にいがた 「食と農の明日」11

まちづくり

*にいがた 「食と農の明日」(11)*

<ウィズコロナ時代 自然栽培農家の今①>

―コロナ禍で健康志向に拍車―

―「需要、むしろ高まっている」―

主食用米の需要が落ち込んでいる中、規模拡大と「水田フル活用」による多様なコメづくり、さらに「圃場の集約」などによる効率化を追求して、「持続可能なコメ農家」への道を探る動きがある一方、環境に配慮した無農薬による「安心安全なコメづくり」に活路を見出そうとしている農家もいる。自然栽培農家の今を聞いた。

<4・3㌶で、こだわりのコメづくり>

新潟市北区大月。4・3㌶の田んぼで自然栽培のコシヒカリや亀の尾など数種類のこだわりのコメを作り、平飼い養鶏による卵販売と合わせて生計を立てている宮尾浩史さんは、新潟市内でもまだ数少ない自然栽培農家の一人だ。昨年の主食用米のだぶつきについて、「ほとんど感じなかった。むしろコロナ禍で健康志向が高まったせいか、『もっと自然栽培米がないか』と顧客から言われることもあった」と昨年を振り返える。

写真=「根曲がり杉」を使った宮尾家の居間で、自然栽培について語る宮尾浩史・久美子夫妻。

妻の久美子さんと二人で10年ほど前から自然栽培を始めた宮尾さんは、昨年もすべての田で自然栽培のおコメを作った。自然栽培農家は新潟県内でも「知る人ぞ知る」的存在で、自然栽培米は全体のパイが小さいニッチな市場だ。しかし、自然栽培を支持する消費者はじわじわと増え続けてきている。宮尾さんの自然栽培のおコメと、おコメをエサにした平飼い鶏の卵「元気たまご みやたま」は人気があり、すべてを自前ルートで販売している。「コロナの感染拡大で、免疫力が注目されたじゃないですか。免疫力を上げたい方は『少しぐらい高くても、良いコメを買おう』という気持ちがあるのでしょうか。引き合いが増えました」と宮尾さんは言う。主食用だけでなく、みそ醸造の企業にも、宮尾さんの友人数名は自然栽培米を原料として出荷している。「味噌づくりの分野でも安心な食品が消費者から支持され、需要が高まっていることだと思う」と、宮尾さんは自然栽培への自信を深めている。

<「奇跡のリンゴ」木村さんとの出会い>

宮尾さんは食品会社「加島屋」に勤めた後、大月で10代目となる家業を継ぎ、専業農家として生きていくことを決意した。30歳の時だった。それから4半世紀がたつ。当初は有機栽培に打ち込んだ宮尾さんだが、2009年に「奇跡のリンゴ」で知られる木村秋則さんに出会い、無農薬・無肥料の自然栽培に取り組むことを決めた。2010年から自然栽培へ転換していった。「いきなりリーマンショックが起きたし、色んなことがありましたけど、自らが選択した自然栽培という方向性を変えようか、と思うことはなかったですね」と言う宮尾さん。むしろ需要の高まりを受けて、「もっと自然栽培の技術を確立していきたい」との気持ちが強まっているという。

<自然栽培は、時代が求めている」>

「だって、自然栽培は現在進行形というか、木村さんだって今も悩みながら進んでいるし、こちらも発展途上です。これから『自然栽培をやってみようかな』と思われる人が入りやすいようにして、広がってきている需要に応えられるようにしていかないとね」と宮尾さんは言う。自然栽培に進んだ宮尾さんには、暗い道を照らしてくれる木村さんという存在があった。「新しい人が自然栽培やって、いきなり苦しまずに済むよう、ある程度の土台をつくっていきたい」とも宮尾さんは言う。それは、自然栽培を求める社会の動きに手応えを持つと共に、自然栽培は今後の世の中のトレンドに合ってきていると思うからだ。

