にいがた 「食と農の明日」20

まちづくり

  *にいがた 「食と農の明日」(20)

 <ビフォアコロナ時代のJA 元名物組合長に聞く>

―「い―っぺこーと」 4年目でやっと大人気に―

   ―「失敗を前提にした話はするな」―

5つのJA合併を成功させ、「JA新潟みらい」の代表理事組合長となった高橋豊さんは、広くなった管内の農産品を売り込むことに力を注いだ。中でも「絶対にやる!」と心血を注いだ事業が大規模直売所の開設だった。新潟市西区亀貝に良い土地が見つかり、JA新潟みらい直営の大型直売所を開設することを決めた。

<「JAみらいは日本農業の縮図」>

「大合併したから、JAみらいの管内には日本海の浜辺から平場、中山間地、山地まであることになったでしょ。このエリアは、まるで日本農業の縮図みたいじゃないですか。ここで育つ多彩な農産品を一堂に集めて売れば、絶対に評判になる。それには、やっぱり直売所ですて」と高橋さんは当時を語る。その時、高橋さんがこだわったのは、「新潟県で一番」ということだった。「マスコミに取り上げられるには、『売り場面積、県内最大』『農産物出荷量も県内最大』じゃないとね。亀貝の土地なら、その条件が満たせると思った」と高橋さんは夢に賭けた思いを語る。

2015(平成27)年6月、こうしてJA新潟みらいの直売所、「ファーマーズマーケット いっぺこーと」がオープンした。「山から、里から、平野から、おいしいものが大集合」のキャッチコピーの意味を込めて、「たくさん・いっぱい」を表す方言の「いっぺこと」と「陳列所」などの意味を持つ英語の「コート」を組み合わせたネーミングにした。「私は『JAみらい』にはブランド力もあると思っていた。だって、白根と言えば果物のイメージでしょ。それに、亀田の梨に砂丘畑のスイカ。果物類は売り場を華やかにするし、管内には花産地もある。ブランドに自信があるものだから、いっぺこーとに10億円以上かけた。オープンセレモニーも『多少カネがかかっても、盛大にやろう』って、気合を掛けました」と高橋さんは言う。

<初年度は「鳴かず飛ばず」>

しかし、オープン初年度は「散々だった」そうだ。「1年目はホント、鳴かず飛ばず。3年ぐらいはダメでしたね」と高橋さんは苦笑する。「おいしいものが大集合」するはずが、「いっぺこーとから遠いとこ、例えば東蒲の農産物などがなかなか出てこなかった。1年ほどして、ようやく少しずつ出てくるようになったんだが、なかなか売れない。どうしてか?調べさせたら、値段が安すぎたんですわね、新潟市で売るには。あんまり安くて、品物が悪いんではと思われた。消費者調査で分かってきて、それもまた、びっくりでした」と高橋さん。

値段を適正にして、「いっぺこーと」に並べたら、今度は売れる。農家にしてみれば市場に出すほどの量がそろわずに、「捨てづくり」していたような作物が、びっくりするほどの価格で売れるようになった。「特に山手の農家さんで、年寄りの人が喜んでさ。『おカネになる』、『孫に小遣いもくれてやれる』って。人間、自分がつくったものが売れて、カネになれば、元気になるわね」と高橋さんは笑顔で振り返った。

写真=最近の「いっぺこーと」の店内の様子。開店直後からにぎわっている

<山田邦子と一緒にスイカづくり>

そうなるまで、3年ぐらい、試行錯誤が続いた。その苦しかった時、高橋さんがみんなに言ったのは、「失敗を前提にした話はするな」ということだった。「だって、『失敗したらどうしよう』とか、『責任は誰が取るのか』とか言っていてもはじまらない。10億円以上も掛けて、失敗なんかしていられないでしょ。だって、私、個人では1億だって払えませんから。だから、『成功させるしかない』ってことですよね」と高橋さんは言う。

写真=「いっぺこーと」について語る高橋豊さん(アグリパークで)

そのための知恵も絞り、アイデアも出し合った。タレントの山田邦子さんの力を借りたのもその一つだ。「とにかく最初はダメだったんで、ある方のツテで山田邦子さんにお会いさせてもらって、協力をお願いした。ありがたいことに、山田さんはスイカが好きでしてね。『これだ!』と思ってスイカづくりを一緒にやり出しました」と高橋さん。スイカで山田邦子さんの心をつかむと、山田さんは「いっぺこーと」にチャリティで協力してくれることになった。「ある時は、『スイカで盛大にやりましょ』って言ってくれて、仲間を10人ぐらい連れて来てくれました。チャリティだから、山田さんの自腹ですよ。一緒に来た方とコーラスまでやってくれました」と高橋さんは懐かしむ。スイカづくりは3年ほど続けたという。山田さんが来ることを事前にアナウンスすると「人が来すぎるから」と、告知なし。「何で、山田邦子がいるんだ」「本物ですか?」と大騒ぎになった。

<マスコミの習性を勉強>

「マスコミも取り上げてくれて、山田邦子さんの関連は大変な話題になった。マスコミはやっぱ、大事ですわ。私らもマスコミの習性を勉強して、話題を提供しました。例えば、旬のモノの先取りです。『県内で一番早い』『初物です』と売り込むと、大概取り上げてくれましたもん」と高橋さん。スタッフの努力もあって、「いっぺこーと」の来店者数(ジェラートを除く)はじわじわと増加。2018年には初めて40万人台を突破。昨年は46万人に迫り、売り上げは10億円を突破した。「いろんな方の努力が相乗効果となって、10億円までいった。そうすると、5億円ほどが農家の懐に入っていくことになる。自分のとこの農産物が売れれば、農家は元気になる。農家が元気になると、今度は農協の資材も買ってくれるし、催しにも参加してくれる。これも相乗効果ですわ」と高橋さんは言い、「私も色んなことやったけど、一番喜ばれたのは、『いっぺこーと』でしたかね、やっぱり」と笑みを浮かべた。

<青空記者の目>

 今や、開店する9時半前から行列ができ、全国的にも知られる直売所となった「いっぺこーと」。それでも、「3年ぐらいはダメでした」との高橋さんの話を聞いて、身につまされる思いがした。記者も新潟市長として、「いくとぴあ食花」を整備し、その一角に「直売所」機能を入れることにした。いまの「キラキラマーケット」である。当時、「食育花育センター」や「子ども創造センター」が先行オープンし、年間40万人程度の方が利用していたので、「集客の土台はある」はずだった。それでも心配で、付き合いのあった福岡・糸島市のJA関係者に来てもらい、助言を受けた。当時、糸島の直売所は日本でもトップクラスの集客実績があったからだ。「これで大丈夫」と思っていたら、2014年のオープン当初、キラキラマーケットも「鳴かず飛ばず」の状態だった。いくとぴあ自体の魅力アップを図ると共に、マーケットにも改善を重ねてもらい、ようやくメドがついたのは3年後ぐらいだった。

 日本海から福島県境までをエリアとし、園芸産地も多い「JA新潟みらい」は、品ぞろえの点で群を抜く存在だが、それでも苦戦したという。それを克服したのは、やはり高橋さんのリーダーシップが大きかったと思う。「愚痴や文句ばっかり言っていても、何の役にも立たない」「失敗を前提にした話はするな」という高橋さんの姿勢が、「いっぺこーと」の現在の繁盛を生んだのだろう。「いっぺこーと」に農産物を出している農家さんからは、「あんたのおかげで家の中が明るくなったれ」「うちのばあさんから、『あんた組合長ずっとやってくれ』と言付かってきた」などの言葉が高橋さんに届いたtと聞く

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