実家の茶の間 新たな出発21

地域の茶の間

*実家の茶の間 新たな出発(21)*

<7周年展を終え 次の展開が始まった②>

―お昼が復活 名物カレーに40人―

―「つくり方、忘れちゃった」に笑いの輪―

<お昼のカレーが帰ってきた>

新潟市の地域包括ケア推進モデルハウスの「実家の茶の間・紫竹」にお昼が戻ってきた。新型コロナウイルスの感染拡大で、実家の茶の間では8月16日を最後に、みんなが楽しみにしていたお昼ご飯を休止していたが、それが11月8日(月)、復活した。復活初日の献立は一番人気のカレーライスだった。実家の茶の間運営委員会代表の河田珪子さんらは、1カ月半以上のブランクがあっただけに、8日を前に食材の買い出しなどの準備に追われた。初日の食事当番だった藤間優子さんは「ジャガイモやタマネギ、ニンジンなどの食材を調達するのがひと仕事でした。河田さんたちがどの野菜がどの店が安いかをチエックして、少しでも安い店を探して買ってきてくれました」と言う。実家の茶の間では昼食も予約は取らない。「お昼は2カ月近くお休みしてたでしょ。久しぶりのお昼復活の上、カレーはいつも人気がある。たまにしかお見えにならない方でカレーの時にいらっしゃる方もいますからね。どのくらいの人が来られるか、何人分つくれば良いか、なかなか読めませんでした」と藤間さん。結局、40人分プラスαを用意することにした。

カレー昼食だったこの日、頼もしい助っ人が現れた。菅弥生さんだ。菅さんは、河田さんたちが以前、東区粟山で運営していた「うちの実家」の時代に「元祖茶の間カレー」をつくった人で、実家の茶の間のカレーも、その食材・作り方を継承してきたのだ。菅さんは出雲崎町の出身で、この日、実家の茶の間に出雲崎から視察に来ると聞いて、久しぶりに実家の茶の間にやってきた。お昼がカレーと聞いて、直ちに食事当番を依頼され、藤間さんと一緒にお昼復活の初日を担当した。「ここは家でつくるのと量が違うし、やっぱり、量の勘が戻らなくて…。頭の中でシュミレーションしながら、料理しました」と藤間さんは言う。出雲崎からの視察は5人の予定が2人増えて7人になり、結局お昼を食べられた方は40人近くになった。「『大盛にして』との注文や、お替りする方もいらっしゃった。足りなくならないか、心配でしたが、みんなから喜んでもらえました。やっぱり、嬉しいですね」と藤間さん。40人近くなると食事のスペースも限界になるので、廊下や事務室なども活用し、お当番さんら一部の方は少し時間を遅らせて、無事に初日を乗り切った。

<差し入れのカボチャが届きました>

やはり、お昼の復活はお年寄りたちにとって掛けがえのないほど嬉しいものだったようで、8日はみんなの笑顔が広がった。ただ、1食300円でお昼を準備するのは、そうたやすいことではない。河田さんたちは「少しでも安いものを」とスーパーの価格を見比べながら、食材を仕込んでいる。そんな苦労を知っている関係者から差し入れが届くことも多い。この日は大きなカボチャが3個、届けられた。

写真(左)=差し入れのカボチャを手に嬉しそうな河田さん。(右)=コロナが下火になって、さらににぎわいが戻った実家の茶の間

「これは河田さんから煮物にしてもらわなくちゃね」とお当番さんが言う。河田さんがそれを受けて、「そう言えば、以前にも自分の畑でつくった大きいカボチャをいただきましたよね。『家族が食べてくれないから』と言って持ってこられた。私が煮物にしてご家族に差し上げたら、喜んで食べていただいて。そしたら、その方も『これで作り甲斐がある』って喜んでくださってね」と話に花が咲いた。みんなの善意で実家の茶の間のお昼は支えられている。

<コロナ減少、にぎやかさ戻る>

写真=事務室では老人クラブの会議が開かれていた

写真(左)=調理室で、サポーターの武田實さんと話し合う河田珪子さん。(右)は河田さんが用意した煮豆の盛り付け

お昼が復活して2日目となる10日(水)。11月に入って新潟県のコロナ感染者はさらに減って、「感染ゼロ」が続く日も増えてきた。その影響なのか、お昼の復活が効いているのか、この日の実家の茶の間は10月よりもにぎやかになっていた。多くのお年寄りが顔を出し、事務室では地域の老人クラブの打ち合わせも行われていた。この日のお昼の献立はメインが豚汁。おかずは、河田さんが家で用意してきた煮豆と、しその実の味噌漬けだった。食事当番の高見久美子さんは豚汁の味付けに気を配っていた。「どうかしら、ちょっと薄味ですかね」と河田さんに味見を求め、河田さんは「普通ならこの味付けで良いと思うけど、今日は煮豆が甘いから、もう少し味噌を入れますか」とアドバイス。

写真(左)=この日の食事当番の高見久美子さん。(右)は豚汁の最後の味付けを調整する高見さん

配膳にはお当番の渡部明美さんや地域サポーターの武田實さんらが手伝いに入る。さらに何人か手助けに入ろうとすると、お当番さんグループから「待った」が掛かった。台所に入る時は頭に被りものをするルールなのだが、久しぶりのお昼の準備でその決まりを忘れてしまった方がいたのだ。「ルールを忘れちゃったんですね。家からかぶってきた帽子じゃダメですよ。きちんと被りものをお願いね」とお当番さんチームが注意する。相変わらず、衛生面には厳しい実家の茶の間だ。

写真(左)=この日のお昼のメインは豚汁。(右)は、お昼をいただく利用者の皆さん

写真=この日も「密」にならないよう、廊下も食堂に使われていた

<青空記者の目>

 お昼の復活に先駆けて視察・研修も再開した実家の茶の間。8日の出雲崎町からの視察には役場職員のほか、議員さんや生活支援コーディネーター、社協職員らが参加。出雲崎出身の菅弥生さんも、お昼の準備を終えた後は意見交換の輪に加わった。各地からの視察は、訪れる方たちにとって参考になるのは当然だが、実家の茶の間の利用者たちや河田さんチームにとっても刺激になっている。「この前、岡山から来てくれた視察の方は熱心だったね。茶の間に一日いてくれてね」と利用者のお年寄りが言うと、「月曜日の出雲崎の方たちも気合が入っていたよ。コロナが収まってきたし、茶の間を新たに増やすことを考えているみたいでしたね」とお当番さん。河田さんも県内外の会議出席や研修講師役の依頼にも応じるようになった。「先日、村上市の研修に呼ばれたんですが、すごく熱心でした。『みんなで助け合っていこう』という気持ちは、新潟市よりも強いみたい。私たちも見習うものがあると感じました」と河田さん。実家の茶の間から、「互いの学び合い」も再開されていた。

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