「これからは環境をいかに守りながら、持続化可能な形で経済を回していくか―サステイナブルとか、サーキュラーがキーワードになってきているじゃないですか。自然栽培は、間違いなく環境に配慮した農業の一つのあり方になっているし、この流れは変わることはない。自然栽培は日本のブランドになっていくと思うし、していきたいですね」と宮尾さんは言う。近年、若い人や新規就農者の中で自然栽培をやりたい人が増えていることも、宮尾さん気持ちを強くしている。「昨年も3人、うちに来ました。『自然栽培のことを教えてほしい』って。農業大学校の紹介だったり、自分でネットから探してきたり、ですね」と宮尾さん。一方で、一般栽培農家にはハードルが高いのか、「来る方はまず、いない」そうだ。

<「田んぼに入るのが気持ちいい」>

2000年代初頭、記者が新潟市長になった頃、自然栽培に取り組んでいる新潟市内の農業者は「皆無」だった。2009年、自然栽培もテーマの一つとなった映画「降りてゆく生き方」のロケが新潟で始まって、木村さんと新潟市の縁ができた。「映画製作者の森田貴英さんが、うちの田んぼに木村さんを連れて来てくれることになった。それで、有機栽培をやっていた仲間を呼んで木村さんの話を聞いたんです。そこで定期的な塾をやっていただくようお願いしました」と宮尾さん。それが、新潟での自然栽培への道の始まりだった。木村さんは「自然栽培は、コメが一番楽だし、やりやすいんだ」と宮尾さんらを勇気づけ、宮尾さんをはじめ有機栽培をやっていた何人かが取り組むようになっていった。

自然栽培を始めて宮尾さんは驚くことが多かった。「有機の時は、『草が敵』という感じでしたが、肥料をやらないせいか、草もさほど伸びないし、害虫も出ない。有機に比べたら楽になりましたね」と宮尾さん。一緒に作業する妻の久美子さんも、「自然栽培の田んぼは、田に入って作業していると気持ちがいいんです」とほほ笑む。収量は一般栽培の6~7割だというが、農薬・肥料代は掛からない。「有機栽培の時と収量は同じくらい。有機に比べてのデメリットはほとんどないと思う。だから、有機をやっていた仲間たちが、どんどん自然栽培に移行していったんじゃないかな」と宮尾さんは言う。

<「後発だけど、レベルが高い」>

10年前と比べ、新潟での自然栽培は大きく広がっている。宮尾さんが代表の「自然栽培新潟研究会」という組織も2015年に立ち上がり、今は飲食関係者らも入れて60軒80人ほどがメンバーだ。木村さんの地元、弘前大学の杉山修一教授は、新潟の自然栽培農家を見にきて、「新潟は自然栽培では後発だったけど、すごくレベルが高い」と評価している。宮尾さんは、「自然栽培を『あいつだからできる』じゃなくて、『誰もができる』、『やりがいがある』と言われる、そんなベースをつくっていくことが大事だと思うんですよ。安心なコメを日本のブランドにするためにもね」と語るのだった。

<青空記者の目>

行政やJAなどの組織が旗を振らずに、これだけ短期間で自然栽培が広まった新潟のような地域は全国でも珍しいそうだ。自ら振り返ってみると、木村秋則さんと新潟市の縁ができた当時、新潟市長として自然栽培に関心はあったが、行政としての後押しは限定的にとどめた。まだ「科学的に裏打ちされた技術」とまで言う自信はなく、木村さんを地域に紹介したり、時折エールを送ったりする程度だった。それでも宮尾さんは「新潟は、行政と良いバランスでやってきたと思います」と言ってくれる。その上で、「10年でここまで来たのは、すごいこと。中身のないものはダメだけど、良いものだったら、見る人は見ていてくれるし、自然につながっていくものだと思う。変わり者・変革者は、大勢いなくても良いんじゃないですかね」と語るのだった。

 

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