にいがた 「食と農の明日」17

まちづくり

*にいがた「食と農の明日」(17)*

<ウィズコロナ時代 「いくとぴあ」の今>

 ―「食と花の力」を再認識―

―交流エリア、2月は過去最高の入り―

新潟市の鳥屋野潟南部に位置する「いくとぴあ食花」(新潟市食と花の交流センター)。新潟市の「食と花」をアピールする中核施設だが、ここも新型コロナウイルスの影響を受けてきた。「コロナ感染拡大で一部休館もありました。でも踏ん張って反転攻勢に転じ、今年度の入りは前年比7割台になりそう」という。

写真=「いくとぴあ食花」のマーケットに隣接する「フレンズ」の花売り場

<「食育花育センター」も一括管理>

ウィズコロナ時代の状況を報告する前に、いくつもの機能を有する複合施設である「いくとぴあ食花」の概要を紹介しよう。

2007年に「田園型政令市」を標榜して新潟市が政令市に移行したのを受け、いくとぴあは新潟の誇る「食と花」をアピールするシンボル的施設として、2010年代初めに市が建設を決定した。「食育花育センター」を皮切りに整備を進め、「こども創造センター」「動物ふれあいセンター」が相次いでオープン。2014年には「食と花の交流センター」ゾーンに「センター情報館」「花とみどりの展示館」「キラキラマーケット(花販売フレンズ併設)」「キラキラレストラン」「キラキラガーデン」が整備され、グランドオープンした施設だ。「食育花育センター」だけは2018年3月まで市が直営で管理してきたが、同年4月からはすべての施設を「グリーン産業」や「愛宕商事」などの運営グループが一括して指定管理している。

写真=「こども創造センター」の外観(左)と、「マーケット」の商品陳列(右)

<昨年度は160万人を突破>

昨年3月にコロナ感染拡大を受けて、動物ふれあいセンターなどいくつかの部門が休館状態に追い込まれた。「そんな中でも(一昨年4月から昨年3月までの)2019年度の利用者は、163万人と過去最高を記録。一括管理に手応えをつかんでいました。そこにコロナでしたから…。それは痛かった。4月からの一番良い時期にレストランなどは3カ月閉めなければなりませんでした」と運営グループ事業統括支配人・大石博樹さん(グリーン産業所属)は悔しそうに振り返る。

コロナで辛かったのは、やはりお客を呼べないことだった。「お客さまとの交流を喜びとするよう、スタッフで心がけてきたのが、いきなり『交流はやめろ』みたいな話ですから…。みんな可哀想なぐらいモチベーションが下がってしまって」と大石さんは言う。佐藤幸雄・食と花の交流センター長(愛宕商事所属)も「ガーデンの方でも、せっかく春の大型連休に向けて花をきれいに仕上げてきたのが、連休前に『ガーデンもいったん閉める』となった。女性スタッフの中には泣き出しす人もいた」と語る。丹精込めた花を少しでも有効活用しようと、新潟の花絵プロジェクトの関係者に頼んで花絵の材料に使うよう摘んでもらったり、道路から見えるように飾ったりもした。

「食育花育センター」に立つ佐藤幸雄さん

「あまりにもったいないんで、咲く花の様子をフェースブックで投稿することにしました。ところが私の発信力では、当初、数人しか見てくれなかったんです」と佐藤さんは苦笑する。それを救ったのは、いくとぴあと連携してきた地域団体だった。「特に新潟市南商工振興会の力はすごかったですね。何人かがフォローしてくれたら、あっと言う間に広がり、大型連休でやめる予定だったのが夏のバラのシーズンまで続けることになりました」と佐藤さん。これが地域との関係を一層重視する、大きなきっかけになったそうだ。

<速かった反転攻勢の動き>

一方で反転攻勢の態勢づくりも速かった。レストラン部門を担当するオーシャンシステムは、いち早くコロナ対応の難しいビュッフェ形式をやめて、メインをにいがた和牛の焼肉食べ放題に転換。テーブルまでの配食にロボットを導入するなど話題性を出し、7月からは逆に大入りとなった。直売マーケットを担当するJA新潟市も売り場の魅力アップに力を注ぎ、こちらは6月から前年を大きく上回る状態が続いた。センター長の佐藤さんは、「コロナのマイナス影響を逆バネにし、『コロナ収束時に全力疾走できるように』とブラッシュアップを図ったのが良い形に出ました。昨年6月からは概ね前年比プラス。二ケタ増の月もありました。取材に来たテレビクルーに『こんなに人が来て、大丈夫ですか』と心配されたぐらい」と言う。

しかし、そこに今年1月の大雪が襲った。「なかなか人が出てくれないほどの降りでしたから…。12月に比べて人出は半減し、5万人ちょっと。2月は前年比プラスと盛り返しましたが、今年度は2月末で109万人の入り。3月分を入れて前年比70%台でしょうね」と大石さん。

<市直営レベルの高さにびっくり>

いくとぴあの運営グループに、佐藤さんは2018年1月、大石さんは19年1月、それぞれの所属企業から派遣された。いくとぴあは多彩な機能を持つ施設の上、グループ運営しているので、二人とも慣れるのはなかなか大変だったようだ。特に佐藤さんは「食育花育センター」が市の直轄を離れ、18年4月から指定管理チームの運営となることが決まっていたので「一括管理態勢」を組み立てる難問が待っていた。「1月の仕事始めから準備室に入りました。まずは、食育花育でこれだけハイレベルの運営を市直轄でやってきたことに驚きました。何年かの蓄積を基にした知識と運営ノウハウの質は高く、全面的に指導してもらって、3カ月でようやく引き継ぎました」と佐藤さんは振り返る。

<「いくとぴあは、すごい施設」>

運営管理の実務を重ね、佐藤さんは「いくとぴあ」に誇りを持つようになったと言う。「この施設は、市職員はもちろん、花卉農産物の生産者から食品関係者、鳥屋野潟漁協をはじめ地元の方、地域の関係団体などと幅広い接点があります。『食と花』の魅力を引き出していくとき、そことの関係が重要なことに気づきました。そして、訪れる方が『いくとぴあ』の素晴らしさを態度で示してくれるんです」と佐藤さんは言う。それは、例えば視察に訪れる方の「態度」だったりする。

コロナ禍の前には、県内外から多くの視察者が訪れていた。中には「おざなり視察」の雰囲気を隠そうともせず、グループ内で「どうせ、ただの道の駅なんだろう」と会話する声が聞こえることもあった。「それが、いくとぴあを見ているうちに興味を持ってくれる。特に食育花育センターの料理疑似体験や、前日の自分の食事を基にする栄養バランスチエックなどには引き込まれて、時間オーバーが日常化していました」と佐藤さん。

栄養士さんなど専門性の高い方たちの視察では、「いくとぴあはすごい。どうしてこんな施設が新潟にできたんでしょう?」と羨ましがられた。「川崎から来られた視察グループは午後2時に帰る予定を大幅に繰り下げて5時までいらっしゃいました。お買い上げになったおコメについて、『家に帰って炊いたらおいしくて、おかずがいらないぐらいでした』と、後からお褒めの連絡までいただいた。こういう時は嬉しいですね。必ず担当に伝えるようにしています」と佐藤さんは嬉しそうに語ってくれた。

<「鳥屋野潟は、うちにとっても宝」>

いくとぴあに勤務して、近くにある鳥屋野潟の大切さにも気づいた。県が治水や環境面から本格整備することもあって、「鳥屋野潟を県民の宝にしていこう」との機運も盛り上がっていた。その先頭に立つ団体の一つが、佐藤さんのフェースブック拡散に力を貸した新潟市南商工振興会だった。同会は、春の桜の時期には「にいがたカナール彩」で潟を盛り上げるほか、子どもたちに潟や環境の大切さを伝える「とやの物語」などで中心的役割を果たしている。また、鳥屋野潟漁協は、潟で捕れる魚を楽しむ会を地域と主宰し、子どもたちが潟に親しむ催しには全面的に協力してくれている。

佐藤さんは「鳥屋野潟のほとりに『いくとぴあ』があることはすごい財産だし、潟に光を当ててくれている南商工振興会や漁協の力もすごい。とやの物語などへは私たちの方から全面協力していかねばならないと思いました。いくとぴあにとっても鳥屋野潟は宝ですし、地域との関係は大変に重要です」と語る。

<「次年度も、できるだけの準備を」>

間もなく厳しかった2020年度が終わり、新しい年度が始まる。「来年度どうなるか?やっぱりコロナ次第ですが、『ウィズコロナ時代』が当分続くことは覚悟しています。今年度の色々な催しもできるだけ中止にしないで延期ということにしてきた。ようやく一部の催しを復活できるようになってきました」「この一年、大変な状況下の中でも実績を重ね、コロナ対応ノウハウも積み上がってきました。人の集まるイルミネーションにしろ、できるだけやる準備をしておいて、『それでもダメなら中止する』との気持ちで次年度もやっていこうと思っています」と二人は前向きに語っていた。

<青空記者の目>

「いくとぴあ食花」は、新潟市が整備した公共施設の中でも最も多彩な機能のハコが集まっている複合施設だろう。「食育花育センター」を除いて当初から指定管理制度を適用してきたが、運営グループの苦労は並大抵ではなかったと思う。それが2018年度、「食育花育センター」を含めての一括管理となった年に、全体利用者が150万人台を記録。翌19年度には3月にコロナ禍に襲われても160万人台を突破してくれた。

いくとぴあは、私が市長時代に整備を決めた「田園型政令市」のシンボル施設であり、全国的にも注目される施設の一つだが、実はモデルがある。「伊賀の里モクモク手づくりファーム」(三重県)がそれだ。農業を魅力的にするため「生産・加工・販売」を一貫して行う株式会社で、私が記者時代に経営者の講演を新潟で聞いたことが付き合いの発端だった。経営陣に新潟県人がいたこともあって、新潟市との縁が深まり、いくとぴあにはモクモクのノウハウを多数伝授いただいた経緯があった。

しかし、今の運営チームにそのことを知る人はいないだろう。それなのに「新潟の食と花をアピールし、魅力的にするための施設」との原点は今もしっかりと受け継がれていた。コロナ禍の中でも前を向き、「この施設は10年後、20年後、さらに意味を持ちますよ」と語る運営チームメンバーの言葉に、密かな感動さえ覚えた。

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