にいがた 「食と農の明日」5

まちづくり

*にいがた 「食と農の明日」(5)*

<ウィズコロナ時代 農家レストランの今②>

ーコメにこだわり。「もっと田んぼ買いたい」―

 ―「農業の未来?そりゃあ心配ですて」―

<新たに直売所もオープン>

農家レストラン「ラ・トラットリア・エストルト」の隣接地に昨年、新しい建物がひと棟、建築された。エストルトも経営する有限会社「高儀農場」の農産物直売所「サグラ」で、昨年3月にオープンした。「ソーセージの加工場がこれまで遠かったんで、それも一緒に隣接地につくろうと提案した。せがれ達は『また、カネがかかる』と反対したんですが、『自分たちでつくったものを、自分たちの手で売ろう』と押し切ったんです」と高儀農場を経営する高橋治儀さんは言う。

写真=昨年3月にオープンした高儀農場の農産物直売所

高橋さんは農用地を交換したり、買収したりして高儀農場の土地をひと所に集めながら規模を拡大してきた。「農地って、農家の命ですわね。その身上を『売ってくれ』と頼むんですから、『何言ってやがる』と怒られたり、地域から嫌われたりもしました」と高橋さん。地域との関係は今も微妙なものがあるようだ。直売所で売っている農産物も高儀農場産以外は、域外のものが多い。

一方、農地取得は風向きが変わってきた。「最近は若い人で『おら、農家しないし、売ってもいいよ』と言う人も増えてきました。ちょっと遠くの田んぼも買って、出作も始めました」と高橋さん。田んぼはこれまでの3ヘクタールから5ヘクタールに増えた。これまで「農家は消費者が買ってくれるモノ、喜んでくれるモノをつくらないと」を信条とし、フルーツトマトやブランドの越後姫といったイチゴをつくってきた高橋さんだが、「でも、コメもやらんかない。今はコメにこだわっています。もっとおコメを食べてもらえるといいんですが」と言う。農家を継がない人が近隣でも増えていることが気がかりだ。「日本は狭い国土なのに、外国人が土地を買おうとしているじゃないですか。これでいいんですかね。俺はもっと田んぼ買いたいですわ」と高橋さんは言う。田んぼに逆風が吹いている時に、高橋さんは「逆張り」をしているようだ。

<20歳の時に鉄骨ハウスづくり>

農家レストランもそうだが、高橋さんは常に困難なことに挑戦してきた。今から半世紀近く前の20歳の時、地域には当時なかった鉄骨のハウスをつくった。「そしたら、『俺も本当は鉄骨ハウスをやりたかった』と言う人が出てきて、中には『あんたがやってくれたから、俺もやれるようになった』と鉄骨ハウスをつくった人もいました。みんながやろうとして、二の足を踏んでいたんですね。俺は『こういうことをやれば面白い』と思うとやっちゃうんでしょうかね」と高橋さんは言う。

フルーツトマトへの挑戦も、人がやっていない頃だった。「フルーツトマトをやり出したら、商社マンで何億も扱っていた人が『農業やってみたい』って、法人化したばかりのうちの農場に入ってきた。その人から『フルーツトマトと言えば、イタリアンだ』と言われ、ハウスの中に移動販売車形式で本格的イタリアンを始めたんです」と高橋さん。その試みは一端挫折したが、それが農家レストランにつながった。

<農業特区でレストランに挑戦>

しかし、新潟市が農業戦略特区になったとはいえ、農家レストランをつくることは容易ではなかった。特区で「農用地内での飲食提供」が特例としてみとめられたものの、都市計画法や建築、消防関係の特例はなかった。一面に水田が広がる、眺めが良いレストラン予定地に建設するには道路幅や消防の水源確保など、多くの難関を乗り越える必要があったのだ。さらにレストランの造りにもこだわった。地元の木材をふんだんに使い、心地の良い空間を実現した。また、長男がイタリア料理を修行し、次男がハウス栽培のイチゴを中心とする農業を継ぐ気持ちになっていることが高橋さんを後押しした。

写真=高儀農場の挑戦の歩みを振り返る高橋治儀さん

「エストルトをつくる時も、『こんなでかいレストラン、誰が回していくんだ』と長男に怒られたし、イチゴ栽培のハウスや直売所つくる時も『また、カネ掛かること考えて。誰がこの借金返すことになるんだ』と家族に叱られた。それでも、せがれの嫁さんたちが『幸せです』と言ってくれている。みんなが農業やらない時代に、跡を継いでくれた。そのことに日々感謝しつつ、また、何か考えてしまうんさ」と高橋さんは苦笑する。

<「少量でも価値あるモノを」>

高儀農場の歩みは挑戦の連続だった。「そりゃあ大変でしたよ。小さい時から、農業の手伝いして、その積み重ねで今がある。日本は一時、技術力で世界に君臨したけど、今は技術力も衰え、そこに働き方改革なんか言っている。楽して、短時間で、覚えられる訳ないですて。フルーツトマトの時、特にそう思ったけど、普通のつくり方ではできないものをつくる―それが価値だと思っています。少量でもいいから、価値のあるモノをつくる。そりゃあ大変ですけど、日本はその方向に活路を見出すべきだと思う。働き方改革なんて言ってる時じゃないですよ」と高橋さんは気をもんでいる。

と言うのも、農業の未来が気に掛かるからだ。「新潟県も『これからは園芸に力を入れる』と言っていますが、新潟と同じ米作県の秋田では、園芸のハウスつくる時、県と市町村、JAで全額出しているそうです。私ん時は半額補助。難儀かったですて」と高橋さん。地域の濁川ハウス農業組合は、かつて地域では一番大きい組合だった。「それが今、高齢化で組合員も減ってきて、売り上げも面積も半分ですわ。日本の食料をどうするんですかね。うちの孫が職業選択する時、秋田のような支援が得られるようになっているでしょうか。農業の未来?そりゃあ心配ですて」と高橋さんは遠くを見やった。

<青空記者の目>

高橋さんが今のエストルトのような「居心地の良い農家レストランをつくりたい」と思ったきっかけがある。20年ほど前、経営診断の専門家が全農の講師に招かれ講演した。「儲かる経営は、経費を掛けずにやることだ。人を減らして、お茶はセルフ、注文は券売機で」と講師は力説したそうだ。「そんな店、俺なら行かない。俺はその逆を行こう、と考えました。良い食材を使って、従業員がキチンと料理の説明をできるような店をつくろう、ってね。非効率なとこに食の価値があると思う」と高橋さんは言う。

国の「働き方改革」にも異を唱える。「俺は人間の質、これを『回路』って言っているんですが、その回路は小さい時、若い時にしかできないって思っています。若い時から楽をすることばかり覚えたら、回路はできない。大人になってもスイッチが入らないですよ」と高橋さん。今年はコロナ禍をやり過ごす年になったが、「コロナ前に本当はすごいこと考えて、準備していた。今は言わん方がいいと思っていますけどね」と、高橋さんは笑った。アフターコロナ時代が早く訪れて、高儀農場の次の歩みを見てみたい。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました