図1=

<「胴上げ型」から「肩車型」に>

例えば新潟市では、1975(昭和50)年には65歳以上の高齢者1人を8・8人の生産年齢人口が支えていた「胴上げ型」だったのが、2015(平成27)年には2・3人が支える「騎馬戦型」に変化。2040年には1人の高齢者を1・4人が支える「肩車型」になる予測が示されている(図2)。この予測が良い方向に大きく狂う可能性は残念ながらない。今後は高齢化の中でも75歳以上の人口が急増し、団塊の世代がすべて75歳以上となる2025年には、日本社会が急激な変化に晒されざるを得ない状況だ。国は、「2025年問題」と名づけている。

 

=図2=

この状況を踏まえて、国はこれまでの「施設で医療・介護が受けられる態勢」から、大きな方向転換を打ち出している。問題の2025年を目途に、「重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けられるよう『住まい・医療・介護・予防・生活支援』が一体的に提供される態勢の構築実現」を謳い、その態勢を「地域包括ケアシステム」と名づけている(図3参照)

 

=図3= 
地域包括ケアシステムとは難しいネーミングだが、「地域の包括的な安心の暮らしづくり」と理解して大きな間違いはないようだ。新潟市では、国の方針を受けて2004(平成16)年、地域や自宅での医療・介護を適切に受けられるようにするため「地域包括支援センター」を26か所に開設。具体的役割を果たす保健師や主任ケアマネージャーを配置してきた。

<「地域包括ケアシステム」とは>

国は2013年、本格的な「地域包括ケアシステム」の構築に向けて新たな資料を示した(図4)

=図4=
植木鉢には「医療・看護」「介護・リハビリテーション」「保健・予防」という3つの葉っぱが伸びている。葉を活かす土壌部分が「生活支援・福祉サービス」で、心身が衰え、経済的問題や家族関係が変化しても「尊厳ある生活が継続できるよう生活支援を行う」と謳っている。生活支援には「食事の準備などサービス化できる支援」から、「近隣住民の声掛けや見守りなどのインフォーマルな支援まで」幅広く、「担い手も多様」と規定している。
植木鉢の役割を果たすのが「すまいとすまい方」だ。自宅での医療・看護・介護を可能とする住まいが整備され、本人の希望と経済力にかなった住まい方が確保されていることが地域包括ケアシステムの前提となり、高齢者のプライバシーと尊厳が十分に守られた住環境は、まさに植木鉢そのものだ。その植木鉢を支える土台となるのが「本人・家族の選択と心構え」になる。これから単身・高齢者のみ世帯が大きく増える中で「在宅生活を選択することの意味を本人・家族が理解し、そのための心構えを持つことが重要」と国は超高齢社会での心構えを求めている。

<「自助・互助・共助・公助」>

地域包括ケアシステム社会を回していくのが「自助・互助・共助・公助」の4要素だ。「自助」は、自分のできることは健康管理も含めて「自分でする」ことであり、ここに「市場サービスの購入」も国は織り込んできた。このため「自助」の範囲は各人の心身状況だけでなく、経済的事情によっても変わってくることになる。次の「互助」は、各種団体のボランティア活動や住民組織の活動で、高齢者当事者のボランティア活動や生き甲斐就労も含まれる。そして「共助」。この分野が公的介護保険や医療保険に代表される社会保険制度とそのサービスになる。4つの目の「公助」は、国や自治体が一般財源(税金)で行う高齢者福祉事業などで、生活保護や人権擁護、虐待防止対策なども含まれる。

これを「費用負担による区分」で整理すると、「公助」は税による公の負担、「共助」は介護保険などリスクを共有する仲間(被保険者)と税の負担であり、「自助」には先ほど触れたように「市場サービスの購入」も含まれる。これに対し、「互助」は相互に支え合っている点で「共助」と共通点があるが、「費用負担が制度的に裏付けされていない自発的なもの」との点で相違がある。地域包括ケアシステム構築を目指す2025年までは、高齢者の独居あるいは高齢者のみ世帯が一層増加するため、「自助・共助の求められる範囲・役割が変化していく」と国は明記。「少子高齢化や財政状況から、共助・公助の大幅拡充を期待することは難しく、自助・互助の役割が大きくなることを意識した取り組みが必要」と方向性を示している。都市部とそれ以外の地域の特性にも触れ、「都市部では強い『互助』を期待することが難しい反面、民間サービス市場が大きく『自助』によるサービス購入が可能」とし、それ以外の地域では「民間市場が限定的だが『互助』の役割が大」と書き分けている。

以上が国の目指す「地域包括ケアシステム」の概要だ。国が今後の年齢構成や財政難から「公助」「共助」を縮小し、「互助」「自助」のウエイトを大きくしていきたい心情が明確に伝わってくる。その流れは2014年に介護保険制度の「要支援」を国の事業から外し、「介護予防・日常生活支援総合事業」として基礎自治体(市町村)の業務としたことで一層明らかになった。また、地域の助け合いを推進するために、市全域を大きく分けたエリアに「一層」、生活圏域には「二層」の協議体が置かれ、それぞれに「生活支援コーディネーター」が配置されることになった。

<新潟市と住民有志の協働事業>

こんな大状況の中で、「いま住んでいるこの土地で、いつまでも安心に暮らしたい」との人々の願いが叶うよう、「歩いて15分以内で、住民同士の助け合いを市全域で実現しよう」と取り組んでいる地域がある。本州日本海側唯一の政令市である新潟市だ。地域包括ケア推進のモデルハウス第1号として2014年に開設され、住民有志と新潟市が協働する形で運営されている「実家の茶の間・紫竹」には全国から視察が絶えず、福祉関係者からは「超高齢社会の希望の星」と呼ばれている。お年寄りをはじめ障がい者や子どもたち、幼子を持つ若い世代ら「みんなの居場所」である「実家の茶の間・紫竹」は、どんな活動に取り組み、どこを目指しているのか―それを探りに「実家の茶の間・紫竹」を訪ねてみた。

<「お互いさま・新潟」が動き出した>

そこは、「実家」というだけあって、後述するようにとても居心地の良い空間だった。そして、ここでは、「助け合い お互いさま・新潟」という新たな有償のボランティアシステムによる地域の住民同士の助け合いが始まっていた。この「お互いさま・新潟」こそが、新潟市全域で「歩いて15分以内の助け合い」を実現する目的でつくられたものだ。提唱者は、「実家の茶の間運営委員会」の世話人代表を務める河田珪子さん(76)。これまで、有償の助け合い「まごころヘルプ」を十数年にわたり運営する一方、みんなの居場所である「地域の茶の間」を創設し、全国に広げた人物でもある。2004年からは常設型の「地域の茶の間」で、泊まることもできる「うちの実家」を10年間、運営した。そして、国が地域包括ケアに本格的に動き出そうとした2014年、新潟市との協働事業で「実家の茶の間・紫竹」を開設し、市全域で徒歩15分以内の助け合いという「前代未聞」の取り組みに挑んでいるそうだ。「実家の茶の間・紫竹」に、ますます興味が湧いてきた。

 

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